第25話:駆け引き(ジークフリート視点)

神歴五六九年睦月十四日:ゴート皇国との国境砦・ジークフリート視点


 エマは一睡もできなかったようだ。

 俺に人殺しを命じられ、精神的に追い詰められたのだろう。

 これで諦めてくれれば良し、悪足搔きするようなら眠らせる。


 俺だってエマを虐めたいわけではない。

 人殺しが平気な冷血漢にしたい訳でもない。

 ただ、乳姉さんを救出するにあたり、全ての不安要素を排除したいだけだ。


 エマが精一杯頑張っている事くらい分かっている。

 僅かな期間だが、手取り足取り教えた。


 乳母やウラッハ辺境伯が、俺に惜しみなく与えてくれた愛情を、少しでも返したくて、少々厳しくなってしまっているが、多くの命がかかっているのだ。

 手加減する事などできないし、したら二人を激怒させてしまう。


「近くに行ったら見張りの人間が見えて遣り難いだろう。

 これくらいの距離から砦を破壊すればいい」


「ジーク、国境の砦という事は、国境を行きかう商人や旅人もいるのですよね?」


「ああ、いるぞ」


「何の関係もない人々も巻き添えにしろと言っているの?!」


「極悪非道だよな。

 心優しい人間なら絶対にできない事だよな。

 だが昨日言ったよな。

 無関係の人間が脅かされて攻撃してきた時にどうするのかと?

 アンジェリカ夫人を助けて逃げたら、何の罪もない民を虐殺すると言われた時、エマはその言葉を無視して逃げられるのか?

 繰り返しになるが、命じられて仕方なく襲い掛かってきた平民を殺せるのか?

 民が虐殺されると分かっていて、アンジェリカ夫人を連れて逃げられるのか?」


「それは……」


「王子や五人衆だったら、それくらいの事は平気でやるぞ。

 その時、民を虐殺しそうな王侯貴族、騎士や兵士を皆殺しにできるのか?

 それとも、自分がやりたくない汚い事は全部俺達に押し付けるのか?

 押し付ける癖に、足手纏いの邪魔者になるのが分かっていて、無理矢理ついてくると言い張るのか?

 これ達が嫌々仕方なく民を殺そうとした時に、偉そうに理想論を口にして、自分だけ聖人君主を気取るのか?」


「……やれば、いいのですね。

 何の罪もない民を巻き添えにしてでも、砦を破壊できるようになったら、お母様の救出作戦に連れて行ってくれるのですね」


「ああ、人殺しが平気でできるようになるのも、一つの方法だ」


 まあ、本当に人殺しをする気になったら力尽くで止めるけどな。

 冷静に俺の言葉を聞いていれば、他に方法があると分かるはずだ。

 この程度の追い込みで冷静な判断が下せないようなら、戦場には連れて行けない。


「では、人殺し以外の方法でも、条件を満たしたら同行させてくれるのですね。

 昨日言われていた、どのような脅迫をされても、それを上回る駆け引きができるのなら、人殺しができなくても同行させてくれるのですね」


「ああ、同行させてやれるかもしれない」


「なんですか、その言い方は。

 それでは、何をやっても後から条件を変えられるではありませんか。

 結局最初から同行を許さない心算なのでしょう?!」


「よかったな、最初の試験は合格だ。

 この程度の言葉に騙され、駆け引きにも持ち込めないようでは、とても同行させられない」


「……それで、どのような条件を出すのですか?」


「その砦を完膚なきまで破壊してもらう。

 これは絶対条件だ。

 その上で、人殺しができてもいい。

 人を殺すことなく破壊してもいい。

 ようは、エマがあの砦を破壊できる状態に持ち込めるかだ」


「今までの話を聞いていると、砦の将兵が、私達に攻撃をさせないために、民を砦に止め置くように聞こえましたが?」


「エマが知っているかどうかは知らないが、主要な砦や城には軍属や民間人もいる。

 直接戦闘に参加する騎士や徒士だけでなく、食事を作る者、洗濯する者、武器や防具を造り修理する者。

 そんな連中を一緒に殺すと分かっていて、城砦を攻撃できるのか?」


「それは……無理です」


 ほう、ようやく素直に認められるようになったか。


「騎士や徒士を世話する者が多ければ多いほど、直接戦う騎士や徒士は戦い易い。

 非戦闘員でも見張りくらいはできるから、騎士や兵士は沢山休めるようになる。

 だから、砦の責任者はできるだけ多くの人間を止め置こうとする。

 何より、エマはウラッハ辺境伯の孫娘だ。

 ここに来たと言う事は、ウラッハ辺境伯領に逃げ込もうとしているのが分かる。

 ゴート皇国の民を捕虜にしたら、エマが攻撃できないようになるかもしれない。

 それくらい事が考えられないようでは、砦の責任者にはなれない」


「それは、人質にされるであろうゴート皇国籍の商人や旅人を、駆け引きで解放させるのが、お母様を救出する作戦への参同行条件という事ですか?」


「そうだ、最低限それくらいできなければ、邪魔でしかない足手纏いのエマを同行せせられない」


「……ジークには通用しませんでしたが、この砦にいる者達全員を、敵味方関係なく戦闘不能にして捕らえてもいいのですか?」


 おっと、俺が考えてもいなかった条件を出してきたな。

 その点は褒めてやってもいいが、今回は駄目だな。


「そういう方法も実戦では悪くないが、今回に限っては駄目だ。

 今回試しているのは、エマの決意と駆け引きだ。

 エマの魔術は俺自身が実際に受けてみて理解している。

 今回の救出作戦で問題になってくるのは、人質を取られた時に、慌てることなく状況を正確に理解し、味方に損害を出さずにアンジェリカ夫人を助けられるかだ。

 アンジェリカ夫人を人質に取られて、エマが俺達の邪魔をする可能性がある以上、戦闘の実力ではなく、精神力と狡さが必要になってくる」


「民を人質に取られた状態で、人質を殺されたくなかったら、ジーク達を殺せとか無力化しろとか言われた場合に、言い成りになることなく、逆に自分達が有利になるように、駆け引きできる力を試すと言うのですね」


「そうだ、エマの狡さと覚悟を試しているのだ」


 可哀想だが、エマはとても優しいからな。

 母親を人質に取られたら、俺達を殺さないまでも、身動きできなくしようとするかもしれない。


 そんな所を乳姉さんが見てしまったら、自分が足手纏いにならないように、自害してしまうかもしれないのだ。


 まあ、十中八九は俺を信じて時間稼ぎくらいしてくれると思うが、もう二十年近く会っていないのだ。


 性格が変わっている可能性がある。

 元々母性が強い人だったから、エマを守るために常軌を逸する事がないとは断言できない。


 男の俺には全く理解できないのだが、女性の、特に母親の母性は、時に理性や常識では計れない行動をさせる。


 理知的だった女性が、あまりにも非合理的な言動をするのを何度も見てきた。

 時に憧れてしまうほど、溢れる愛情で自分を犠牲にする。

 俺にはそんな所が全くないだけに、母性の塊である乳姉さんを助けたい。


「分かりました、駆け引きできるところを証明してみせます」


 そう言ったエマは先頭に立って砦に近づいて行った。

 エマだけを突出させる訳にはいかないから、俺達も前に出る。


 俺達が暴れている情報は砦にも伝わっていたのだろう。

 俺達を発見して直ぐに城門を閉じた。


 動きの素早さを見れば、それなりに鍛えられた守備隊なのは明らかだ。

 ここに来る途中、ぱたりとゴート皇国から来たと言う商人や旅人と出会わなくなったから、国境を完全に閉じたか、ゴート皇国人を全員捕虜にしているかだ。


「よく聞きなさい、砦の者達」


 エマは拡声魔術を使っている。

 戦場で鍛えた大声の持ち主でない限り、弓や弩の射程外から、砦に声を届ける事などできない。


「私はグダニスク公爵家令嬢のエマです。

 貴方達も知っているように、王子の罠に嵌められて殺されかけました。

 だから今の私とロイセン王国は戦争状態です。

 私がゴート皇国に行く邪魔をするというのなら、問答無用で殺します。

 殺されたくないのなら、城門を開いて通しなさい。

 それと、人質にしているゴート皇国人を全員解放しなさい」


 言うべき事は全部言えているが、脅しにはなっていない。

 これから脅すのだろうが、どんな方法でどれくらい脅すのかが重要だ。

 一度失敗してしまうと、敵がこちらを甘く見てしまう。


「もし一時間以内に解放しないのなら、人質になっている人々は可哀想ですが、砦を完膚なきまで破壊して一緒に殺します。

 巻き添えになられた人々の家族には、グダニスク公爵家とウラッハ辺境伯家が責任を持って保証します。

 そして私にそのような罪を犯させた砦の将兵には、一族一門を皆殺しにするという罰を与えて差し上げます。

 私の言葉に嘘がない証拠を見せて差し上げましょう。

 エリア・ファイア・ハリケーン!」

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