第2話 千葉 巧②
「あの子、千葉君…だっけ。『杜都城大学に通ってる』って言ってたけど、あそこって交換留学も盛んで、めちゃくちゃお金がかかるって有名な私立大学じゃないですか。もしかしたら、校長の知り合いの、お偉いさんの子供なんじゃないですか?松井校長、教育庁の人や学校がお世話になっている取引先の社長さん達と仲が良いみたいですし…お願いされて、断れなかったんじゃないですか?」
それなら、この急なタイミングも理解できる。
と頷く佐藤に、尾沢は乱れた頭頂部を整えながら首を捻る。
「えぇ~?んー、どうかなぁ…」
「そう言えば校長、いつもは淡々としていて表情もキリッとしてるのに、今日は凄く嬉しそうですね」
「珍しい…」と呟く横田に釣られ、視線を校長に戻す。
……なるほど。横田に言われるまで全く気にしていなかったが、楽しそうに千葉の経歴を話す声はいつもよりワントーン高い。左襟にあるスワロフスキーでできた花のブローチも、祝典の時にしか見かけないお気に入りのやつだ――った気がする。言葉にこそしていないが、たった一人の大学生を“お客様扱い”しているという訳だ。
佐藤が言う通り、千葉が“知り合いの子供”である線は正しいのかもしれない。
「……」
ふむ…と斜め上を見ながら考えてみる。
“知り合いの子供”と言うことは。もしかしたら、教育・学校関係者の子供かもしれないということ。
それなら、自分がする事は一つ。
千葉巧とは関わらない。
急な見学に対して嫌味な態度をとることがご法度なのは勿論、下手に甲斐甲斐しく世話をしてポカをしてしまった場合、千葉から両親に告げ口される可能性がある。“お客様”を不快にさせたなんて話が校長の耳に入ってしまったら、学年主任や教務主任を長年頑張ってきた自分の信用が、ガタ落ちしてしまう。
しかも、今年は教頭昇任試験を受ける大事な年。「○○さんのご子息に無礼を働いた不届き者」という噂が、もし流れてしまったら…。
「ひえぇ…」
“試験合格”と書いてある足元の崖が崩れ、真っ逆さまに落ちていく自分が頭に浮かぶ。ぶるりと震える体を擦りながら、「いやいや、落ち着け」と尾沢は自分に言い聞かせる。
昨日、校長は千葉がランダムにクラスを見学するのではなく、教育実習生のように「一つのクラスに混ざって一日見学する」と言っていた。
千葉の担当になる先生には、前もって校長から話があったはずだ。自分は何も言われていない。という事は、千葉と関わる事は殆どない…はずだ。
「大丈夫大丈夫。絶対に大丈夫…」
さっきまで口を尖らせていたのに、急に手を擦り合わせて念仏のように呟き始めた尾沢を、佐藤が不思議そうに見つめる。
カッと目を見開いた尾沢がドン!と拳で胸を叩き、メンタルも背もシャキンと伸びた時。教師を見渡していた校長の視線が尾沢とぶつかった。
「尾沢先生」
「!?はっ、はいっ!!」
驚いた尾沢が、飛び跳ねながら声を裏返らせる。あまりの動揺っぷりに横田と佐藤が吹きだすが、ガチガチに肩を強張らせる尾沢は全く気が付かない。
「尾沢先生にお願いしたいのだけれど、良いかしら」
「!なっ、なにを…」
ですかね…と呟く声が、段々細くなって消えていく。
…なんだろう。嫌な予感が…と頬をひくつかせる尾沢の直感は的中する。
「2年B組を、千葉君に見学させて欲しいの」
「!!わ、私のクラスをですかっ!?」
グワッと目をかっぴらく尾沢の元に、憐みと羨望の視線が一気に集まる。口をあんぐりと開け、自分を指差す尾沢。全身から滲み出る抵抗感に、校長は申し訳なさそうに眉を下げる。
「急でごめんなさいね。でも尾沢先生なら教え方も上手だしクラスの子達に慕われているから、千葉君にとって、とても勉強になると思って」
ダメかしら?と困ったように首を傾げる校長に、尾沢の喉がう゛っ…と鳴る。なんてことだ。今しがた、やりたくないし関わらないと決めたばかりだというのに。
「ぇえっと…」
“クラスの見学”だから、千葉と直接関わる時間は少ないはずだ。でも、何かあった時の責任は自分にくるだろう。ちゃんと対応ができるのか?できなかったその時は…と考えて、再び崖から落ちる自分が浮かぶ。ぶるっと背中に悪寒が走った。
ああ、めちゃくちゃ断りたい。けど、どうやって?校長直々のお願いだ。断われるのか?断わって良いのか?あっ、そうだ。
「…なるほど」
目が泳ぐとはこの事か。と、焦る思考と共にぐるんぐるん目を動かす尾沢を見て、横田は感嘆の声を上げる。
唸りながら考え込んでしまった尾沢を、校長はじっと見つめる。そしてふっと頬を緩めると、諭すように話し始めた。
「尾沢先生」
「!はいっ」
「尾沢先生は授業だけでなく、委員会や部活動の指導すべてに情熱を捧げていらっしゃる素晴らしい先生だと、私は思っています」
「!」
温かみのある優しい声に、尾沢は驚いて息を呑む。
「教務主任という立場を良く理解し、他の先生方が困っている時に率先して助けようとする姿勢はとても素晴らしいと思いますし」
「!!」
「生徒からの質問にはどんなに忙しくても親身になって答えていらっしゃる姿が、大変素晴らしいと、いつも思っています」
「こ、校長…」
「尾沢先生は“先生”の模範に相応しい方だと思っています。ぜひ、未来の高校教師に、先生の愛とリーダーシップ溢れる姿を見せてあげて下さいませんか?」
尾沢に向かって手を伸ばし、笑顔で問う校長。それが自分に向けられたものなのだと噛み締めた瞬間、曇った瞳がパアァッと輝いた。
校長が言う通り、自分は人一倍、同僚や生徒に対して熱さ、優しさをもって接してきたつもりだ。しかし、お礼を言われることはあっても、評価をされたことなんて殆ど無かった。主任なのだから、気を配って当たり前。忙しくて当たり前。
別に、見返りを求めている訳じゃないし…と思いつつも、どこかで感じていた寂しい気持ち。自分が手伝ってあげたのに、ちょっとしか手伝ってない弟が母親に褒められるようなセンチメンタルな気持ち。
俺はこのまま“人”という漢字の二画目を担い続ける男なんだ…と思っていたのだが、まさかのまさか。“学園始まって以来の敏腕”と呼ばれる校長が、ちゃんと自分の事を見てくれていただなんて。
しかも。
「生徒達に慕われている」「情熱を捧げている」「愛とリーダーシップに溢れている」
校長がかけてくれたこの言葉は、ずっと昔から憧れていたドラマの教師像そのもの。こんなに嬉しい言葉をかけてもらって、応えない奴など居るだろうか。
……いや、居ない。
切なくも美しいピアノのイントロが頭の中で流れだす。
それは元野球部の不良達が一人の熱い先生との出会いを切っ掛けに、捨てたはずの甲子園の夢に向かって再び羽ばたきだすという、大ヒット学園ドラマの主題歌。
「……わかりました!」
ぐっと拳を握りしめた尾沢が、真剣な眼差しで校長を見つめ返す。
「私、尾沢が千葉君の見学を全力でサポート致しましょう!!」
拳を天に突き上げ高らかに宣言する尾沢に、おぉ…とどよめきが起こる。ドラマの主人公さながら堂々と胸を張る男の目には、見えない炎が灯っていた。
尾沢はすぐドラマに影響されるタイプだった。
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