第7話 2年B組③



「どうだった?俺の授業」


 終了の挨拶を早々に済ませた尾沢は、大股で方泉に歩み寄ると、緊張の面持ちで仁王立ちをした。

 「どうだったかな」「千葉君の期待通りだったかな」「褒めてほしいな」「褒めてくれたら嬉しいな~」と、ギンギンに見開いた目で訴えかけてくる尾沢に、方泉はにっこりと微笑む。そして立ち上がると大きな拍手を送った。


「資料がすっごく分かりやすくて、ノートも取りやすい、生徒の気持ちに寄り添った素晴らしい授業だと思いました!」


 「流石尾沢先生です!」と頷くと、血走った目にみるみる光が宿っていく。


「おっ、おほっ…まぁ~~、そうだな。長年教師やってるからな!うん。こんなもんよ、うんうん」


 「すごいです~!」「尊敬です~!」と煽てる方泉に気を良くし、得意げに鼻の下を擦る。しかし上機嫌な笑みから一転、何故か恥ずかしそうに口をもごもごさせる尾沢。


「あー…もし千葉君が良かったら…なんだけどさ」

「?」


 そう言って腕を組むと、不自然に天井の電球を見ながら、ンンッと喉を鳴らす。


「千葉君、俺の事を尊敬してるって言ってくれただろ?だから…うん。今日は“クラスの見学”って事で来てると思うけど…このまま“尾沢幸司の華麗なる授業”を一日見るってのはどう…」

「千葉先生~~~!」

「おわっ!!」


 照れくさそうにチラチラと方泉を見る尾沢を、生徒が勢い良く押しのける。よろける尾沢などお構いなしに、次々と集まり、ぶつかって行く生徒達。あっという間にバランスを崩した寒そうな旋毛は、鈍い音を立てて壁に直撃した。


「~~~~~~っ!!」

「先生!次の授業、一緒に行きませんか~?」

「生物室に移動しなきゃいけないんです」

「先生場所分からないですよね?私達が教えます!」


 頭を押さえ悶絶する尾沢に目もくれず、生徒達は方泉の周りに輪を作る。

 おい。

 こんなに痛がっているのに、何で誰も「大丈夫ですか?」の一言もかけてくれないんだ…!

 ムッと唇を尖らせた尾沢が、不満気に口を開きかけた時。一人の生徒がくるりと振り向いた。


「尾沢せんせー」

「!!お、おぉ?」


 なんだよ…と訝しみながら返事をすると、生徒はにっこりと笑顔を作る。


「先生の授業も分かりやすいけど、生物の瀬波先生の授業も、めっっっちゃ分かりやすいですよね!」


 そう満面の笑みで言う少女に戸惑いながら、尾沢は「おぉ…」と頷く。なんでそんな事を俺に…と狼狽えていると、少女の目にグッと力が入る。


「だから、今日は“尾沢先生の華麗なる一日”を見て終わるのは勿体ないと思うんです。千葉先生は教師志望だから見学に来たんですよね?だったら色んな先生の授業を見た方が勉強になるんじゃないですか?」


 スラスラと流れる軽やかな声。とは対照的な、有無を言わせぬ眼力。

 “私達から千葉先生を奪うんじゃねぇ”という威圧感が、尾沢の喉を「ヒィッ!」と鳴らす。

 怖い。女子高生の冷たい目線、とっても怖い。

 首根っこを掴まれた猫…いや、蛇に睨まれた蛙状態の尾沢を畳みかけるように、少女はニコリと笑う。

 

「ね、先生もそう思いますよね?」

「う、おっ、おお~~~。そうだなぁ。確かにその通りだな!」


 強まる語気にビクッと肩を振るわせると、尾沢はあっさりと身を引き、咳払いをした。


「…千葉君!」

「はいっ」

「俺は次の授業に行くけど、三限と五限は職員室にいるから、困った事があったらすぐに相談してくれな!」

「はい、ありがとうございます!」

 

 方泉が嬉しそうに微笑むと、尾沢もニカッと歯を出して笑う。手を上げてその場を去ろうとする尾沢。だが、名残惜しくなってチラリと振り返る。その大きな背中を、生徒達は躊躇うことなくグイグイ押していく。


「先生は早く次の準備に行ってクダサ~イ」

「また帰りのホームルームでね~」

「あ~、わかったよ、も~~!」


 細腕とは思えない力強さに観念して、教卓の上の教材をがっしりと抱える。ずんずんと扉に向かっていくが、一回立ち止まり、チラッと方泉を一瞥する。そして、はぁと溜め息を吐くと、寂しそうな後ろ姿で教室を後にした。


「おざ、千葉先生の事好きすぎでしょ」

「しょうがないよ。普段キラキラした目で見られることないんだもん」


 哀愁が漂う丸まった背中を、生徒達は憐れみの目で見送る。その空気を変えるように、一人の少女が手を叩いた。


「ねぇ、おざの事は良いからさ、そろそろ移動しよう!時間が無くなるよ!」


 ほら!と時計を指すと、生徒達は「んだね~!」と言いながら動き出す。


「千葉先生も一緒に行きましょ~」

「うん、お願いします」

「やったー!」

「ねーねー、みんなで行こ~!」

「行く行くー!」

「準備できた~?」

「まだ~」

「待って~」


 おいでおいでと手を招く子。慌てて準備をする子。友達に引っ張られる子が教室の出口に集まっていく。あっという間に大きな団子となったB組は、「しゅっぱ~つ!」と元気な声を上げると、方泉の周りをがっちりと固めながら歩き出した。

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