第51話 夢


 本屋で精霊関係の本を購入したティナは宿に戻ると、そっと音を立てないように階段を登り、静かに部屋の扉を開けた。


 もしかして精霊が起きてレリーフから出ているかもしれない、と思ったティナだったが、残念ながら部屋に精霊の姿はなかった。


 早々に帰るつもりが、美しい街並みと自然に魅了されたティナは、あちこちと寄り道をしてしまい、帰って来るのがすっかり遅くなってしまったのだ。

 すでに精霊はどこかへ行ってしまったかもしれない。


「ねぇアウルム。精霊さんはまだレリーフの中かな?」


『うーんとねー。寝てるみたいだよー』


「本当? よかった」


 まだ精霊が眠っていると聞いたティナは、今度こそ機会を逃さないようにと、今日は部屋に篭ることにした。


「私は食事まで本を読んでいるけど、アウルムは?」


『ぼくはねるよー。ごはんになったら起きるよー』


 アウルムも一緒に街を歩き回ったからか、少し疲れたようだ。

 ベッドの隅の方で丸くなったアウルムは、早々に眠ってしまう。


 ティナはアウルムが眠ったのを見届けると、買って来た本を魔法鞄から取り出した。

 先程買った本は五冊で、その中からティナはクロンクヴィスト王国の建国神話を読もうと決めた。


 革張りの表紙には『エーレンフリートと精霊の旅』と描かれている。


「エーレンフリートって人が初代国王様ね。この人がトールのご先祖様かぁ……」


 挿絵に描かれているエーレンフリートを見たティナは、トールのことを思い出す。

 エーレンフリートの髪色は黒ではなく茶色だが、金色に着色された瞳を見ると、どうしてもトールのことが頭から離れないのだ。


「……どうしよう。全然お話が頭の中に入ってこないや」


 夜になるまで読書をしようと思っていたティナだったが、何となく出鼻を挫かれた気になってしまう。


「……あぁ〜〜。どうしようっかな〜〜……」


 なるべく思い出さないようにしていたのに、トールのことばかりが頭に浮かんでくる。

 ティナは机に突っ伏して、足をジタバタと動かした。


(酷い言葉を投げつけて逃げた私を、トールは許してくれるかな……って、トールなら許してくれそうなんだよなぁ……)


 ティナが誠心誠意謝れば、優しいトールは笑って許してくれると思う。


(だけどその後は? 婚約の話が出ているトールに会いに行ったら迷惑じゃない?)


 以前ロリアンの宿で聞いた噂話が、今だにティナの心に引っかかっている。


(婚約者がいる王子様に会いに来た冒険者の女……。誤解されるよねきっと……)


 ティナにその気がなくても、周りの人間はトールの元恋人らしき女が自分を取り立てて貰おうとやって来た、と勘違いするかもしれない。


 机にうつ伏せになったまま色んなことを考えていたティナは、だんだん眠くなってしまう。


 そうして、うとうとしていたティナは、そのまま寝落ちしてしまったのだった。





 * * * * * *





 ティナは気がつくと暗闇の中にいた。


 不思議なことに闇の中にいるにも関わらず、恐怖心は全くない。

 

 きっとこれは夢なのだと、ティナは何となく思う。


 ティナがぼんやりと佇んでいると、どこからともなく小さな光が飛んできた。


 その小さな光はとても弱々しく、今にも闇に溶けてしまいそうだった。


 そんな小さな光を可哀想に思ったティナは、小さい光を助けてあげたくなった。


 ティナは小さい光をそっと両手で包み込むと、自身の魔力を注ぎ込んだ。


 すると、消えそうだった光は輝きを取り戻し、小さかった光も大きくなった。


 ティナはそんな様子に、光が元通りになったのだと何故か理解した。


 元気になった光は、嬉しそうにティナの周りをくるくる回ると、すうっと飛んでいって消えてしまった。


 光を見送ったティナは、光が行きたかった場所へ向かって飛び立ったのだ、とわかり嬉しくなったのだった。





 * * * * * *





『ティナー! 起きてー! ごはんよー!』


「……ふぇっ?! え? ご飯……?」


『そうだよー! 外に人がいるよー!』


「え? 人?」


 アウルムの言葉の意味をティナが理解する前に、部屋の扉がノックされた。


「だ、誰っ……?!」


「あっ! あの、食事の用意が出来ましたけど……っ」


 ティナが警戒しながら返事をすると、戸惑った女の子の声が聞こえてきた。どうやらルリが食事の用意が出来たと伝えに来てくれたようだ。


「え、あ、ごめんなさい! すぐ行きますね」


「はい、食堂に来られたらお声掛けくださいね」


「うん、有難う」


 ルリが去って行く気配を感じながら、ティナは自分が寝ぼけていたことに気づく。


(あー、びっくりした。神殿から追っ手が来たのかと思ったよ……)


 思わず出た鋭い声でルリを驚かせてしまい、申し訳なく思う。


 アレクシスとトールと決闘した日から考えると、とっくに彼から自分の話が神殿に伝わっているはずだ。

 大神官オスカリウスはティナの意を汲んでくれるだろうが、聖国の他の神官たちはティナを逃すまいと、追ってくる可能性が高い。

 クロンクヴィストにいる間は彼らも手を出してこないだろうが、それもいつまで持つかわからない。


 ティナは固まった身体をほぐすように、大きく伸びをするとアウルムに言った。


「アウルム、起こしてくれて有難うね。ご飯を食べに行こうか?」


『わーい! ごはんー! ぼくおなかすいてたのー!』


 ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶアウルムにほっこりしながら、ティナは何かを忘れているような違和感を覚える。


「うーん、何だろ? 何か不思議な夢を見たような……」


 夢の内容は忘れてしまったみたいだったが、気分が良いのできっと、楽しい夢だったのだろう、とティナは思うことにした。


 気を取り直したティナはアウルムと一緒に食堂へ向かい、チーズをふんだんに使った料理を堪能する。


 とろけるチーズがたっぷりと乗ったステーキは絶品で、いくらでも食べられそうだ。


 この村から出る時、チーズを大量に買っていこう、とティナは心に決める。


 そうして、美味しい料理の余韻に浸り、まったりしているティナに、たくさん肉を食べて満足したアウルムが言った。


『ティナー。明日はどうするのー?』


「そうだよねぇ。明日は森の方へ行ってみようと思うんだけど……。アウルムはどう思う?」


 もし今日も精霊を見ることが出来なかったら、その時は諦めてこの宿を出よう、とティナは考える。

 とても居心地がいいし料理が美味しいから、正直しばらくこの宿に泊まりたいと思ってしまうけれど、今優先すべきは月下草の栽培地探しなのだ。

 それに聖国からの追っ手にも注意しなければならないから、なるべく早くここを出発した方がいいだろう。


『ぼくはティナと一緒にいるからー。どこでも良いよー』


 アウルムはティナが行く場所について行くと言う。


「そう? じゃあ、予定通り森に行こっか。お肉とチーズをいっぱい買わなくちゃね」


『わーい! ぼくチーズ好きー!』


 ティナがチーズを買うと言うと、アウルムが尻尾を振って喜んだ。かなりチーズを気に入ったらしい。


「ふふ、明日は買い物しなきゃいけないし、早く起きないとね。今日は精霊さんに会えるかなぁ……」


 今日は本を読みながら寝てしまったから、目はぱっちりと冴えている。だから今晩なら遅くまで起きていられたのに……と、思うと、すごく残念だ。


『あれれー? ティナは精霊とまだ会ってないのー?』


「え? うん、まだ会ってないけど……?」


『そうなのー? でも、ティナから精霊の匂いがするよー?』


「えぇっ?! 嘘っ?! ホントに?!」


 アウルムから精霊の匂いがすると言われ、ティナはひどく驚いた。


『ほんとだよー! ぼくうそつかないよー!』


「ごめんごめん、今のは驚いただけだから。アウルムが嘘つきだなんて思っていないからね?」


 言葉の通り、ティナはアウルムが嘘をついているなんてこれっぽっちも思っていない。

 しかし、精霊に会った記憶が全く無いティナは、思わず困惑してしまう。


「とりあえず部屋に戻ろっか。部屋に精霊さんがいるか教えてくれる?」


『わかったよー』


 ティナが部屋に戻り、中を見渡してみるも、特に変わった様子はない。

 アウルムがくんくんと匂いを嗅いで調べてくれているので、ティナは黙って見守ることにした。


『精霊はここにいないよー』


「えぇ〜。そっか〜〜。残念……」


 ティナはアウルムの言葉にがっかりした。

 きっとティナたちが眠っている時か食事をしている時に、部屋から出てしまったようだ。


『でも元気だよー。弱かったのにねー』


「んん? どういうこと?」


『えっとねー。小さかったのが大きくなったみたいなのー。匂いが大きいからー』


「え? え?」


 アウルムは精霊の様子を匂いで判断しているらしい。そして小さかった匂いが大きくなっているから、弱っていた精霊が元気になったのだと思ったようだ。


「……そっか。じゃあ、精霊さんは元気になったから、どこかへお出かけしに行ったのかな?」


 ティナは弱っていた精霊が元気になった、と聞いて安心した。アウルムから弱っていると聞かされ心配していたのだ。


 それからティナは本を読みながら、精霊が戻ってくるのを待つことにした。


 さっき読もうと思った建国神話は、トールのことを思い出してしまうので最後に読むつもりだ。


「えっと、どれにしようかな……? 『精霊の伝承とその実態の考察』にしようかな?」


 どの本を読もうか悩んでいると、本の中に精霊の生態について考察しているものがあった。

 何となく手に取った本だったが、その内容を読んだティナは「なるほど! そうなんだ!」と納得することが出来た。


 その本には、『精霊は自然豊かな場所にいるが、たまに好奇心が強い精霊が街に降りてくることがある。しかし、自然が少ない場所に長く留まることが出来ない精霊は徐々に弱ってしまう。そんな精霊が休めるよう、人々は家に止まり木となる物を置くようになった』と、書いてあったのだ。


 この宿にいた精霊もきっと、好奇心が強くて街に来たものの、弱ってしまい元いた場所に帰れなかったのだろう。

 だけどアウルムが元気になった、と言ってくれたから、精霊は自然溢れる森の中に帰ったのだとティナは思う。


 そうして、ティナは本を読みながら精霊が戻ってくるのを待っていたが、結局その日の夜に精霊が戻ってくることはなかったのだった。




 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!

久しぶりの更新となりすみませんでした!


次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ

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