第二章「ハッピーで埋め尽くして その9」

 ある日の昼頃のことじゃった。

 ワシはいつものように村の業務をしておったのじゃが、突然玄関ドアがノックされた。

 急な来客かの?と思ったワシは何の警戒もなしにその扉を開いた。それもそのはず、こんな辺鄙な村に訪れる人間など、あまりおらんからの。

 扉を開けた先には…誰もおらんかった。

 いや、正確にはおったのじゃろう。気づけばワシの背後におったその化け物がその来訪者。

 扉を開けた瞬間、人間とは思えない速さで背後に回り込んでくる。そしてそのまがまがしい気配。すぐに魔族じゃと思った。

「騒ぐな。お前がここの村長か」

「な、なんじゃ。魔族がこんなところに、何をしに…」

「黙れ。お前に許されているのは、俺の質問にイエスかノーかで答えることだけだ。お前は村長だな?」


 ワシは、小さく頷いた。

 ワシの首肯をよしとした悪魔は、ワシにとんでもない質問を仕掛けてきた。

「この村には天賦の才、驚異的な祝福を授かった女がいると聞いた。そいつの情報を教えてもらう」

 瞬時に気づいた。こいつらはアルちゃんを殺すつもりなんじゃと。

 人間界侵攻の邪魔になる存在を、早めに潰そうとしているのじゃと。

 もちろん、ワシは断ろうとした。ワシの命に代えても。

 じゃが、次の悪魔の発言がワシを尻込みさせた。

「女の情報を教えなければ…当然、この村は終わりだ。この村の住民を全員殺せば、結果的にその女も殺せることになるからな。さあ、この村の長よ。一人の生娘をささげるか、この村を捨てるか、選べ」

 最悪の質問じゃった。

 こんなもの、ワシにアルちゃんを殺せと言っているようなもの。

 ワシは…この瞬間、自分の心を殺した。

 ワシは、アルちゃんを娘のように思っている。しかし、それと同時に村長でもあるのだ。

 この村を守るために、ワシはアルちゃんの情報を提示することに決めたのじゃ。


 また別の日に訪ねる、と言い残してその悪魔は去っていった。

 それからその悪魔が再び村に来るまでの間、ワシは助けを求めるため王都を奔走した。アルちゃんを助けるために、そして村民に危害が加えられないように、ワシはできる限りのことを尽くした。

 しかし、どこへ行っても返ってくる返事は「もはや村を一つ救うほどの余裕はない」というものじゃった。

 どうやら、ワシらが思っている以上に人間対魔族の戦いは熾烈さを極めておったようじゃった。

 そしてせめてもの対抗策として導入したのが、あの魔除けの箱じゃ。あれは王都のバザールで売りに出されたものではあったが、下級魔族に効く香が入っているとのことじゃったから、購入したのじゃ。


 そして数日後、例の魔族が再びワシのもとを訪ね、アルちゃんの情報を要求してきた。

 村民帳からアルちゃんのページを探して、そいつに見せた。

 もうワシは神に祈るしかなかった。どうか、アルちゃんを救う奇跡が起こりますようにと。

 しかしその日の午後、なんとアルちゃんが見知らぬ男を連れてきたんじゃよ。

 しかも転生者だという。そう、君、シン君のことじゃな。

 ワシは奇跡じゃと思った。転生者は強大な祝福を持って来るのが定説じゃったから、まさにアルちゃんを救ってくれると思ったんじゃ。

 じゃが、そんな君は、祝福を持っていないと言い出したよの。それはもう大層ショックじゃった。


 そこからはもう、君の知っている通りじゃ。

 ワシの持ってきた魔除けの箱では太刀打ちできない上級の魔族が、森に侵入してアルちゃんを狙って殺した。

 これが…真実じゃ。

 ワシがアルちゃんを殺してしまった…。そう、これが真実…。


 すべてを話し終えた村長は、力尽きたように俯いた。

 きっと、涙を流すまいとこらえているのだろう。

「………なんだよ、それ」

 ふざけんなよ。なんだよ、その話。そんな不幸話をして、俺を同情させようとしてんのか?仕方がなかったって、言いたいのか?

「ふざけんじゃねえ!」

 俺は、再び村長の襟元を掴み、叫んだ。

 しかし、村長の顔には、もう怯えの色は無かった。

「まだだ!これまでの話が、全部嘘の可能性だってある!だって、魔除けの箱が下級魔族にしか効かないんだったら、お前が上級魔族だったらつじつまが合うもんなあ!」

「シン、もうやめなさい!」

「だから村長、お前は死ななきゃいけないんだよ!お前は悪魔なんだから!アルを殺したんだから!」

「…そうじゃ。ワシは、悪魔なんじゃ。もう、ワシを楽にさせてくれんか…」

「ああ、殺してやるよ。お前みたいな悪魔なんて!」

「シン!!」


 振り下ろした俺のこぶしは、村長の顔の目の前で止まった。

 …俺は、村長を殴れなかった。村長を、殺すことはできなかった。

 だって…みんな、被害者だから。

 このこぶしを向けるのは、村長じゃないから。

「ちくしょう…。ちくしょおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 いくら叫んだって、アルは戻ってこない。

 いくら泣いたって、アルは戻ってこない。

 それでも。

 俺は泣き叫んだ。

 村長とマアムさんも、みんな泣いていた。

 アルは…どうなんだろうか。

 アルには、笑ってほしかった。

 そんな葬儀にしたかった。

 でも、こんな世界じゃ…。

 空には黒い雲がかかり、雨が降り始める。

 俺たちの涙を、雨が洗い流していった。

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