ネガティブはフィルムジャケット

物部がたり

ネガティブはフィルムジャケット

 引き出しの掃除していると、れいが生まれる前に撮られた両親の結婚式の写真を見つけた。

 若かりしころの母と父が写っていた。母はカメラから目線をそらしてどこかを見ていて、父ははにかんでいる。

 背景に見えるのは教会で、二人の着ているドレスとタキシードから洋式の結婚式だとわかった。どちらも幸福そうであった。れいは自分が生まれる前の一場面を捉えたその写真が、何とも不思議なものに思えた。

 当たり前のことだが自分が生まれる前にも歴史があり、そのまた前にも歴史があってどこまでも続いているのが不思議でならなかった。世界五分前仮説を連想した。

 

 引き出しの掃除を続けていると、沢山のネガフィルムも出てきた。白黒のコマの連なり一コマ一コマに小さく何かが写っている。だが、それが何なのか識別できそうで、識別できない。

 写真は見えなくてもネガフィルムのこの形が、何ともいえなく良い。絵になる。捨てづらい。

 写真というのは捨てづらいものだが、掃除をしているわけで写真は思いの外、整理整頓に困難する代物である。

 また元に戻してしまえば片付かないので、れいは断腸の想いで捨てることにした。

 

 続いて出て来たのは、両親の結婚式ときにもらったらしい寄せ書きだった。これは父の家族や、職場の人たちの寄せ書きらしく、父の結婚を喜ぶ言葉が円を描くように書かれていた。

「お兄ちゃん、綺麗なお嫁さんをもらえて長い間待ったかいがあったね」

 父の妹らしき人の書き込みや、「早く孫の顔を見せてね」という両親の書き込み、「やっと春が来たな。幸せな家庭を築けよ」友人らしい人の書き込みに、「次からは晩飯の心配しなくて済むな」上司らしき人からの言葉もあった。


 父は四十を過ぎてからの晩婚で、すでに諦めていたそうだが、不思議な縁で、歳の差十五以上も離れている母と知り合い結婚した。当然、皆喜んでくれたらしい。

 だが、れいは涙は出なかったものの複雑な気持ちに襲われた。この年で悟ったようなことを思うのもおかしな話だが、人生とはままならないものだなとれいは思った。父と母はれいが小学生低学年くらいのときに離婚していて、それ以来会っていなかった。

 

 離婚の原因は複雑で説明するのを控えるが、当時のれいは両親が離婚するということよりも、名字が変わるというくだらない理由のために泣いていた。

 軽トラに必要最低限の荷物だけを積んで、父が出て行った日をうすぼんやり憶えている。れいは窓からその光景を眺めていた。去り際、ふと目があったときの父の目は、結婚式のときにはにかんでいた目とは真逆の感情を帯びていた。

 その日以来、れいは父に会っていない。父親らしいことをしてもらった記憶もなければ、子供らしいことをしてあげた記憶もなかった。今ごろ父はどうしているだろう。もう死んでしまっただろうか――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ネガティブはフィルムジャケット 物部がたり @113970

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ