不穏な空気
いくつか角を曲がったところに、問題が書かれたボードがあった。
『金光寺の山門に彫られている絵は何か』
一、山と海
二、月と太陽
ようやくパンフレットに書かれていない問題が出題された。
結城晴朝の黄金伝説については少しだけ知っていたけど、このイベントに来る前に少しだけ調べてみた。
それによると三首の和歌については、いろんな人が触れていたけど絵についてはあまり書かれていなかった。
それでも、調べたうちのひとつにだけ絵について書かれているものがあった。
確かそれには、『岩と川』の絵が彫られていると書いてあったと記憶している。
「倭斗くん、どうしよう」
これまでの問題で考え込むことのなかった私に、倭斗くんは訝し気に尋ねてくる。
「どうした? さすがの歴史ヲタクのお前でも難しい問題が出てきたか?」
倭斗くんの言葉に首を横に振った。
「答えがないんだけど、この場合どうしたらいいのかな」
「答えがないって、この二つのどちらも違うってことか?」
「うん。確か山門に彫られている絵は岩と川だったと思う」
そう答えた時だった。
倭斗くんの背後に人の気配がした。
気付いた時には木の棒を持った男が、倭斗くんめがけて振り下ろしていた。
でも、それは倭斗くんに当たることはなかった。
倭斗くんは素早く振り向き、振り下ろされた木の棒をしっかりと掴むとすぐさま男の腹めがけて蹴りを入れた。
男はすさまじい勢いで後方へと転がった。
「つ、強いんだね」
ふっとばされて気絶する男を見つめ、思わず感心してしまう。
「あいつがよっぽど弱いんだろ。男たるもの強くあれってのがうちの家訓でさ、さわりだけだがひと通りの武術を習わされてるからな。それが功をそうしただけだろ」
たいしたことじゃないと言うけれど、見るからに屈強そうな男をひと蹴りで倒したあたり、相当強いと思う。
華さんは『盾くらいにはなる』なんて言っていたけど、盾どころじゃない。一撃でふっとばしたのだから、ライトセーバーくらいの威力はある。
「逃げるぞっ!」
倭斗くんの顔が険しくなった気がした。
「な、なんで逃げるのよ」
「知るかッ! 俺に聞くな。けど、追われているのは確かだ」
倭斗くんが見つめた方向を見た。
いかつい男たちがやってきた。どう見てもこのイベントを楽しみにやってきた人たちじゃない。
倭斗くんは私の腕をつかんで走り出した。
倭斗くんの足は速くて歩幅も違うから、私は半ば引きずられるようにして走った。
ほどなくして角を曲がったその先に、屈強な男が二人、その行く手を阻むように仁王立ちしていた。
引き返そうにも、後ろからバタバタと足音が聞こえてくる。
倭斗くんは私を背にかばうと、ぼそりと呟いた。
「あそこから外へ出ろ。そして人が大勢いる方へ走るんだ。つかまりそうになったらとにかく大声で叫べ」
倭斗くんが示したのは、さっき華さんが出って行った場所と同じように『ご気分の悪くなられた方はこちら』と書かれた非常口。
倭斗くんはそこから逃げろと言っている。しかも一緒にじゃなく、私ひとりで逃げろと言っているように聞こえた。
「桐谷倭斗、あんたも一緒に行くんだよね」
確認のつもりで聞いた私の言葉に、倭斗くんは首をふる。
「ああ、そうしたいところだが、この人数を振り切るのはちょっと厳しそうだな」
見ればどこから湧いて出てきたのか、敵の数はさらに増えていた。
「この人数を相手にするのは無理だよ。きちんと話をすれば逃がしてくれるかも」
「奥村ヲタク、お前本気で言ってる? 背後から棒振り上げて襲ってくる相手に話が通じると思うか?」
あきれたように言う倭斗くん。自分でも希望的観測を口にしていることはわかる。わかるけど、だからといってひとりで逃げることなんてできない。
「あんたがどんだけ強いか知らないけど、この人数を相手に勝てると思ってるの?」
「足手まといがいなければ、なんとかなる」
そう言って倭斗くんはこの上なく嫌味な笑顔を浮かべて見せた。
ひどい言いようだ。
こんな時くらいそんな言い方しなくてもいいのに。
でもきっと、これが彼なりの優しさなのだと思った。
「私に……できることはないの?」
泣きそうになるのを懸命にこらえながら倭斗くんに聞いた。
「お前はあの出口まで一生懸命走れ。それと……。」
いったん言葉を切ると、この場にふさわしくない優しい笑顔で言った。
「お前が作ったハム入り卵焼きが食べたい」
なんでこんな時に卵焼きが出てくるのよ。
しかもそんな笑顔で言うなんて……。
「……わかった」
っていうしかないじゃない。
これ以上口を開くと泣いてしまいそうで下を向いた。
「お前なら大丈夫だ」
倭斗がクシャッと髪をなでた。
ずるい。
こんな時にそんな優しい声で言うなんて……。
ずるいよ、倭斗くん……。
逃げ出す算段をしていると気付いたのか、男のひとりが大声で叫んだ。
「男は放っておけ。女だ。女を捕まえろッ!」
それが合図となり一気に場が動き出した。
男たちは私を捕まえようと向かってきた。
すかさず倭斗くんが私の前に飛び出した。
男は容赦なく倭斗くんめがけて殴り掛かッてきたけど、倭斗くんは身軽に男をかわすと、男の背中を飛ばした。
軽く蹴飛ばしたように見えたのに、男は勢いよく地面に顔面を打ち付けた。
「このクソガキがぁーッ」
仲間が無様にやられたことに腹を立てた男が、叫びながら倭斗くんにとびかかってくる。
タックルしてくる男の腹に肘を打ち込むと、見事急所に当たったのか、男は短いうなり声をあげ膝をついた。
華さんが言うほど倭斗くんは『もやし』じゃないけど、屈強な男たちに比べれば、倭斗くんははるかに華奢な身体をしている。
にもかかわらず、倭斗くんは男たちをほぼ一撃で倒していく。
なんなのこいつ。
助けてもらっておいて悪いけど、激しい動きのはずなのに息ひとつ乱さない倭斗くんに、思わずバケモノを見るような目で見てしまう。
でも、どこから出てくるのか次々と男たちが倭斗くんに襲い掛かってくる。
それでも倭斗くんは臆することなく、一人また一人と倒していく。
立ちはだかる男たちに立ち向かう倭斗くんが叫ぶ。
「今だッ! 行け!」
倭斗くんの合図を受けて、急いで非常口へと向かう。
倭斗くんのことが心配だったけど、私がここに居ても何もできることはない。
逆に私がこの場から逃げ切ることが倭斗くんを助けることにつながると信じて、前を向いて必死に走った。
非常口の取っ手に手をかけた時だった。
後ろから羽交い絞めにされたかと思うと、ハンカチのようなもので鼻と口をふさがれてしまった。
その瞬間飛び込んできたのは、これまでに見たこともない倭斗くんの慌てた顔だった。
「乙羽ッ!」
倭斗くんが名前をちゃんと呼んでくれたのは、これが初めてだった。
でも、その倭斗くんの叫び声にも似た声を最後に、意識は暗闇に飲み込まれた。
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