第8話 2年B組④


 細長い団子は二連に、時折列へと形を変え、すれ違う人々を器用によけながら進んでいく。


「千葉先生~」

「はい」

「先生ってぇ、彼女いますかぁ?」


 先頭で皆と談笑する方泉の袖をツンツンと引っ張りながら、少女――相良愛美さがらまなみが上目遣いで尋ねる。コテで巻かれたツインテールの先を弄り、愛らしく小首を傾げる仕草には、普段から甘えているのであろう“慣れ”がある。

 確か「四姉妹の末っ子」だと尾沢先生が言っていたっけ。と、思い出しながら、方泉は悲しそうに眉を下げて笑う。


「ううん。残念ながらいないんだよね」

「え~!ラッキー!私今彼氏募集中なんですけどぉ、どうですかぁ?年下ってアリですかぁ?」


 柔らかな体をピタッと腕に寄せ、グロスで輝くアヒル口から甘えた声を出す。ふわっと漂ってきた甘ったるいバニラの香りに声を詰まらせると、すかさず反対側から手が上がった。


「はいはい!私お菓子作り得意です!」

「あ~っ、ずるい!私もお菓子作れます!」

「あたしは掃除が得意です!」

「!えっと…」


 一瞬の隙を突いて始まったアピール合戦に、方泉は頬を固まらせる。

 「女子校って異性と触れ合う機会が少ないから、イケメンじゃない先生でもおじいちゃん用務員さんでも、みんなカッコよく見えるんですよね~」と、以前知り合いが言っていたが。

 こんなにグイグイ来るのが普通なのかな?と、白熱する特技自慢に困っていると、後ろで「あのさぁ」と大きな溜め息が零れた。


「千葉先生かっこいいんだから、『彼女がいない』なんて嘘に決まってるべ」


 と、強めの訛りで切れ長の一重を細めたのは、尾沢に「クラス一言葉の切れ味が鋭い」と言われていた羽田沙羅はねださら。呆れたように振る首と共に、襟足の短いショートカットが微かに揺れる。


「えっ、先生嘘なの!?」

「いや、本当に…」

「例え本当に居なかったとしてもさ~、杜都城大学って女子の顔面偏差値エグくて有名じゃん?うちらなんて眼中にねぇべ」


 ないないと手を振る沙羅に、少女達は「んだな~…」と大きく肩を落とす。

 急に盛り上がったと思ったら、急に落ち込む。ジェットコースターのような彼女達に戸惑う方泉にぴったりと寄り添いながら、愛美は淡く色付いた頬を膨らませる。


「杜都城って、なんか異常だよねぇ。地方とは言え、アナウンサーとか読モになる人がめっちゃ多いじゃん。入試の時にビジュアル審査されてたりするのかなぁ?」


 「どう思う?」と、隣を歩く生徒――工藤ゆめに話しかける。

 尾沢曰く、「永遠の幼稚園児」と友人達に呼ばれているゆめは、愛美とお揃いのツインテールを左右に揺らしながら、無垢なたれ目を悲しそうに下げる。


「ゆめもそうおも~う!ゆめじゃ絶対審査通らないわ~」

「…それ以前に、ゆめは共通テストも通らねぇべ」


 天を仰ぎ嘆くゆめに、鼻で笑った沙羅が鋭いツッコミを入れる。

 ここ、私立仙ノ宮女学園は中高一貫の進学校だが、皆が皆、勉強が得意な訳ではなく。必死に勉強して合格した途端、気力が燃え尽きてしまう人も居る。ゆめもその中の一人だ。

 沙羅に反論しようにもできず、唸り声をあげるゆめ。その周りで「んだね~」「それな~」とクラスメイト達が笑う。


「もーっ…ゆめだって、やればできるもん!」

「うんうん。じゃあ、まずは赤点取らないようにしないとね~」

「いやゆめには無理でしょ」

「そうだね、無理だね」

「!!もう!みんな、ゆめの事バカにして~っ!」


 大笑いする友人達に、ゆめはほっぺたを膨らませる。そしてぷいっとそっぽを向くと、ツインテールを靡かせて団子集団の一番後ろに走っていく。


「組長~、聞いて~!」


 と、べそをかきながら抱き着いたのは、一人黙って歩いていた凜々花の腕。


「みんながゆめの事バカにする~」

「ゆめが勉強苦手なのはほんとの事じゃん。…って言うか、“組長”って呼ばないでって言ってるでしょ」


 肩にずっしりと凭れ掛かりながら歩くゆめを、跳ね上がった目尻でジトッと睨む。しかしそんな視線を気にもせず、ゆめはさらに強く腕を抱き締める。


「えーっ…今までずっと“組長”って呼んでたのに、何で急にダメになっちゃったの?」


 口をへの字にして、寂しそうに凜々花を見つめるゆめ。どこからか、「くぅん…」と切ない子犬の鳴き声が聞こえてきそうだ。庇護欲をそそる潤んだ瞳に、凜々花はうぐっと怯み、思わず顔を反らす。


「…その呼び方が恥ずかしいって、最近気づいた」

「えー!そんな事ないよ!組長だって最初喜んでたじゃん」

「よっ、…兎に角もうやめて」

「え~…急に言われても無理だもん…」

「じゃあゆめと喋んない」

「!?やだ~~!なんでそんなに塩対応なの~?」


 え~ん、と泣き真似するゆめを、凜々花は鬱陶しそうに見つめる。


「またゆめがフラれてる…」


 そんな二人を遠くで見ながら、沙羅が憐れむようにボソッと呟く。


「組長は急に塩になったりするからな~」

「塩って言うかぁ、ツンデレ?」

「『組長組長~』ってこっちから行き過ぎると、ビュンって逃げちゃうもんね」


 「猫みたいで可愛いよねぇ~」と笑う愛美に、方泉は首を傾げる。


「何で笹野さんは“組長”って呼ばれているの?」

「!!」


 目を覗き込むように顔を寄せた方泉に、愛美はドキッと顔を赤くさせる。

 男の人と接する事に慣れていないからだろうか。それとも方泉だからだろうか。眼鏡の奥の大きな瞳を見つめ返すと、吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚に陥ってしまう。


「え、えぇっとぉ……組長は、やくざとか極道系の漫画が大好きなんです。休み時間もしょっちゅう読んでてぇ…そのせいか、怒るとべらんめぇ口調?ってやつになるんです」


 熱い頬をぱたぱたと手で仰ぎながら、愛美は恥ずかしそうに上目遣いをする。その横から、黒縁眼鏡をかけたポニーテールの生徒――「真面目の塊」の鈴木杏子すずききょうこがひょこっと顔を出した。


「あと、凜々ちゃんは柔道部の主将なんですけど、もうなんて言うんだろ…道場に入った瞬間、覇気が出るって言うか…堅気じゃないんですよね、目が!集中するとべらんめぇ口調になるし、どこからどう見てもヤーさんなんです!」

「へ~!だから組長って呼ばれてるんだ」

「確かぁ、建設会社に勤める組長のお父さんも、柔道めっちゃ強いんだよねぇ」

「凄いね、親子で強いんだ」

「ちょっと!恥ずかしいから勝手に教えないで!」


 ゆめの泣き声の奥からうっすらと聞こえてきた会話に、凜々花は眉を顰める。


「なんでぇ?“組長”ってぴったりじゃん!ね、きょうちゃん」

「うん。ぴったりぴったり」

「もーっ!適当に言って!」


 本人の怒りっぷりを気にも留めず、笑顔で親指を立てる二人。凜々花の眉間の皺が更に深くなるが、怒りはすぐに呆れへと変わる。

 凜々花は小さく息を吐くと、腕から離れる気配のない頭にチョップをした。


「いたーっ!!なんでぇ?」


 旋毛を擦り戸惑うゆめに、「もう着いたから離れて」と凜々花が短く突き放す。


「も~っ…組長めんごくない!」

「別にめんごくなくていい」


 ふんっと顔を背けると、ゆめがショックで目を見開く。

 「めんごくない」――意地になり咄嗟に出てしまった言葉だったが、まさか「可愛くなくていい」と切り捨てられると思わなくて。

 スタスタと歩いていく凜々花に駄々っ子のような地団駄を踏むも、立ち止まってはくれず。半泣きのゆめを見たクラスメイト達が「幼稚園児じゃん」と爆笑した時。

 廊下を掃除していた清掃員が二回咳払いをした。

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