或る王妃の証言〈上〉

 嗚呼ああわたしいとしの人は、冷酷無惨れいこくむざんう事を、不幸かな、ことごとあじわつくされて仕舞しまったのです!


 北の国から、あたかも湿った敷物しきものの下のかびの如く忍び込んで来た者は、何を隠そう、の悪魔に違い有りません。百年、二百年に一度の大災厄のおり、飢餓に苦しむ民共たみども無顧事かえりみることなく、酒池肉林、豪奢ごうしゃなる放蕩ほうとう沈湎ちんめんし、血と搾取とで凝固かためられた王宮において、性に惑溺し慾のままに身を任せたとう、十方八方じっぽうはっぽうを見渡しても二人とは居る舞い、大悪魔で御座ございます。


 嗚呼ああわたしの愛しの人よ。妾より激しくはぐくんだ娘が強奪され、慾深き悪魔の慰み者と成る悲しみを、あまりはなはだしき刀杖瓦石とうじょうがしゃくなんを、天上の神々に対しまして、天網恢々疎てんもうかいかいそにしてらしたとそしりたく思うほどで御座います。


 しかし、妾々わたしどもには、不倶戴天ふぐたいてんの敵を、地獄の底へと叩き堕としたもうと、無量無辺をべる神々へと祈るより他は御座ございません。妾の愛しの人に仕えた兵達つわものたちも、せんの戦で天の国へと昇り、はすうてなで、無念慚愧むねんざんきに震えてりましょう。


 嗚呼ああわたしの愛しの人を慕い忠誠をつくした兵達つわものたちよ! 汝等なんじら双眸そうぼうからこぼれる涙が何故、忘れ去られる事がろうものか! 聞け! 妾の愛しの人の慟哭どうこくを! 風は凪いでもの国の旗は敢然とひらめき、大砂漠を大龍の如く舞い、汝のかたきを討とうと、数千幾すうせんいくら兵々つわものたちうように北へ北へと進んで行くのを見られい!


 門前雀羅もんぜんじゃくらる王宮の庭を歩いてりますと、わたしの愛しの人が出陣する前々日ぜんぜんじつの事を、寂しくも思い出して仕舞しまいます。


 る日の事。妾の愛しの人は、房事ぼうじの後に眠ったわたくしに背を向けて、裸のまま窓の前の籐椅子とういすに座りまして、冷たき夜の底に沈みもくした砂漠の先を見つめてりましたので、わけを聞いて見ました所、形容しがたほど厭夢あくむを見たと云うので御座います。


 の夢と申しますのは、不倶戴天ふぐたいてんの敵での悪魔が慰み者とするわたしの愛しの人の娘が、父の授けた懐刀ふところがたなで、口惜くやし涙の房事の後、飽くなき慾に今宵も飽き足りようかおで眠っているの悪魔の脇腹はらを、命終めいじゅうさせるおつもりで突き刺したとの事。


 しかし、の悪魔は、妾々わたしどもとは別種べつ生物いきものですから、絶命するはずが無く、の世の者とは到底思えぬよう嗜虐しぎゃくの嘲笑を浮かべたかと思うと、天蓋てんがいの幕の裏に隠れて居た側近達そっきんたちに命じて、民々みなの見世物にした挙句、火刑かけいに致したとの事で御座ございます。


 裸体はだかまま聴衆みな眼前めのまえはりつけにされたわたしの愛しの人の溺愛あいする娘が、放射状に結ばれた蜘蛛の巣のような縄からじらなが蠕動ぜんどうして来る火炎ほむらに獣の如く絶叫し、おのれに待ち受ける宿命を、最期まで受け入れることが出来ぬままに、人々だれもが眼を背けざるをほどむごたらしく身悶みもだえする有様ありさまを、の大悪魔は、たまらないとような喜色満面の形相ぎょうそう哄笑こうしょうしてた――と、斯様かよう次第しだいなので御座います。


 かくの如きよしを聞いたわたくしは、口惜くやしき屈辱に涙を流す妾の愛しの人を、の胸に優しく抱いて、同じよう歔欷すすりないてりました。わたしたちは心身あいてを慰め合いながら、夜明けが来るのを待ち望んでたので御座います。

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