第30話 小栗峰行

「……雨谷あまがいくんにアトリエの所在を教えたのもあなたなのね?」


 亡くなった光賢こうけんがアトリエに到着する前、最後に通話した相手は峰行みねゆきだった。スケジュールによると本来この日は海棠美墨の母校の恩師を尋ねる予定だった。それを突如変更して房総に向かったのなら、そのきっかけは峰行以外には考えられない。


「雨谷光賢にアトリエの住所を伝えろ。それが海棠美墨が提示した情報提供の条件の一つ――」


 言い終えるのを待たずして、繭美は平手で峰行の頬を張った。これまでは辛うじて己を律してきたが、光賢の名前が出た瞬間、抑えが利かなくなった。


「やっぱりあなたの仕業だったのね。あなたのせいで雨谷くんは!」

「……そうですね。光賢さんの死の責任は僕にある。だけどあれは不可避の未来でもあった」

「よくそんな口が利けたわね!」


 繭美は堪らずソファーから立ち上がり、身を乗り出して峰行の胸ぐらを掴み上げた。


「……自分を正当化しようとは思いません。ですがあの時点で光賢さんはすでに【FUSCUS】に死の未来を描かれていた。仮に僕が関与しなかったとしても、経緯が異なるだけで光賢さんはあの日、あの時間、あのアトリエに居合わせていたに違いない。そもそも僕は光賢さんにアトリエの場所を教えはしましたが、何も他の人には内緒だと口留めしたわけではない。誰にも何も言わずに単身でアトリエに向かったのは光賢さん自身の意志です。それも含めて運命だったんですよ」


 繭美は鬼の形相で峰行を睨み付けながらも、口は真一文字に結んだままだった。峰行の言う通り、確かに彼は情報を与えたが、そこから先の判断は全て光賢の自己責任だ。それで何かが変わったかは別として、彼は繭美や他の誰かと協力する選択肢もあったのに、復讐心が彼を単独行動へと導いた。それも繭美が行動を起こすほんの数時間前に全てが動き出した。峰行に同意するのは不本意だが、確かに全ては非常な運命のレールの上だったとしか思えない。


「光賢さんとは友人同士とのことでしたが、虎落もがりさんにはそれ以上の感情がおありのようだ」

「……それ以上は何も言わないで。本当にあなたを殺してしまうかもしれない」

「あなたに僕は殺せませんよ」


 不敵な笑みを浮かべた峰行は繭美の手を振り解くと、乱れた襟も直さずに部屋の隅へと向かった。壁には大きな板状の物体が立て掛けてあり、埃除けの布が被せられている。


「僕の死の運命はもう決まっているが、それは少なくともあなたの手によるものじゃない」


 峰行が布を勢いよく剥がすと、キャンバスに描かれた一枚のセピア調の絵が姿を現し、それを見た繭美は絶句した。その絵は凄惨な死に様を描いているが、それが誰なのかは絵を見ただけでは判別がつかない。何故ならその絵は炎の中で息絶えた、焼け焦げた焼死体を描いていたからだ。これまでの画像データとしての【FUSCUS】とは毛色が異なるが、実物のこの絵もまた、明確な死の臭いを纏っている。


「まさかこれは、あなたの未来なの?」


「どうやらそのようです。大炎上した動画投稿者の最期が焼死なんて、皮肉なものですよね。これが僕の未来なら、虎落さんがこの場で僕を殺さないと確信するのも納得でしょう?」


「どうしてこんな絵をあなたが持っているの?」


「先日、僕の滞在するこのホテルに、烏丸からすま瞳子とうこから届いたプレゼントです。いや、それはがわだけで今の彼女は海棠かいどう美墨みすみか。ご丁寧にこの絵は僕の死相を描いた絵だという旨を伝える手紙まで同封してくれましたよ。お疲れ様と書いてあったし、こうして実物の絵を仕上げてくれたのは彼女なりの感謝の表れなのか。それとも生身の器を得たことが嬉しくて描かずにはいられなかっただけなのか」


「今や彼女は、未来の私というキーワードを必要とせずとも、意志一つで現実世界で同等の絵が描けてしまうのね……」


 まだ詳細は把握しきれていないが、瞳子の父、典司てんじが亡くなったのも同じ手口によるものだったのだろう。彼自身が【FUSCUS】を利用したとは考えづらかったが、娘名義でこうして実物の絵が届いたと考えれば色々と辻褄が合う。


 器を得た海棠美墨というのは当初の予想以上に危険な存在のようだ。これまでは【FUSCUS】や、そこで【未来】というワードを使わなければ巻き込まれることは無かったが、これからは烏丸典司や峰行のように、自らの意志に関わらず、美墨から一方的に死の未来が送り付けられることも起こり得るわけだ。実際に絵を描く時間が必要になる代わりに、今の彼女は人相だけで人を殺すことが出来る。


「彼女にとってあなたはもう用済みということ?」


「最後の有効活用のつもりなのかもしれませんね。今の僕は影響力を失っているが、あんな前代未聞の大炎上を起こした人間がセンセーショナル死に方をすれば、再び話題は再燃する。僕は燃料として投下された末に燃え尽きるというわけだ」


 苦笑顔を浮かべながら、峰行は肩を竦めておどけてみせた。


「強がりとはいえ、よく笑顔なんて作れるわね」


「強がりというよりは諦観ていかんですかね。死の運命を描かれた人間の末路は誰よりもよく知っている。烏丸瞳子のようなケースもあるが、あれだって死とほぼ同義だ。もうどうしようもないじゃないですか」


「だから私に連絡をしてきたのね」

「はい。限りなく近い将来、僕は確実に死にますので、虎落さんに会うのなら今の内にと思いまして。渡したい物もありましたし」

「渡したいもの?」


 立ち上がった峰行が、デスクの引き出しからUSBメモリと一通の手紙を持って戻って来た。


「USBの方は、海棠美墨が僕に提供した【FUSCUS】に関するデータです。炎上で結局投稿出来ませんでしたが、動画の後編で触れる予定だった、より詳細な情報も保存されています。今の僕よりは虎落さんの元にあった方が有意義でしょう」


「この手紙は?」


「絵画には二通の手紙が同封されていました。一通は僕宛て。そちらは虎落さん宛てです。しゃくですが、僕が虎落さんにその手紙を渡すことも、海棠美墨の描いた筋書き通りなのでしょうね」


 繭美は峰行から受け取った手紙とUSBを着ていたジャケットの内ポケットにしまった。


「データと手紙の提供には感謝する。他に何か話しはある?」

「僕の方からは以上です。少々名残惜しいですがね」

「私は別に」


 突き放すようにすぐさま踵を返すと、繭美は足早に扉の方へと向かっていく。

 本音では心細さを感じていた峰行だが、過ちを犯した自分には繭美を呼び止める権利はないと、寂しそうにその背中を見送る。


「小栗峰行。最後に一つだけ言っておくわ」


 ドアノブに手をかけた繭美がその場で立ち止まった。


「あなたを殺してしまうかもしれないと言った人間が言えた義理ではないけど、私も最後まで事件を追い続けるから、あなたも諦めずに最後まで死の運命に抗い続けなさい。全てが海棠美墨の掌の上だなんて癪だもの」


「虎落さん……」

「さようなら。機会があったらまた会いましょう」


 最後にそう言い残し、繭美は峰行が滞在するホテルのスイートルームを後にした。


 ※※※


 三日後。人気動画投稿者「クリオネさん」こと本名、小栗峰行の焼死体が発見された。


 遺体が発見される前日。峰行は滞在先を変えるためにホテルをチェックアウトし、地下駐車場へと下りたところを突然三人組の男に襲撃され、そのまま男達が乗って来たバンに拉致される事件が発生していた。警察は峰行の行方を追っていたが、翌日には峰行を拉致した三人組が近隣の警察署へと出頭し、峰行の殺害を自供。供述に従い犯人の一人が所有する山奥の別荘の敷地内を捜索すると、深い穴が掘られていて、その中で倒れる峰行の遺体を発見した次第だ。峰行は犯人たちから激しい暴行を受けた末に穴へと突き落とされ、穴の中に投下された火に、生きたまま焼かれていったという。


 峰行を殺害した三人組は、全員が家族や恋人を【FUSCUS】に死の未来を描かれたことで亡くした者たちだった。彼ら彼女らは「クリオネさん」の大ファンであり、彼が投稿した動画を経由して【FUSCUS】と接触し、命を落としている。


 あの動画が無ければ大切な人を喪うことは無かった。復讐心を募らせた三人は小栗峰行の殺害を計画し、この三週間の間ずっと動向を探っていたようだが、峰行は徹底的に足取りを消していたため、素人の集まりである三人組は消息を掴むのに苦戦していたようだ。そんな彼らが今回襲撃を成功させた経緯について、犯人の一人はこう供述している。


 早朝になって急に見知らぬアドレスからメールが届き、『この時間、この場所で、確実に小栗峰行と接触できる』という触れ込みの元、詳細な時刻と場所が記載されていたであろう。すでに腹を括っていた三人は藁をも掴む思いでメールの指示に従うと、本当に峰行と遭遇し、温めて来た復讐計画を実行に移したそうだ。


 全ては海棠美墨の掌の上である。

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