ポンコツヒューマノイドと頼みごと
バーチャル・ヒューマノイドは、もともとネットコンテンツとして誕生したヒューマノイドだ。家事を担う物理素体の家庭用ヒューマノイドよりも、内蔵されているAIは高性能。さらにバーチャル上のアバターを現実世界に投影できることから、物理的な寿命の懸念は減った。多機能で娯楽性が高く、そのぶん高価格だけれど、ハイスペックな個体は十数年近くも稼働するらしい。
「お疲れでしょうから、お夕食を作りますね。マスターはそこのソファで休んでくださっていて構いません」
そんなバーチャル・ヒューマノイド──
「はぁー……」
ひとつ落ち着くと、旅路の疲れがどっと出たような気がする。僕はソファに背中を深く預けながら、懐かしい祖父母の家の内装を眺めつつ、しばし物思いにふけった。
──白波はさっき、八月三十一日に寿命で消滅すると言った。今日は、七月二十一日だ。となると、ヒューマノイドである彼女の寿命は、もうほとんど末期に差し掛かっている。使い捨てが基本のヒューマノイドとはいえど、寿命を迎えるというのは、少々、胸が痛んだ。
それにしても、なぜ、祖父はわざわざ遺言を記してまで、遺産である白波のマスター権限を僕に譲渡したのだろうか。同居している祖母にでも引き継がせれば問題は無いだろうに、そこをどうして僕にしたのか……。今となってはもはや、質問する術もない。気になるところだ。
とにもかくにも、これで例のバーチャル・ヒューマノイド──白波のマスターは、僕になってしまったらしい。正直、実感なんて湧いていない。けれど彼女は、あの告白をしてから、僕を『マスター』と呼ぶようになった。それはつまり、正式に認証されたということだろう。
「マスター、かぁ……」
VRゲームだったり、それこそ白波のようなヒューマノイドを持っていないと、直に呼ばれもしない言葉だ。一昔前だったら、ゲームやアニメのなかで聞くだけの単語に過ぎない。──これが普通の個体だったらまだ、その言葉の響きを楽しめたのかもしれないな、と思った。
白波の場合、残り一ヶ月という余命がつきまとってくる。その事実を僕は、彼女のマスターとして受け入れ、管理しなければいけなくなるのだ。マスターと呼ばれるたびに、それをまざまざと自覚させられるようで──これから過ごす夏休みの終わりまでを考えると、何ともいえない心地の悪さに、胸を苛まれるような気がした。
「……」
いつからか効いていた冷房の風が、汗の滲んだ額に吹きかかる。その場違いな空気感は、余計に背筋を寒くさせるような、そんな一種の悪しき予感さえ秘めていた。窓硝子から見える家並みにも、夕闇の影が落ちている。
……無性に喉が渇いてきた。冷蔵庫に何か入っているだろうか。そんなことを
「あああぁぁ……! やっちゃった……」
悲鳴のような間延びした声に重なって、よく分からない物音がいくつか、キッチンの方から響いてくる。何をやらかしたんだ……と恐る恐る覗いてみると、既に何かが散らばっているのが分かった。嫌な予感しかしない。
「あの、大丈夫……?」
「あっ、マスター、これは違うんですっ」
「……なにがどう違うんですか」
「事故! 事故です! 決して故意じゃないです……!」
故意だったら困るんだけど──と溜息を吐きながら、僕はひとまず、辺りを見渡す。袋から散らばったジャガイモが五つ、ニンジンが二本、未開封の市販のベーコン、ボウルが一つに小皿が一枚、床に散乱した塩と胡椒、あとは必死に手を振って弁解している白波が一台……。
……何をしたらこうなるんだろうか。
「取り敢えず、片付けよう」
「はい! えっと、ジャガイモ……いてっ」
ジャガイモを拾った拍子に、冷蔵庫に頭をぶつけている。僕が思うに、だいぶ、おっちょこちょいだ。そもそもバーチャル・ヒューマノイドに、性格とかいうジャンル分けは実装されていただろうか……。もしかしたら白波は、そういうタイプのシリーズなのかもしれない。
「……昔から、おっちょこちょいなんですか?」
「ち、違いますっ。昔はきちんとやってました!」
そうなんだ、と返しながら、落としたものをまな板の上に並べていく。ジャガイモとニンジン、ボウルに小皿。あとの問題は、塩と胡椒を片付けるだけだ──と思っていたら、どこからか現れた全自動掃除機が、見事に吸い取ってくれた。それを横目に見ながら、白波が
「昔みたいにきっちりこなして、マスターに流石だね、って褒めてもらうはずだったんですけどね……。そのために雰囲気までわざわざ作ったのに。こんな小さな全自動掃除機なんかにしてやられるようじゃ、うぅ……」
悔しがっている。掃除機を相手に。
「ところで、雰囲気って……?」
「マスターをここにお迎えするまで、私、ずっと『上品で慎ましやかな女の子』を演じていました。自分で言うのもなんですが、昔の私をイメージしたり……。えへへ」
照れ隠しに笑う白波の姿に、僕は最初、桟橋で見かけた彼女のことを思い出す。斜陽の茜に降られながら、その純白の髪と群青色の瞳を
しかし今、こうして話している白波を見ると、その面影はほとんど残っていない。ヒューマノイドはAIによる自己学習で性格も変わるのか、と思ったけれど……恐らく彼女の場合は、経年劣化による寿命が影響している。
寿命が近いヒューマノイドには、だいたい決まった兆候がある。動作や五感が鈍ったり、情報処理や伝達の遅れ、あとはスリープ──人間で言うところの就寝時間が増えるらしい。今の彼女はきっと、動作面に影響が出ているのだろう。そのおっちょこちょいさを自己学習してしまって、性格に反映されたというところだろうか。
「ところで、今日の夕食は、何にするの」
「えっと、ポテトサラダを作ろうと思ってました。あとは生姜焼きに、お味噌汁と……。そんな感じです」
「引き続き、お任せできるかな」
「はい、頑張りますっ」
◇
「あの、白波……さん」
「白波で構いません。敬語も崩してください」
「じゃあ、白波」
「はい」
「これ、なに……?」
「お夕食ですっ」
僕は食卓に並んだ『お夕食』を指さして、白波に
「マスター、早くいただきましょう」
テーブルを挟んだ向かいに、白波は嬉々として座っていた。美味しそうにできましたね、と言わんばかりの満面の笑みで、邪魔な着物の袖は、事前にたすき掛けをして排除しているほどの徹底っぷりだ。気合いが違う。
「私、美味しく作れるように頑張りました」
「その努力は、まぁ、認めるよ」
認めるけども、と前置きする。
「このポテトサラダに至っては、ふかしてもいないよね……。きちんと沸かしたお湯に入れた?」
「ふかしてはいませんが、自然そのままの味ですっ」
「このお味噌汁、そもそもお味噌が入ってないけど……」
「あっ。それは私が忘れました……。ごめんなさい」
「……そうですか」
寿命の影響で仕方がないとはいえ、指摘しないままというのも、僕の生活に支障が出る。箸を付ける気にもならない。とりあえず白波に家事が任せられないのは分かったから、明日からは祖母に任せるしかないな。
そもそも本当は今日も祖母がいるはずなのだけれど、ここに来てから一度も見かけていないのは、なぜなのだろうか。それとなく白波に訊いてみる。
「おばあ様ですか? でしたら、全国にいるおじい様の知り合いに挨拶をして回るため、長くこの家を開けるそうです。そこで私が家事とマスターの世話を仰せつかいました。マスターを呼んだのも、お留守番役だとか……」
「え、そんなの聞いてない」
「当然です。マスターに言われるまで、私、すっかり忘れてたんですからねっ。マスターがそれとなく訊いてくれましたから、思い出すことができました。ありがとうございます。私、これから毎日、頑張りますね!」
「ポンコツヒューマノイドだ……」
得意げに胸を張る白波を見て、僕は分かりやすく落胆した。世話をされるどころか、むしろ世話をする立場……いや、それはマスターだから、当たり前……なのだろうか。しかし、普通のヒューマノイドは世話なんかしなくても、自分でやることはやるし……。いやはや、面倒だ。
「マスター、ポンコツヒューマノイドなんて言わないでくださいっ! 確かにちょっと、その……失敗はしちゃいますけど、私はそんなにポンコツじゃないです!」
「僕が見た限りじゃ、そうは思えないけど」
「うぅ、失礼な……。でも言い返せない……」
悔しそうに僕を上目で見ながら、白波はそのまま箸を取る。まるでヤケ食いだ。ヒューマノイドにもヤケ食いっていう概念、あるんだなぁ。感心した。……じゃなくて。
僕はこれを食べなければならないのだろうか。料理としての体裁をギリギリ保てている、これを……? 彼女のマスターをやるには、これくらい対処しろと……?
「でも、マスター。私はそんなにポンコツじゃないですっ。どうしても疑うなら、証明してみせますよ!」
「食べながら喋らないの。上品モードはどこにいった」
僕は目の前にある食事に手を付けようかどうか悩んでいるというのに、白波はそんなことなどお構いなしだ。よほどポンコツと言われたのが気に食わないらしい。そもそも、ヒューマノイドは燃料供給のために食事をする必要がないのでは──と思ったが、特段、食べられないわけでもないし……。これがヤケ食いの表現ということだろうか。謎だ。ちゃっかり二人前の食事を作ってきたところ、普段から料理は食べているらしい。
「もぐもぐ……ごくん。──ですので、私がマスターの頼みごとを、何でも手伝ってあげます。程度にもよりますが、もしかしたら叶えてあげられるかもしれません」
「ふぅん……?」
何やら面白そうなことを言い出した。それが白波にできるかできないかは置いておいて、手伝ってくれるというなら便利な話だ。どうしたものかな──と僕は、食卓に並んだグラスを手に、薄い麦茶を一口だけ飲む。微かに麦茶の風味がするだけで、味はただの天然水だった。
「あっ、でも……その……。えっちなこと、は、めっ! です。マスターとは、まだ初めて会ったばかりなので……」
「うん」
手遊びをして恥じらいながら、白波は無駄に頬を染めて、勝手に話を飛躍させていく。なにが「めっ!」なんだ。最初とのギャップで少しだけいじらしいと思ってしまったのが、なんだか悔しい。このポンコツヒューマノイドに劣情を催したら、男子として負けな気がした。
「でも、どうしようかな……」
「……えっちなこと、ですか? マスターがどうしてもって言うなら、考えてあげないこともありませんが……」
「僕は真剣に考えてるんだけど」
「えへへ、真剣だなんてそんな……」
どうせこの島にいても、やることは無さそうだ。だったら少し、目的みたいなものを持った方が有意義かもしれない。
「じゃあ、えっと──なんでもいい?」
「はい、お構いなくっ」
白波はいつの間にか箸を置いて、期待するような眼差しで僕を見ていた。その群青色の瞳が、照明の明かりに
実のところ、彼女の言う『頼みごと』について、案が無いわけではなかった。ただ、それを白波に話すことが、僕にとって少しだけ気恥ずかしいのだ。今だったら、感情の起伏が無いヒューマノイドにだってなってもいい──それくらいの話だ。意識するだけで落ち着かない。
ひとまず、深呼吸をする。そうして覚悟を決めると、僕はもう一度だけ麦茶をあおって、白波を見据えた。
「──初恋の相手を、一緒に探してほしい」
彼女は一瞬だけ、面食らったように固まる。それから何度かまばたきをして、「マスターの初恋の相手、ですか……」と呟いた。「それは、この島の人なんですか?」
「たぶん……。僕が幼稚園か小学校の一年生くらいの時に、よく遊んでた。夏休みとかで、この家に来てたからね。その時に、話したり遊んだりした記憶がある。顔とかは昔のことだから思い出せないんだけど、かなり綺麗めなお姉さんだった、ってことだけは覚えてるかな……」
ただ、と僕は続けた。思い出すと、少し寂しくなる。
「何年か一緒に顔を合わせてたはずなんだけど、ある年、急に会えなくなっちゃって。おじいちゃんに訊いたら、事情があって島を離れたらしいんだ。でも、いつか必ず戻ってくるだろう──って。僕が今回、ここに来たのは、遺品整理のためだけじゃなかったんだよ」
顔も名前も
「僕の個人的な事情だけど、手伝ってくれるかな」
「もちろん、お任せくだ──あぁーっ……!」
「ちょっ、馬鹿っ、ポンコツ……!」
答えは、しっかり返してもらった。
……テーブルの上にこぼれた、熱々の『味噌のない味噌汁』で。
【後書き】
続けてお読みくださり、ありがとうございます。『沈みゆく群青、昇る白波』作者の水無月彩椰です。
ひとまず作品の更新はここまでとなります。というのも、これは定期的な連載開始に向けた、いわゆるお試し投稿のようなものでして……。
3~4月あたりから、書き溜めたストックを週1で更新していく、という形になります。お待たせしてしまいますが、ご了承ください。正式なタイトルの決定も、その間にやることにします。
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