第226話 考えめぐらす

子どもたちが遠い学校へ行ってしまって家を出てしまうと、日中は家の中に私一人で話す相手もいない。

慣れてきたものの寂しくていろいろと考えてしまう。


これまでのことを中心にここに書き連ねているが、書かないこと書けないことも含めて、結果を出せないことでも考えすぎていく。

これがストレスになることもあるから、「この話はここでお終い!もう知らない!」と自分の中で区切りをつけることもある。


田舎で静かだと、考えすぎてしまう傾向にはあるんだろうな。


人間関係。


合わない人とは付き合わない。付き合わないとならない関係性であれば、距離をとるようにする。そういうものだと思っているのだが、合わない人や嫌な人ってなぜかぐいぐい来るよね。向こうだってこちらを嫌っているのは明らかなのに。

あれはどういう心理なんだろう?とお風呂の中で考えたりする。


ご近所さんとか子ども関連の保護者なら、挨拶くらいでお茶を濁させてほしい。

無視はしないんだし。

ただ、なんかおかしなことに厄介なことを持ち込んで来たりしてくるのはなぜ?

役員をやれとか、面倒な用事を押し付けてきたりするのは嫌がらせだよね。

嫌いだったら嫌いでいいんだけれど、嫌がらせをされるくらい相互で接点はないんだから、そんなことをしてくるってこと事態が「サイコパス」だと。

嫌な人を自分の手で苦しませてやろうと思う考えって、そうでしょう。

私は思わないもの。知らない所で大変な目に遭ってしまえばいいとは思うけれど、わざわざ自分の手を汚したりしたくない。面倒だし、関わるということが嫌でしかないから。


血の繋がらない家族もそうだよね。

夫と結婚した相手として認めたくないのであれば、会わない方向で距離を作っていけばいいだけの話なのに、わざわざ会ってきつい言葉を浴びせて、奴隷のように働かせようとする。

仲良くしておけばその先いい関係が築けて、老後も楽しいかもしれないのにねえ。

洞察力がついてきた子ども(孫)たちに気が付かれて、嫁以外に冷たい目で見られる可能性とか考えないのかもしれない。

義理の家族に呼び捨てにされるという人の話を聞いて、そりゃないなあと思ったけれど、私もお願いされるときだけ「さん」づけになることにその時に初めて気が付いたわ。

「おい」「お前」「あんた」呼びが基本だったわ、私も。笑っちゃったわ。

覚醒してしまうと逆に楽になって、そっちがそうならこっちもそういう風にいくわよと思って暮らしている。


人間関係って鏡だからね。

嫌なことして好かれることなんてないのさ。

そして、好かれていないんだったら、心砕いてお世話するとかもないし。

嫌われている人に話をすることなんてない。無駄だもの。


自分を好きにさせるくらいの態度を示せということなのかもしれないが、そんな傲慢な人は自分の世界の中だけで生きてくれていたらいい。

私の世界には入れない。



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