【前編】土まみれ姫ポピー


 わたしの名前のポピーは花好きの父と母がつけてくれた。


 生まれたとき、庭のポピーがきれいに咲いていたから、だそうだ。

 貧乏ながら子爵家の令嬢、ちょっと庶民的すぎるのでは、との意見もあるが気に入っている。


 そんなわけで、小さい頃から土いじりが大好き。

 今では庭の手入れを全部任され、我が家、クライトン家の庭は四季の花々であふれ、その美しさは近所でも評判だ。

 

 作業用のズボンとシャツを着て土にまみれて庭の手入れをする姿で、ついたあだ名は『土まみれ姫』。まみれるほうが、かぶるより、よっぽどいいと思ってしまう。

 髪は普通の亜麻色の髪、顔立ちはマアマアの十八歳。

 庭の手入れだけでなく、家計の足しに販売用の鉢植え栽培も手がける実態は『姫』と言うにはおこがましいが、とにかく『姫』と呼ばれるのはうれしい。



 そんな土まみれ姫にも思わぬ幸運がやってきた。


 ある日、いつものように庭の手入れをしていると、上品そうな老婦人に声を掛けられた。

「素晴らしいお庭ですね。あなたが管理されているのですか?」


 話をしていくと、どうも園芸業者と勘違いされているようだが、特に否定もせず話を合わせていった。


「実は、カルバート伯爵の家の庭を管理していただく、女性を探しているのですが」


 女性の名前はアイラさん。カルバート家のメイド長をやっているとのことだった。


「残念ですが、このクライトン家に年間契約で雇われてまして……、まあ条件次第ではありますが」


 思った通り、金に糸目はつけないとのこと。女性の庭師はなかなかいない。わざわざ女性を探しているのは、なにかわけありだからだろう。

 内心の笑顔をこらえながら条件交渉。


 話を聞いた父母がびっくりするほど良い条件で伯爵家に雇われることとなった。善人で人の良い両親、その結果が我が家の貧乏なのだが、わたしの大好きな両親。

 まだ学費の掛かる弟が二人。姉としても頑張られねばならない。


 せっかくまとまった話。身分は隠して、話の流れ通り、あくまでも園芸業者として雇われることとした。貧乏でも貴族は貴族。バレたら遠慮されてクビになることもあり得るし、世間体というものもある。



 


 そんなわけで、このカルバート伯爵家の庭の手入れを始めたのだが、毎日が非常に充実している。


 伯爵家の大邸宅。庭は巨大で一人ではとても管理できないのだが、わたしに任されたのは、ほんの一区画。

 二年間放置されて、最初はグチャグチャの状態だった。しかし、聞いたこともないバラがあったり、よく考えられた花壇の形など、やりがい十分である。


「亡くなった娘、エミリーが大事に手入れしていた庭なんです。男の庭師たちにズカズカ踏み込んでもらいたくなかったんです……」


 この家の奥様は伯爵夫人ながら気取らない優しい方で、何度か庭でアフタヌーンティーをごちそうになった。フワフワとした金髪で少女がそのまま大人になったような女性。

 でも、ご主人もすでに亡くなられて、今は息子さんが後を継いでるとか。貧乏ながら、家族みんな元気な我が家を考えると、幸せとはなにかを考えてしまう。


「もう一度、昔のようなきれいな庭に戻したいんです」


 そう言って、わたしの土で汚れた手を取って涙をためた目で見つめられた。

 この奥様を喜ばせてあげたい。そう思うと、肥料のための穴を掘るスコップにも力がこもる。



「ポピー、牛のフン、ここでいいのか?」


 力仕事や牛のフン、油かすなどにおいの強い肥料を運ぶときに現れるハリーだ。

 もう一つの日々充実の理由が彼だ。

 ボサボサの金髪に青い目。二十五歳ぐらいだろうか。長身で世間で言う、いい男なのだが、外観に気を使わないせいかモッサリした感じになっている。髪ぐらい、ちゃんととかせばいいのに、といつも思う。

 アイラさんが「ハリー」と呼び捨てにしていたから、きっと下男の一人なのだろう。

 汚れた作業服がよく似合っている。


「ハリー、サンドイッチ作ってきたけど、一緒にどう?」

「サンキュー、もちろん!」


 ベンチに並んで座ったら、通りがかったアイラさんがハリーを怒鳴りつけた。


「ハリー、ちゃんと手洗った?、顔に牛のフン付けてランチだなんて!」

 アイラさんのハリーへの厳しい言葉遣いから、かなり下っ端の使用人なんだとわかる。


「アイラさん、ただの土ですよ」

 怒鳴られてしょげるハリーに同情して、ハンカチで顔の汚れを取ってあげた。

 アイラさんはブツブツ何か言いながら去って行った。


 ハリーに助けて欲しいときは事前にアイラさんに言っておき、その日は彼の分も弁当を作ってきて、庭のベンチで並んで食べることにしている。

 なにを頼んでもイヤな顔一つせずにニコニコと作業してくれる。

 とてもいい人だと思う。


 ハリーが食べるとき、いつも彼の口元を見て微笑んでしまう。


「なんだよ?、なんかついてる?」

「ううん、いつも、おいしそうに食べてくれるなって思って」

「ポピーが作るランチがおいしいからだよ」


 思わず頬が赤らんでしまったのがわかった。

 ごく自然に女性を喜ばせるセリフがサッと出てくる。


 機転や教養を感じさせられることも多い。

 会ってすぐの時に聞かれたことがあった。


「ポピーの花言葉、知ってる?」


 わたしは花を育てるのは好きだが、花言葉はほとんど知らず、首を振った。


「いたわり、思いやり……」

「あら、わたしにピッタリね」


 思わずクスクスと笑ってしまったが、ハリーは言葉を続けた。


「そして、恋の予感」


 真面目な顔で見つめられて、胸が大きく鼓動するのがわかった。

 あの時から、もう、意識していたのかも知れない……。

 なに言ってるのよ、まがりなりにも、あたしは貴族令嬢。

 自分の好き勝手にはできない……。


 

 冬。バラの枯れた枝を丁寧に折っていく。力仕事の後でヒマそうだったハリーも手伝ってくれるが、あまり器用ではなさそうで見るからに危なっかしい。


「つっ!」


 ほら、やった。指先に血の玉が見えた。


「見せて」


 園芸家の習性、ちょっと深そうな刺し傷で反射的に人差し指を口に含んで吸った。

 バラのとげや手の汚れが傷に入っていくのが一番心配。

 弟たちに庭仕事手伝わせると、しょっちゅうこうなる。


「ポピー……」


 ハリーの声にハッと我に返った。

 今の状況……、他人の人差し指を口にくわえている。

 カーと顔に血が上っていくのがわかった。それでもまだ、指は口の中……。


 でも、ハリーはわたしを優しく見つめながら、顔を近づけてくる。

 指は引かれて、口から出ていった。

 どう反応していいかわからず、口は開いたまま。きっと、まぬけな顔になっているだろう。


 ハリーの指が下あごを少し持ち上げた。

 口が閉じた。そして、なぜだろう、目も閉じてしまった。


 ハリーの唇がわたしの唇に重なった。やわらかな感触が伝わった。

 背中に手が回されて、引き寄せられた。


 わたしの手もハリーの腰に回された。そして身体を引き寄せる。

 頭の中は空っぽ、なにも考えてない。だけど……。


 ハリーの唇と身体がハッとしたように離れた。


「ごめん!、バンソウコウ貼ってくる」


 ハリーはバツ悪そうに走り去っていった。


 あんな思わせぶりなことをするから……。悪いのはわたし。

 思わせぶり?、ちがう。全部、自分の感情に従っただけ。

 でも、なんで、あやまるの?、まだハリーの感触が残る唇にさわりながら、小さくなる後ろ姿を見送った。


 その日、ハリーは戻ってこなかった。

 こんなときは、なにもなかったように、普段通りにすればいい。

 たいした意味も無いたわむれ。

 もうじき春。春が来て、この庭が花に包まれたとき、契約も終わりなんだから。


 でも、初めてだったのよ、キス……。


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