第22話:スタンピード(エマ視点)
神歴五六九年睦月十日:ゴート皇国との国境近く・エマ視点
「ヒィイイ、たすけて、助けてくれ!」
「逃げろ、逃げるんだ!」
「喰わないでくれぇえ!」
周囲は阿鼻叫喚の生き地獄になっています。
左側の森から現れたモンスターが、軍馬に繋がれた捕虜達に襲い掛かっています。
手足を喰い千切られている人はまだましな方で、中には既に喉笛を喰ら破られ、絶命しているとしか思えない人までいます。
「お嬢様、蘇生魔術はもちろん、回復魔術を使う事も許されませんよ」
無意識に蘇生魔術を使おうとしていた私をジョルジャが止めます。
思わず言い返しそうになったのですが……
「エマ、ここでエマが魔力切れで倒れられたら、俺が全力で戦えなくなる。
それに、王侯貴族は民を護る者だ!
モンスターから民を護るために存在するのだ。
民を護るための魔力を王侯貴族の為に使い、民を見殺しにする気か?
敵の力と自分の力を見極められないような奴に、母親を探しに行く資格はない。
今の実力で、捕虜を助けた後でモンスターを皆殺しにできると思っているのか?
自分が足手纏いになったせいで、母親を見殺しにする事になっても良いのか!?」
ジークに厳しく叱責され、思わず唇を噛んでしまいそうになりました。
公爵令嬢にあるまじき行為なので、必死で取り繕いましたが、お見通しだったのでしょう、更に厳しい視線で睨まれました。
恥かしく情けないです。
私、自分の事をもっと気高い精神の持ち主だと思っていました。
公爵邸での訓練では、理想していた姿、戦える公爵令嬢でしたのに……
お母様にもジョルジャにも、訓練と実戦は全く違う、と厳しく繰り返し言い聞かされてきましたが、甘く考えていました。
ここまで人間の本性を剥き出しにするモノだとは思っていませんでした。
全ての人に平等に慈愛を与える。
言葉にすればとても素晴らしく立派な事です。
ですが、お金も魔力も有限なのを、本当の意味で理解していませんでした。
後日用意すれば取り返しのつく平時の金銭と、その一瞬でなければ絶対に間に合わない、戦時の命の違いを全く理解していませんでした。
非常時における命の選択、トリアージ。
数々の実戦を潜り抜けてきた、お母様やジョルジャが何度も厳しく教えてくれてきたことなのに、全く身についていませんでした。
あのお優しいお母様でも、非常時には厳格にトリアージされるのでしょうか?
お母様だからこそ、されるのでしょうね。
こんな悔しい思いをしたくないからこそ、公爵夫人となられた身なのに、常に魔力鍛錬を欠かさなかったのですね。
「私は何をすればいいのですか?」
これ以上恥ずかしい姿を見せる訳にはいきません!
このままではお母様救出に同行させて頂けなくなります。
何より、私が足手纏いになった所為で、お母様を死なせる訳にはいきません!
「今回はエマにとって絶好の機会だ。
自分の強さを正確に把握したうえで、敵の強さを予測して最良の魔術を使え。
最初から自分だけでやらなくてもいい。
何処に、どんなタイミングで、どのような魔術を放てばいいのかは、ジョルジャに教えてもらえ」
ジークはそう言うと、もう私の事など全く相手してくれませんでした。
いえ、相手をする余裕などなかったと言うのが正確ですね。
一瞬の休む間もなく呪文を唱え続けたのですから。
ジークの呪文と共に、四方八方にいたモンスターが斃れていきます。
それほど高レベルの魔術を放っている訳ではありません。
範囲魔術ではありますが、単体ならレベル1やレベル2の魔術です。
ですが、魔力量だけでなく、正確さと圧縮度が全く違います。
高密度に圧縮された魔力が、的確にモンスターの急所を切り裂きます。
しかも、恐らくですが、モンスターの苦手な属性を放っています。
「お嬢様、そこ、エア・ランス」
「エア・ランス」
「そこ、ファイア・ソード」
「ファイ・ソード」
「そこ、ウッド・アロー」
「ウッド・アロー」
返事をする余裕もなく、ジョルジャが指示する場所にいるモンスターに向かって魔術を放ち続けました。
最初は気になっていた、喰い殺されていく人質達の事など、疲労困憊する中で魔術を放ち続けるうちに、全く気にならなくなりました。
それくらい集中していましたし、必死でした。
「お嬢様、一瞬の遅れが女子供を死なせますよ!」
時に集中が途切れてしまい、お母様やジョルジャ達が教えてくれた、無詠唱と詠唱を併用した高速魔術発動が遅れる事あります。
そんな時は、指示役をしているジョルジャが手伝ってくれるのですが、それが悔しくて悔しくてたまりません。
私が遅れたことで、本来なら王侯貴族が率先して助けなければいけない女子供に、死の恐怖を感じさせてしまっているのです。
モンスターから必死で逃げてきた女子供が、保護を求めてわたくし達の近くに集まってきているのです。
私の実力不足のせいで、女子供を死なせる訳にはいかないのです!
「お嬢様、彼らの夫や父親は、お嬢様を信じて遠くで戦っているのです。
彼らの信頼を裏切るような実力で、アンジェリカ様救出に同行しようなど、百年早いと理解なされませ!」
「おだまり!
「エア・ランス、ファイア・ボール、ウッド・アロー、ファイア・ソード」
意識が途切れそうなのを必死で繋ぎ止め、叱責の為に指示が遅れたジョルジャの鼻を明かそうと、立て続けに魔術を放ちました。
ですが、そんな行動は無意味でした。
ジョルジャ達に隙などないのです。
他の護衛達がキッチリと魔術を放っていました。
私が意地を張った所為で、魔力と魔術が無駄になってしまいました。
本来なら他のモンスターを斃せるはずだった魔力と魔術です。
魔術が干渉しあわなくて運が良かったです。
もし干渉していたら、無駄になっていたどころか、モンスターを斃せない場合や、とんでもない破壊力で味方を傷つける可能性すらあったのです。
「私の隙を補おうとされたのはとても良かったですよ。
ですが、私だけしか見れていないのは、まだまだ未熟な証拠です。
味方全ての行動を把握して、最善の行動がとれて一人前です。
ただ、今回は一人前になる事までは要求しません。
指揮官の命令に忠実に従える半人前で合格にして差し上げます」
ジョルジャを見返してやろうとしたせいでしょうか、精神的にも肉体的に疲労困憊になってしまいました。
ですが、ジョルジャが褒めてくれた事でもう少し頑張れる気がしてきました。
ジョルジャの指示が先ほどよりほんの少し遅くなりました。
その分魔力的にも体力的にもほんの少し楽になりました。
徐々に視界が狭くなり、ジョルジャに対する対抗心も苛立ちもなくなりました。
人質達の事など随分前に忘れてしまっていましたが、今では重荷のように気になっていた女子供に事も気にならなくなりました。
完全に女子供の事を忘れてしまったわけではありません。
何処に何人の女子供がいるのかは正確に分かっています。
新たに逃げて来る女子供の事も把握しています。
だからこそ、護るための魔術を唱え続けているのです。
自分で考えて放っている訳ではありませんが、ジョルジャの指示通り、間違える事なく正確に放てています。
私が呪文を唱えるテンポが徐々に遅くなっているのか、それとも逃げて来る女子供が増えてきている所為か、護衛達が放つ魔術が増えています。
もうどれくらい戦っているのか分からなくなってきました。
狭くなっていた視界が、いつの間にか広くなっています。
遅くなっていた詠唱のテンポが、ほんの少しずつ速くなっています。
今思い出せば、最初に放っていた魔術レベルはもっと低かった気がします。
それが今では、最初の頃よりも高レベルの魔術を放っている気がします。
いえ、間違いなく速いテンポで高レベル魔術を放っています。
「お嬢様、集中が切れていますよ!」
いけません、余計な事を考えてしまいました。
まだまだ未熟な私は、自分が与えられた役目以上の事を考えてはいけないのです。
背伸びをしてしまって、味方を危険に陥らせてはいけないのです。
私の失敗が、何の罪もない女子供を死なせてしまうのです。
助けようとしたお母様を死なせてしまうかもしれないのです。
良い所を見せようとした私の失敗を、お母様が補おうとされて、命を投げ出される姿が目に浮かんできました。
「エマ、よく頑張った。
スタンビートは完全に抑え込めたぞ」
私が意識を保てていたのはその言葉を聞くまででした。
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