彫刻系無表情美少女を助けたら、即日転校してきて婚約を迫ってきた

電姫鋸

プロローグ

たったひとつの運命の出会い


 尻が揉まれていた。


 それはもう、白昼堂々と言う言葉がこれ以上ないくらいに似合う。いや、もはや威風堂々と呼んだ方がいいレベルで尻が揉まれていた。


 現在、昼前の電車の同じ車両にいるのは、俺を含め三人。


 寝坊して昼休み過ぎに学校につけばいいやと電車に乗り込んだ不真面目な学生である俺。


 背丈が180cmほどありそうな、春先の暖かい季節だというのにコートにサングラス、黒いマスクに深めに被った帽子とあまりに何もかも怪しい不審者。


 そして、そんな不審者に尻を揉まれ続けているのに、扉のガラスに映る表情は一切変わらずに凛と立ち続ける美少女が一人。

 黒曜石のような吸い込まれそうな質感の瞳、まつ毛も遠くからでも形がよくわかるほど形がよく、まるで氷細工のような魅力がある。ここから電車で2時間はかかるであろう遠方にあるお嬢様学校の制服に彩られた四肢は、大理石のような白さをしている。


 何より目を引くのは、その髪の毛。

 日本人離れした、しかし染めたとも思えない。染色で出せる色ではないと本能で分かるような、美しい蜂蜜色。陽の光を受けてその毛先は万華鏡のように光を絡め、反射し、閉じ込めたかのような幻想的な輝きをしていた。


 そんな非生物的な美しさを持つ少女は現在、無表情でかれこれ五分くらい尻を揉まれ続けている。


 いや、今日初めて見た女の子なのであれが彼女の嫌悪の表情なのかもしれないが、それでもあまりに無表情だ。尻の感覚がないんじゃないかと疑うくらいに。もうあれは気持ち悪いというより痛いが先に来そうなくらい激しく揉まれている。



 でも、普通こういうのって、美少女の方が助けを求めて俺の方に視線を向けてきそうなものなのに彼女はまるで生き物ではないかのように無表情のまま、虚空を見つめ続けている。


 まるで体をまさぐられることが何でもないかのように。

 まるで自分の体なのに他人事のように。


 ただ遠くを見つめて溜息をこぼしている彼女を、心配してやろうという気持ちにはなかなかならないだろう。


 加えて彼女の尻を揉み続けている不審者がめちゃくちゃに怖い。

 息も荒いしガタイもよさそうだし、なにより得体が知れなさすぎる。


 余計なお世話か、そういうプレイなのかもしれない。


 もしそうだったら、あとで謝ればいいだろう。

 激昂して襲い掛かってきたりしたら逃げられるようにすぐに電車が止まるタイミングで。



「あの、それ痴漢です……よね?やめたほうがいいんじゃないんですか?」




 静寂。

 電車の中はまさしく静寂が支配した。

 美少女が無表情のまま。不審者が怪しいままで俺の方に視線を向け、合わせるように電車の揺れが止まり扉が開く。


 誰か乗って来てくれないかという願い虚しく、寂れた駅に平日のお昼前に訪れるような奴はおらずそのまま3秒ほど時間が経つ。


「……」


 不審者が何も言わず、そそくさと電車を降りていった。

 あれだけずっと揉んでいた尻からあっさりと手を引いて電車を降りていく不審者を、追って警察にでも突き出した方がいいんじゃないかと電車から降りようとしたところ、服の裾が掴まれた感覚がして立ち止まる。


 振り返ってみれば制服の端を美少女がほんの少し、控えめに摘まんでいた。


「あの……」


 消え入りそうな声だった。

 そうは見えなかっただけで彼女なりに不安や恐怖を感じていたのかもしれない。

 こんな風にすがられてしまっては不審者を追って彼女を一人にすることもできない。


 扉が閉まり、ゆっくりと加速していく景色を眺めながらふと彼女に目を向ける。

 視線が合い、それに気が付いた彼女が一言、口を開く。




「貴方は私の運命の人ね。一目惚れしました、付き合ってください」




 無色透明で感情の籠っていない声と、虫を踏み潰す子どものような残虐な笑み。

 それでも確かに世間一般で言うところの愛の告白というやつを俺は人生で初めて、それもとびっきりの美少女からもらってしまった。




 ◇





「助けていただきありがとうございました」


「あれ、俺が助けたでいいのかな?」


「もちろん。もしもこの電車が混んでいたら貴方は英雄。賞賛、賛美、拍手喝采の嵐でしょう」


 思ったよりも元気そうでよかったとは思うが、どう接していいかもわからない。

 初めて会った相手とも、女の子ともうまく話せないのにその両方となったらうまく話せる、なんてことがあるわけもない。


「ちょっと学校をサボって生まれて初めての小さな冒険。そこで出会った卑劣な男。恐怖で声も出せなかった私を助けてくれた貴方。御伽噺の白馬の王子様みたいじゃない」


「それなら良かったですよ」


 何とも冗談みたいなセリフで、薄らと微笑むその表情からは感情が読み取ることが出来ない。


 ギリシア神話にガラティアという女性がいた。

 ピグマリオンという男に作られ、その愛を見たアフロディーテによって命を与えられた象牙の彫刻の女。彼女はまるでそれのようだった。


 笑顔も仕草も何もかも美しくて、どこか作り物めいている。


「私がガラティアなら、貴方がピグマリオンかしら?」


「え、は!?」


「あら、私と夫婦はそんな声を荒らげるほど嫌だった?」


 揶揄うように笑う彼女だが、俺が驚いたのはそこではない。

 口に出していないはずの思考を、彼女はまるで会話の流れのひとつとして受け答えしていた。


 まさか彼女はエスパーなのだろうか?


「でもそうよね。ガラティアは彫刻であって、囚われのお姫様じゃないもの。なら貴方は……助けも求められない石像の私を助けてくれたアフロディーテかみさまってところかしら」


 ぐい、っと。

 隣に座る俺に彼女は体を預けて顔を近づけてくる。黒曜石の瞳が、鏡のように俺を映している。


「王子様や神様は言い過ぎにしても、まぁ恩くらいは感じて欲しいですね」


「意外なこと言うのね。貴方みたいなタイプはてっきり、『人として当然』とか言うものかと」


 それくらい言えた方がかっこいいんだろうが、生憎俺は勇気も根性もない人間なのだ。

 目の前に助けを求めている人がいる、なんて理由だけで人助けなんてできない。


 でも今日のは我ながら頑張ったと思う。


「人として当然なことができるほど高尚な人間じゃないからな、俺」


「なら、ますます私達は運命ということになるわね」


 なんでそうなる、と言おうとしたが彼女の言うことにも一理あるかもしれない。

 普段の俺ならやらないこと。そして相手が彼女じゃなかったら声なんてかけられなかったかもしれない。


「……うん。確かにそうだな。運命かもしれない」


「ええ。この出会いはきっと運命なの。……そうでなければ困るもの」


 そう口にした彼女の顔は、ほんの少しだけ陰りが見えたような気がした。

 本当に悲しいのかは分からないけれど、もしも本当に悲しいのだとしたら、何か声をかけてあげるべきなのかもしれない。


 そう思って、口を開こうとした時。



「そう言えばその制服なら、最寄り駅ここよね?」



 俺の言葉を遮るように彼女が口を開き、見れば言う通り俺の降りる駅に着いていて既に扉が開いていた。


「やべ、降りなきゃ!えっと……とりあえず、気を付けて!」


「はい。これに懲りたので今日はすぐに家に帰ることにするわ」


 それも本気か冗談なのか。

 結局最後まで腹の中の読めない不思議な人だった。


「ひとつ」


「ん?」


 何か最後に言うことでもあったのか。

 俺は振り返り彼女と顔を合わせた。


「私の名前。──────」


 その続きが耳に届く前に、扉は締まり電車は彼女を乗せて次の駅へと旅立ってしまう。


 残されたのは、夢から覚めたかのようないつもの風景。

 見慣れた駅、見慣れた街、そしていつも通りの俺。


「ひとつ。……あ、ひとつちゃんってことか?」


 ひとつ。

 女の子の、というより人の名前にしては独特な響きだが有り得なくはない。

 名前の響きと同じく不思議な女の子だった。


 連絡先も住んでいる場所も知らず、ヒントは『ひとつ』という名前だけ。

 本当に運命の人ならばそれで再会出来るかもしれないが、もう会うことは無いだろう。


 きっと1年後、10年後、20年後もふと思い出すかもしれない、そんな不思議な出会い。

 たまには遅刻するのも悪くないと思いながら、俺は5限には間に合うなとぼんやりと考え駅の改札を抜け、学校へと歩き出した。






 ◇





 人生において一生忘れない出来事なんて、そうそう起きるものじゃないと思っていた。


 ただでさえつい昨日、電車の中で痴漢から不思議な女の子を助けて愛の告白をされるなんて言う出来事があったばかりだったのだ。


 だから、今朝急に転校生が来ると聞いても昨日の出会いがまだ鮮明に頭に残っている俺にとって、それはややインパクトに欠ける情報であり、大したことにも思っていなかったのに。


「えー、じゃあ急だが転校生の紹介だ。うん、自己紹介の方がいいよね。どうぞ」


「はい」


 ものぐさな担任に言われて、転校生は黒板に綺麗な字で名前を書いていく。


 転校生であることを示すように、彼女が身を包んでいる制服はこの学校のものではなく、お嬢様学校の制服だった。



「本日よりこの学校に通うことになりました───」



 名前を書き終わった転校生は、教壇の上から教室を見渡す。

 黒曜石の瞳、大理石の肌、琥珀の瞳。一度見れば来世にまで記憶に残りそうなほど印象的なその姿を忘れるはずがなかった。


「……嘘だろ」


 思わず声が漏れた俺と、転校生の目線が会う。そして名前を口にするのをやめて教壇を降り、ゆっくりと歩き出す。


 教室中の視線を集めながら彼女はまっすぐ俺の方へと向かってきて……何かの間違いと祈る暇も与えずにピッタリ俺の机の前で足を止めた。



数多星あまぼし ひとつ、です。改めて、よろしくお願いしますね、運命の人……洞桐ほらぎり さだめくん」




 こうして、数多星ひとつと洞桐さだめは、何とも運命的で仕組まれたかのような。

そんなたったひとつの再会を果たした。





 

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