君が大地(フィールド)に立てるなら〜白血病患者の為に、ドナーの思いを〜

長岡更紗

01.ドナー登録

 もしも願うだけで力になれるなら、いくらだって俺は願うよ。

 君が大地フィールドに立てるなら、いくらでも。


 名前も顔も知らないまったくの他人に、こんなに馳せる思いがあることを……あなたは知っているだろうか。


 この気持ちを知る人は、存外少ないのだと思う。

 そう、あの頃の俺のように──






 ちょっとしたきっかけだった。

 まだ俺が、独身だった頃の話だ。

 二十歳になったばかりの俺は、ふと目に入った献血ルームの中へと入った。

 今までに献血なんてしたことがなかったのに、足が勝手に向いていた。多分、知り合いが事故にあって輸血をした、という話を聞いたからだと思う。

 看護師さんにたっぷり採れるだけ採ってよと言うと、「じゃあ血の気を抜いておきます」と笑われた。

 その時、骨髄バンクのドナー登録にご協力を、とかなんとか書かれたポスターが目に入ってきた。


「骨髄バンク登録って、すぐできるの?」


 俺は献血をして、いい気分になっていたんだと思う。もしかしたら、目の前にいる美人看護師に、いい人だと思われたかっただけかもしれない。


「ええ、すぐできますよ。ちょっと書類を書いてもらうだけですから」

「そうなの? 骨髄液を採ったりして、型を調べたりするんだろ?」


 骨髄液というと、確か白血病患者なんかが必死になって同じ型の人を探しているイメージがある。小学生の頃に見た再現ドラマのせいかな。

 ドナーになるにはキッチリ調べないと、登録できないんじゃないのかって、俺はそう思っていた。


「登録するだけなら、血を二ミリリットル採るだけなんですよ。これだけあれば、十分に登録できます」

「へえ、それだけでいいのか。じゃ、登録するよ」


 まさか、登録の条件が血をほんの少し採るだけで終わるなんて思ってもいなかった。骨髄ってどこにあるのか知らないけど、もっと大袈裟なものだと思っていたから。

 俺が骨髄バンク登録の意思を示すと、看護師さんは骨髄バンクについてのパンフレットを持ってきてくれた。目を通してくださいと言われてざっと読んでみる。

 HLAだとかなんだとか、よくわからないところは飛ばして読んでいたら別の人が来て詳しく教えてくれた。


 一般的に使われるA型やO型っていうのは赤血球の型で、HLAっていうのは白血球の型らしい。

 登録するには、この白血球の型がわかればいいんだな。だから血を少し採るだけで済むんだとわかった。


 登録にはいくつか条件があって、それも確認された。

 年齢が十八歳以上、五十四歳以下の人。俺は二十歳だから問題ない。

 体重が男性なら四十五キロ以上、女性なら四十キロ以上の人。過度な肥満の人も登録できないみたいだが、俺は中肉中背なのでパスしている。

 他にもこんな病気にはなっていないか、家族でこんな病気の人はいないかと色々聞かれて、すべて問題はなく、登録する運びとなった。


 献血ルームから出た時の陽の光は最高で、まだ登録しただけにも関わらず、いいことをした気分で晴れやかだった。

 折角登録したんだ。早く誰かの役に立ちたい。提供したい。


 しかしそんな俺の願いも虚しく、それから何年もの間、適合通知が来ることはなかった──





 *****





 暑い日が続いている。

 仕事を終えて夕方になっても、まだ暑い。

 俺は家に帰るまで我慢できず、自動販売機でジュースを買って飲み干した。美乃梨みのりにまた甘い物を飲んでと怒られるかなと思いながら、汗を拭う。


 俺は、二十六になった。二年前に結婚して、所帯を持っている。

 子どもはまだいないけど、充実した毎日。妻の美乃梨は少し健康にうるさいが、俺には過ぎた嫁だと思っている。


 日が高くなり、夕暮れとも言えない午後六時の景色には、まだ人通りも多くて。部活帰りの中学生や高校生達が楽しそうにおしゃべりしながら帰っている。

 俺は『進藤』と書かれた表札の家の扉を、おもむろに開けて入った。とは言っても、一戸建てではなくてマンションの一室だ。


「ただいまー」

「おかえりなさい、あきら


 中から美乃梨が駆けてきて、俺を出迎えてくれる。結婚して二年経っても変わらない行動だが、この日は少し違っていた。


「お疲れ様、ねぇこれなに?」


 そう言って差し出されたのはオレンジ色の封書。美乃梨は不安そうな顔をしていて、なんだろうかと俺も気になる。まさか、詐欺にでも引っかかったか?

 靴を脱ぎながらそれを受け取る。差出人を確認すると、骨髄バンクからだった。一瞬頭がハテナマークに侵される。

 骨髄バンク? なんでそんなものが……?


「ねぇ、それ、なんなの?!」

「見てないのか」

「だって親展になってるし……」


 いつもなら俺への親展の手紙も遠慮なく確認しているというのに、なぜか今回は殊勝なことを言う美乃梨。俺はリビングに言ってハサミで封を切ると、中に目を通した。


「あ……これ、骨髄適合通知だ」

「骨髄……適合通知……?」


 サァーっと六年前のことが思い起こされる。

 そうだ、俺は二十歳になった時に、骨髄バンクに登録した。どうして登録したのかは思い出せない。多分、そんなに高尚な理由じゃなかったんだろう。

 この六年で色々あったのも手伝って、すっかり忘れてしまっていた。


「俺、独身の時に骨髄バンクに登録してたんだよ。そっか、とうとう来たのか。会社、休み取れるかな」


 ネクタイを外しながら椅子に座り、必要な書類に目を通すと記入していく。その様子を、美乃梨は少しじっとりした目で見ていた。


「なんだ?」

「骨髄提供って……ドナーってことよね?」

「え、うん」

「私、そんなの聞いてなかった!」


 そりゃ、言ってなかったからな。すっかり忘れてて。

 結婚して二年経つけど、覚えてすらいなかったことは伝えられない。もちろん覚えてたらちゃんと言ってたと思う。


「ごめんごめん。隠すつもりじゃなかったんだ。ただ忘れてただけで」

「でも、ドナーだなんて……大丈夫なの?」

「みんなやってるんだから大丈夫だろ。それに、確か一人の患者につき五人までドナー候補者がいるはずだし、俺が選ばれる確率は低いよ。多分」

「……なら良いけど……」


 そう言いながら、俺が選ばれることももちろん考えていた。移植の時期は、十一月の終わりから、十二月の始め頃の予定らしい。今日は八月の十日なので、約四ヶ月も先の話だ。

 美乃梨は心配しながらも承諾してくれて、俺は必要事項を記入すると、すぐに返信用封筒に入れてポストに投函した。

 特に今は健康に関わるような病気もしてないし、もしドナーが俺に決まったとしても構わない。仕事もまぁなんとかなるだろうし、話の種にでもなるかなっていう、軽い気持ちだった。

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