歴史が好きですが、何か?

 4時限目の授業が始まった今でも、モヤモヤは晴れることはなかった。晴れるどころか、むしろイライラが募るばかりだ。


 今は歴史の授業。


 唯一楽しめる授業だったのに、これまで担当だった日本史の先生が、産休でいなくなってしまったのだ。


 まだ新米の部類に入る若い先生だったけれど、知識が豊富で、歴史と名の付く本を読みつくした私でも、知らない歴史の秘話をおもしろおかしく教えてくれた。先生のおかげで歴史が好きになった生徒も少なくない。


 けれど、代わりにきた先生は、自分の見解ばかりを押し付ける傲慢な男性講師だった。


 そこそこ顔がいいからなのか女生徒には人気があるようだけど、どうにもその講師の事が私は好きになれない。


 大好きな歴史の授業が、こんなにも退屈なものになるとは思いもしなかった。


 頬杖をつきそうになる自分と、懸命に戦っていた。


 そんな時、スカートのポケットの中に異物があることに気が付いた。捨て忘れていたチラシがそのままだったことを思い出した。


 暇を持て余すかのようにポケットから取り出し、何の気なしにそのチラシを広げてみる。


 そこには金色の文字で『川上華子の謎解きアドベンチャー』と書かれていて、しかも『結城晴朝の埋蔵金――和歌の謎を解け――』と銘打ってある。


「うそでしょ!」


 思わず突いて出た言葉。


 それほど大きな声ではなかったけど、シンとした教室では思いのほか響いてしまった。


 窓際の後ろの席に座る自分のほうを、みんなが一斉に振り返った。


「え? 何?」


 慌ててチラシをポケットへしまった。


「え~と……」


 男性講師は座席と名簿を照らし合わせると、ジロリと睨みつけた。


「奥村……奥村乙羽くん、だったかな。私の言ったことの『何が』嘘なのかな?」


 教壇で話していた男性講師――根本英輔ねもとえいすけがゆっくり近づいてくる。


 何か、と問われても先生に対して言った言葉じゃないから返答に困る。


 授業に関係ないことをしていたのだから、怒られるのは致し方ないことかもしれないけど、その元凶となったチラシを奪われでもしたらそれはそれで困る。


 ここはやはり素直に話を聞いていなかったと謝るしかない。けれど、『では何をしていたのか』と問われたら、これまた答えに困る。


 根本先生は、人差し指を上向きにクイッと上にしゃくりあげた。


 立てという合図だ。そのしぐさにイラっとしたけど、しおらしくその合図に従う。


 立ち上がりながら、頭の中で必死に言い訳を探す。


 でも、無造作に広げられた教科書やノートに答えが載っているわけもなく、根本先生の視線を避けるように黒板へと目を向けた。


 黒板には明治維新、それに関わった重要人物、制度など重要事項が乱雑に書き連ねてある。


 が、そこで引っ掛かりを覚えた。


『西郷隆盛=征韓論者』


 確かに、西郷隆盛は征韓論を唱え、内政優先を主張する『内治派』との政争に破れてしまい、後に不平士族とともに反乱するというのが通説になっている。


 けれど近年、西郷隆盛が公式に征韓論を唱えていたという資料はなく、西郷隆盛の死後、板垣退助が自由民権運動の際にそう流布したとも言われている。


 そもそも征韓論とは、武力をもって朝鮮を開国させようとするものだけど、西郷の主張は平和的解決のため、自らが大使となり使節を派遣し開国を勧めるというものだ。


 一方で、使節の派遣そのものが戦争を誘発するもの、と考えられている節もあり見解が分かれている。


 確か、どこかの知事が『遣韓論』も併記するよう出版社に要請し、教科書出版社の七社のうち一社が『西郷は征韓論を唱えた』との記述を削除したはず……。


「西郷隆盛=征韓論者っていう決めつけはどうかと思うけどな……」


 思わず口から出た言葉に慌てて口を押さえたけれど、口から出てしまった言葉はもうどうにもならない。


 案の定、根本先生は眉根をピクリとさせた。


「ほう~、君は西郷隆盛のファンかね?」


 思わずぽかんとしてしまった。


 ひと言もファンだとは言っていませんよ。


 けれど、何を根拠にそう思ったのか、信じて疑わない根本先生は声を高らかに言う。


「いるんだよね~。西郷隆盛が好きな人は、彼が征韓論者だという事に目くじらを立てて反論するんだよ」


 その言葉にカチンときてすぐさま反論する。


「別に西郷隆盛のファンではありませんが、西郷隆盛は、平和的交渉を目指した遣韓論者説もあるので、一方的に征韓論者と決めつけるのはどうかと思うのですが!」


 語尾に力を込めて反論すると、根本先生は目を細め左の口角をあげた。


「君は歴史に詳しいようだね。はは~ん、もしかして巷で流行っている歴女とかいうヤツかな?」


 嫌味に笑う根本先生の言葉がさらに怒りをくすぐる。


 巷で流行っている歴女というものが、自分に当てはまるかはわからない。


 でも、歴史が好きだとはっきり公言できるのは確かだ。


「アニメやゲームの影響なんだろうけど、そうやって歴史通ぶる子が往々にしているんだよね。そういう輩は自分の好きな歴史上の人物に陶酔世界を築いてしまうから、本当に厄介なんだよ」


 歴女――歴史好き、歴史ファンの女性を示す略語。悲しいことに、時として揶揄するときにも使われる言葉。


 歴史そのもというより、歴史に登場する特定の人物に強い興味を抱き、まるでアイドルの追っかけのようにゆかりの地を訪ねたり、関連グッズを集めたりしている。


 確かにそういった人たちもいる。戦国時代を現代タッチで描いたアニメやゲームがきっかけで、熱狂的な戦国武将ファンになった人もいる。


 そういう人たちを軽蔑する気はさらさらない。


 むしろ、それをきっかけに歴史に興味を抱く人が増える方が私としてはうれしい。


 歴史の話で盛り上がれる仲間が増えるのは、ホントにうれしい。


 アイドル歌手やイケメン俳優たちの話で盛り上がる女の子たちのように、歴史の話で盛り上がりたいと常に思っているからだ。


 でも、根本先生は歴史上の人物をアイドルのように崇拝する『歴女』を良しとはしないようだった。


 根本先生の軽蔑するような物言いが、さらに神経を逆なでする。


  腹立たしさに思わず顔を歪めてしまった。


 根本先生は気づかないのか、まったく気にする風もないのか、相変わらず人をバカにした態度で話を進める。


「西郷隆盛は人気があるからねぇ~。野蛮な征韓論者と思いたくないのもわかるが、いいかい、『征韓論者=悪』ではないんだよ。この時代世界中で侵略合戦をしていたのだからね。そもそも日本も開国なんかしたくなかったのを、軍艦やら大砲やらを見せつけて無理やり開国させたのはアメリカだ。アメリカがしなくても数十年後にはどこかの国がやっていたことだろう。少し乱暴な言い方だが、各国が競って領土拡張に走っていた時代を考えれば、西郷に限らず征韓論者的な発想は誰もが皆持っていただろう」


 根本先生が私の肩に手をおいて、ニヤリと笑った。


「誤解しないでもらいたいが、私は武力をもって他国を征服することを肯定しているわけではないよ。ただ、現代の常識で過去の出来事を判断してはいけないということを言いたいのだよ」


 大仰な言い方で語る根本先生。腹立たしさに『先生』と付け足すの癪に障るほどだ。


 私は別に、西郷隆盛が遣韓論者だと言いたいわけじゃない。ただ、そういう見解もあるのだということを伝えたかっただけなのに……。


 史実は事細かく現実にあったことだけが書かれているわけじゃない。もちろん空白の部分もあるし、時の権力者によって都合のいいように書き換えられる事もあるだろう。


 けれど、それらを吟味しいろいろな角度から解釈していくうえで、時にこういう見解の相違もでてくる。それが歴史を紐解く面白さだと私は思う。


 それなのに、根本は私の事を『歴史上の人物をアイドル的に追いかける人』としか見ていないようだった。


「ところで、君が好きな武将は誰だい? ああ、西郷隆盛は別だよ」


 からかうように言う根本。


『だーかーらー、西郷隆盛のファンだなんてひと言も言ってないっつーの!』


 心の中で叫ぶ。そんな私の心情を察する気配すらなく、根本は勝手に話し出す。


「私は『日本一の兵』と評された真田幸村だね。幸村は徳川家康に自害を覚悟させた男なんだよ。かの有名な真田丸というのは……」


 ムカムカムカムカ……。


 得意げに話す根本に腹がたち、もう黙っていられなかった。


「真田丸はが考えたものではなく、父昌幸が遺言で残した秘策という説もあります。その策を無名の信繁が提案しても賛成するものは少なく、しかも、歯はぬけ髭も白く腰の曲がった信繁は、大阪城に入城の際に門番に山賊と勘違いされたとも伝わっています。日本一の兵と評されてはいますが、彼が残した戦功は大坂の陣、徳川家康を追い詰めたとはいえ討ち死にしています」


 幸村は江戸時代に書かれた書物による通称で、正しい名前は信繁である。

 幸村のほうが一般的だけど、根本に楯突くつもりであえて私は『信繁』と強調した。


 信繁のことを悪く言うつもりは毛頭ない。むしろ歴上の人物の中では好きな部類に入る。兄の信之が『信繁こそは真の侍だ』と述べたことでも、信繁が優れた武将だったことは間違いない。


 でも、根本の言葉を黙って聞いているのが堪えられなかった。


 単に、根本のことが気に入らないってだけだけど、言い返す言葉を飲み込むことができなかった。


「信繁よりも、どちらかといえば兄の信之のほうが戦功を残しています。上田の策士と呼ばれる偉大な父昌幸や、大坂の陣で華々しい最期を遂げ、ドラマチックに書物などで取り上げられる信繁の陰に隠れて目立ちませんが、信之の智略や武勇は、決して二人に劣るものではありません」


 一気にまくしたてる私の勢いにあっけにとられる根本だったけど、言葉に詰まったのは一瞬の事。


 何かを思いついたように、手をポンと叩いた。


「そうだ。歴女は主役級の人物ではなくほとんど名の知られていない武将や人物に傾倒すると聞いたことがある。君は真田信之が好きなのか」


 つくづく人の話を聞かない人だ。


 戦功を残していると言っただけで、好きとはひと言も言っていない。確かに自分が好きなのは主役級の人物ではない。


 根本の言葉を肯定するようで忌々しいけど、黙っているのも癪に障るので、あえて口を開く。


「私が好きなのは、蒲生氏郷がもううじさとです!」


 キッパリと言い放った。


「え?」


 聞こえてないはずはないのに、根本が聞き返してきた。


 もしかして知らない?


 そう思ったけど、仮にも日本史を教える講師が知らないはずはない。

 教科書に載っていることはないし、時代小説などでもあまり名前を聞くこともないから知らない人のほうが多い。


 けれど、多少歴史に詳しい人ならば知っている、と思っていた。


「蒲生、氏郷です」


 先ほどよりもゆっくりと言った。


 根本が眉をひそめるのを見て、蒲生氏郷の事を知らないのだと確信した。

 でも、日本史の講師としてのプライドなのか、知った風に口をきく。


「えっと、が……蒲生氏郷ですか、なるほど、そうですか」


 と、ここで授業の終わりを告げるベルがなった。

 根本にとっては救いのベルだったのか、パッと表情が明るくなった。


「君とゆっくり歴史の話をしたいところですが、今日はこの辺にしておきましょう」


『私はあなたとは話したくありません』


 そそくさと踵をかえす根本の背中に、心の中で毒づいた。

 根本が教室を出て行くと一気に体の力が抜け、イスにドスッと座り込んだ。

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