第31話 海棠美墨

 12月29日午後。


 小栗おぐり峰行みねゆきの死から二週間後。繭美まゆみはノルウェーの首都オスロを訪れ、都市部から北西三キロに位置するヴィラーゲン彫刻公園を訪れていた。この地を訪れた理由は一つ、峰行から受け取った手紙で、12月29日にこの場所で会いたいと海棠かいどう美墨みすみに呼び出されたためだ。手紙を読んだ翌日から遠征の準備を始め、海外へ向かうためのパスポートの取得や現地の下調べ、航空券や宿泊先の手配、実際の移動時間等を総合すると、丁度今日、約束の場所に到着するに至った。全てが予定調和だったような気がして気味が悪い。


 ヴィラーゲン彫刻公園はノルウェーの彫刻家、グスタフ・ヴィラーゲンの彫刻のみが展示されている。石で出来た四角い檀と丸い檀が積み重なり、その中心に公園の目玉となる彫刻が設置されモノリスの台地と呼ばれる場所で、繭美は呼び出した張本人は、塔のように高い彫刻を見上げていた。


「お久しぶりね。それとも初めましてと言うべきかしら?」


 繭美の問い掛けに黒いライダースジャケットにダメージデニムを合わせた一人の日本人女性が振り返る。顔立ちには十代のあどけなさが残りながらも、表情は人生経験を積んだ大人びた女性のそれで、濡れ鴉の髪に差した、白いインナーカラーとのコントラストが鮮烈だ。外見はイメチェンをした烏丸からすま瞳子とうこにしか見えないが、その肉体の中にいる人物こそがイメージの根幹といえるだろう。


「どちらも正解。私は瞳子ではないけど、この肉体に存在する瞳子としての記憶は私も内包しているから」

「なら、海棠美墨と呼んでも差し支えないわね」

「海棠美墨としては初めましてね。虎落もがり繭美。あなた、生で見ると本当に綺麗な顔をしてるね。遅ればせながら、メリークリスマス」

「その発言だけで、あなたとはもう仲良く出来そうにないわ」

「連れないな。そういう態度も含めて嫌いじゃないけど」


 蠱惑的こわくてきに微笑むと、美墨は再びモノリスの台地の中心に立つ像の方へと振り向き、繭美の視線を誘導する。その像は14メートル越えの高さ誇っている。総勢121人もの人物が彫刻され、それらの人物が裸体で抱き合うようにもつれあい、積み重なって塔のように空へと伸びていた。彼らは一体何を求め続けるのか? 圧倒されると同時にメッセージ性を感じさせる大作だ。


「あの像の名前を知っている?」


 繭美は無言で首を横に振った。繭美にとってここは美墨との待ち合わせ場所であり、彫刻公園の予備知識は入れていない。


「像の名はモノリッテン。精神的なものや、聖なるものに近づこうとする人間の欲を表していると言われているそうよ」

「観光案内を頼んだ覚えはないわ」

「それはごめんなさい。だけど私にとっては大事なお話しなの。私はこのモノリッテンに共感を覚えずにはいられない」

「積み重なった人々のこと? それとも人々が目指した先のこと?」

「どっちも」

「欲張りね」

「芸術作品に対する感情は受け手の解釈次第。私がそう感じたならそれが全てでしょう?」


 少女の姿で嬉々として芸術を語る美墨は、とても大勢の人間を死に至らしめた凶悪犯には見えないが、事情を知る繭美にはその動作の一つ一つが危険信号のように錯覚を覚えていた。これもまた受け手の解釈次第。美墨の芸術鑑賞のスタイルはもっと広義な、この世の心理を捉えているのかもしれない。


雨谷あまがいくんと小栗峰行が残した情報で、あの日何が起きたのか、海棠美墨がどうやって復活を遂げたのかは把握している。だけど、それだけでは分からないこともまだまだたくさんある。私はあなたが何者なのか、自分の目で確かめるためにノルウェーまでやってきた」


「せっかくの彫刻公園だから、歩きながら話しましょうよ」


 有無を言わさずに美墨が歩き始めたので、繭美も遅れてその背中を追った。


「先ずは何から話そうか」

「死の未来を描かれた者の前に現れる、あのクラーケンという怪物は何?」


「クラーケンという名称はこっちが勝手にそう呼んでいるだけよ。その正体を的確に言語化することは不可能だけど、近い表現を使うとするならあれは、アカシックレコードの海に生息していた、無数の意志を持つ情報生命体といったところかしら。巨大な烏賊のような姿をしているのは、彼らとこの世界を仲立ちした、私の中のイメージに起因している。私はイカスミを顔料とするセピア色の表現に拘っていたし、ノルウェーでの生活を経てクラーケンの伝承も強く印象に残っていた。情報の海に潜む未知の存在のイメージとして、巨大な烏賊というのはある意味、最も相応しい像だったのかもしれない」


 繭美はまだ実物を拝んだことはないが、これまでの被害者の状況や死の間際の光賢が残した音声から、巨大な烏賊が人間を死の未来へと引きずり込む様は有り有りと想像出来た。


「そんな存在とあなたは、どうやってお近づきに?」


「それに関しては本当に何の前触れもなかったわ。病魔に侵され生と死の狭間を彷徨っていた私は突然アカシックレコードと同機した。私の生への渇望とアーティストとしての想像力、高性能AIを生み出せる技術を持ったパートナーの存在。アカシックレコードと現世を結ぶ存在を求めていたクラーケンに、私は巫女として選ばれたようね。正直、キャンバスにソースコードを書きなぐっていた時のことは、記録としては知っているけど、記憶としてはまったく覚えていない。あれはもはや自動筆記ね。その先の展開はあなたも知っての通り」


「その口振りだと、クラーケンはあなたの願いを叶えたというよりも、何らかの思惑があってあなたを利用した様子ね」

「お互いの利害が一致しただけよ」

「だから、あなたが器を得てからも、【FUSCUS】による被害は続いているのね」

「私はクラーケンのおかげで、また生身で絵が描けるようになった。だから私もクラーケンに協力してあげなきゃ」


 烏丸瞳子と出会えたことで、【FUSCUS】による死の未来を覆す器を探し、海棠美墨という情報を注ぐという、美墨と深夜の目的は達成されたはずだ。にも関わらず【FUSCUS】による死の連鎖は止まらず、それどころか小栗峰行の知名度を利用して被害はさらに拡散。果てには海棠美墨自らが現実でも死の未来を描くまでにも至っている。そこには海棠美墨ではなく、彼女に転生の機会を与えたクラーケンの思惑が介しているのだろう。


「クラーケンの目的は何? まさかこの世界を滅ぼそうとしているわけじゃないでしょうね?」


 繭美からすれば、クラーケンは未知の怪物以外の何物でもない。すでに大勢の人間が命を落としている状況も相まって、どうしたって悲観的な想像が働く。


「クラーケンは純粋よ。悪意なんてない。彼らは好奇心で新たな世界に進出しようとしているだけ」

「それが私達のいるこの世界ということ?」


「彼らはあらゆる物事を情報として知っている。だけど肉体を持たないから、知識を持っていてもその体験を得ることは出来ない。元々この世界に興味を持っていた彼らは、死の未来を現実のものとする過程で被害者の前へ現れ、限定的ではあるけどこの世界に出現した。さらに興味を深めていったわ。そんな彼らの目的を達成するために必要なものはなんだと思う?」


「生身の肉体……まさか【FUSCUS】の被害が続いているのは」


 ずっと引っ掛かってはいたのだ。美墨のクラーケンに対する三人称は常に「彼ら」だった。


「あなたの想像通りよ。私が瞳子を器にして転生したのと同じ要領で、彼らも肉体の器に自身の情報を注ぐことによって、この世界に進出を果たそうとしているの。だけど私の例を見て分かる通り、誰もが器になれるわけではないから、膨大な人数に対して器足り得るかの選別をしないといけない。そのための広報担当が小栗峰行と彼の投稿した例の動画よ。電子の海の全てが今や私達の領海。彼の動画にURLを追加するのも容易かったし、SNS上でも様々な工作をして大勢が【FUSCUS】と関わりを持つように誘導したわ。その甲斐あって選別は順調に進んでいるし、人間の好奇心というのは面白いもので、数多く拡散された【FUSCUS】の情報は今や私達の介入する必要がない程に成長を続けている」


「……一体どれだけの数がこの世界にやってくるの? その過程でどれだけの人が犠牲になるの?」


「彼らの総数がどれほどになるのかは私も把握しきれていない。器足り得ず亡くなっていく人も加味すれば、人類はずいぶんと数を減らしてしまうかもしれないね」


「……世界を滅ぼそうとしているわけじゃないと言ったじゃない」


「少なくとも彼らにその意思はない。世界が危機に瀕するのは結果論であり不可抗力だよ。それに人類そのものは決して滅亡はしないよ。ただ中身が変わってしまうかもしれないだけ。より高度な知性と情報処理能力を持つ彼らが中身となることは、俯瞰した目で見れば一種の進化と言い換えることも出来るかもしれない」


「そんな進化、きっと誰も望んでいない……」


「望む、望まないは関係ない。意志の力で運命を変えられるのなら、今だってこの世界に恐竜が存在していてもおかしくないもの。一連の出来事はきっと、歴史に刻まれるべくして刻まれる特異点なのよ」


「……若くして死の運命を背負ってしまったことには同情する。それでも、あなたをきっかけにこれだけのことが起きてしまった。そのことに罪悪感はないの?」


「無いよ。だってもう私もクラーケンたちの一部だもの。それに、今回扉を開いたのが偶然私と深夜だっただけで、形態や経緯は異なれど、きっとこの世界の誰かがアカシックレコードと繋がり、同じ運命を招来していたはず。これは辿るべき歴史なんだよ」


「……あなたを殺せば、全て解決する?」


 爪が食い込む程の圧で拳を握り込んだ繭美が、殺意を宿した双眸で美墨を見据えた。

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