第2話 FUSCUS

 10月16日夕刻。


「FUSCUS(フスクス)。これで合ってる?」

「合ってるよ。安全なサイトだから開いても大丈夫」


 高校二年生の烏丸からすま瞳子とうこと友人の佐藤根さとね雪菜ゆきなは、瞳子の自宅のノートパソコンで、【FUSCUS】という名称のAI画像生成サービスのサイトを閲覧していた。お互いに顔を近づけて画面を覗き込む、黒髪ロングの瞳子と、ブリーチしたショートヘアが印象的な雪菜のコントラストが鮮烈だ。


 画像生成AI――俗にいう絵を描くAI。


 キーワードを入力すると、その内容に沿った絵をAIが瞬時に描いてくれる。AIが書いたとは思えないハイクオリティと誰でも利用できるという気軽さから、近年はSNSや動画投稿サイトなどで話題が沸騰している。


 AI画像生成サービスは幾つも存在しているが、今回利用する【FUSCUS】はまだ世に出て間もないマイナーなサービスだ。日本国内向けを意識した完全日本語対応と、ある画風に特化していることが最大の特徴である。その画風の部分が瞳子の趣味にはまるだろうと考え、雪菜は今回この【FUSCUS】を紹介したのだ。


「凄くお洒落なデザイン」


 開いた【FUSCUS】のサイトは、自然や建造物など描いたセピア調の絵画が、スライドショーで切り替わっていく仕様だった。説明文によると、これらの絵画も実際に【FUSCUS】を利用して描かれた作品の一例なのだという。このセピア調の仕上がりこそが、AI画像生成サービス【FUSCUS】の最大の特徴だった。セピア調の落ち着いた色彩はどこかノスタルジックな雰囲気を演出し、色彩鮮やかな作風とはまた異なる魅力を発揮している。【FUSCUS】はセピア調の彩色に特化することで、その方向性に関しては他の追随を許さない独自性を誇っているのである。


 絵に造詣が深い瞳子は、敬愛する画家がセピア調の作品に拘りを持っていたこともあり、こういった雰囲気の作品を好んでいた。正鵠せいこくを射た雪菜のチョイスは、流石は親友といったところである。


「早速試してみなよ。気に入ったら保存も出来るみたいだし」

「キーワードを打ち込めばいいんだっけ?」


「複数のキーワードを打ち込むと、より絵が具体的になるよ。例えば単に【自然】と打ち込むんじゃなくて、【自然】、【湖】、【鹿】とかにするとシチュエーションがはっきりするでしょう。単発のキーワードだと逆に選択肢が多すぎて上手くいかないことが多いかな。一口に【自然】と言っても、海から山に至るまで何でもありになっちゃうし」


「ネットの検索と同じ要領ってことだね。私だったらこんな感じかな」


 助言を受けて、瞳子は【FUSCUS】に入力を始める。キーワードは【高校】、【美術室】、【生徒】、【夕方】、【スケッチ】、【石膏像】だ。


「こんなに早いんだ」


 入力後に表示される「キーワードを元に画像を生成しています」のメッセージは数十秒で終了し、「生成された画像を開く」のタブが表示された。程度にもよるが、人間の手なら下絵だけでも相応の時間が必要になる。AIならではの早業だ。


「綺麗」


 本当に美しいものを見た時、人は自然と口数が少なくなる。【FUSCUS】によって生成された美術室の絵を見た瞳子の心境はまさにそれだった。


 広い美術室に一人残り、キャンバスに向き合って石膏像をスケッチする少女を俯瞰した写実的な一作。セピア調ながら、窓から差し込む夕日の加減を、色の濃淡で鮮やかに描き切っている。


 時間帯という要素が作品により深みをもたらす。

 少女は一人で何をしているのだろう? 


 口元には笑みが見える。彼女は美術に青春を費やし、コンクールに提出する作品づくりに精を出しているのかもしれない。


 あるいは笑顔の正体は苦笑いで、一人だけ課題が終わらずに四苦八苦している一コマなのかもしれない。


 ひょっとしたら美術への情熱はそれ程でもなくて、誰もいない美術室で独り占めするこに優越感を覚えているのかもしれない。だとすればその笑顔は不遜や悪戯っ子のような色が濃くなる。


 この絵は一目で様々なストーリーを想像させた。現役の高校生である瞳子以外の視点、例えばもっと年上の世代がこの絵を見たら、懐かしい青春写真を思わせるセピア調も相まって、郷愁を覚えることもあるだろう。


「正直、AIを侮ってたかも。指示を忠実に守っただけの、もっと機械的な絵が出てくるかと思った」


 月並みな感情かもしれないが、この絵には人の手の温もりが感じられた。描き手の癖や拘り、作品を構成する上での価値観さえも感じられるような気がする。AIは淡々と指示をこなしたのではなく、出されたお題に対して自分なりのアンサーを表現したのではないか? そんな個性さえも感じられるようだった。


 ――俯瞰するような構図。やっぱり美墨みすみ先生の作品によく似てる。


 瞳子がAI画像生成サービス【FUSCUS】を利用したのはこれが初めてだが、その作品には強い既視感を覚えた。敬愛する画家、海棠かいどう美墨みすみの画風とよく似ているのだ。海棠美墨は一貫してセピア調での絵画制作に拘りを持っており、俯瞰した構図の作品も数多く発表している。【FUSCUS】の作風を既存の誰かに例えるなら、それは間違いなく海棠美墨だ。これはあくまでもオルタナティブだが、もう二度と見ることは叶わないと思っていた海棠美墨の作品と巡り合えたようで、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


「この【FUSCUS】って画像生成AIはまだほとんど知られてないよね。雪菜はどこで見つけてきたの?」


 雪菜は人並みにSNSや動画サイトを見たりはするが、こういった分野に関心があるタイプではない。直ぐには接点が思い当たらなかった。


「お姉ちゃんに教えてもらったんだ。最近サークルの活動で【FUSCUS】を使ってるらしくてさ」

佐那さなちゃんのサークルって確か、映像研究会だっけ?」


「そうそう。今は学祭で上映するのに短編の映像作品を製作中でね。演出の一環で絵画をサブリミナル的に混ぜ込んでるらしくて。そこに【FUSCUS】に描いてもらった絵を取り入れてるみたい。セピア調で雰囲気も良いし、重宝してるみたいよ」


「なるほど。そういう使い方もあるんだ。だけど作品への流用って大丈夫なの? 権利的な問題とか」

「規制しているところも多いけど、【FUSCUS】に関しては生成された絵の保存や利用については問題はないって開発者の声明が出てるよ。瞳子も気に入った絵があったら保存してみたら」

「うん。せっかくだし、色々なキーワードを試してみようかな」


 こういった作業は一度のめりこむとなかなか止まらない。瞳子と雪菜は夢中になってお互いに意見を出し合い、【FUSCUS】に様々な絵をリクエストしていった。


 元々美術が好きな瞳子は風景や特定のシチュエーションを的確に言語化し、硬派な作品が生まれる傾向にあった。誰もいない冬の無人駅のホームは、空想の産物なのに、この世界のどこかに本当に存在する光景と錯覚する程であった。


 対する雪菜は興味本位で様々なキーワードを試していき、結果的にはシュールなキメラが生まれることもしばしば。ゼブラ柄のパンダがセピア調で表現された時には、二人揃って思わず爆笑してしまった。芸術的センスではやはり、その道に造詣が深い瞳子の方が上回っている。


「お姉ちゃんに教えてもらったんだけどさ。【FUSCUS】には面白い噂があるんだって」


 一通り【FUSCUS】の実力を堪能したところで、まるで怪談話でもするかのように雪菜が切り出した。


「噂って?」

「余計なキーワードは入れずに、【未来の私】って一言打ち込むと、その人の未来を【FUSCUS】が描いてくれるんだって。開発者の仕込んだ隠しコマンドとか何とか」

「ロマンチックな話だけど、流石にそれは厳しいでしょう。AIが私の顔を認識しているわけじゃあるまいし」


 未来とは即ち想像だ。キーワードから既存のイメージを描くことは出来ても、個人の未来を想像で描くことなどAIに出来るわけがない。もし本当ならそれは、都市伝説染みたオカルト色の濃い話しになる。


「せっかくだし試してみない? どうせ何も起こらないだろうけど」

「私は別にいいけどさ」


 物は試しと、瞳子は早速【FUSCUS】に【未来の私】と打ち込んだ。まさか本当に雪菜の言うような隠しコマンドが存在するとは思えなかったので、無難に未来というキーワードだけを拾って、SFチックな未来の街並みやロボットの絵が出来上がるのではと瞳子は想像していたのだが。


「流石に遅すぎない」


 これまでは直ぐに絵が仕上がってたのに、今回に限っては待てども待てども【画像を生成中です】と、メッセージウインドウと読み込みのアイコンが続くばかりだ。一向に絵が仕上がる気配はない。


「キーワードが曖昧過ぎてエラーでも起こしたのかな」

「えー、そうなの。何が起きるか見て見たかったんだけどな」


 話を持ちかけて来た雪菜は内心楽しみにしていたのか不満気だ。しかし一向に絵が仕上がらない以上、瞳子の言うように何かエラーが起きていると考えるが妥当だろう。


「出来ないものは仕方がないし、【FUSCUS】はこのぐらいにしておこうか。リビングで映画でも見る?」

「賛成! せっかくだし独占配信のやつ見ようよ」


 瞳子は立ち上げていた【FUSCUS】のサイトを落とし、ノートパソコンをスリープにする。絵が仕上がらないのはエラーだと決めつけて、メッセージウィンドウそのままの意味である可能性については、まるで考えていなかった。

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