第2話

 グレイシアが半ば諦めたようにそう言うと、ヴィクトルはパァッと顔を輝かせた。サラサラとした藍色の髪に、同じく藍色の瞳。背はグレイシアより少し高いほどだったが、見目は整っている。というか外見だけを見ればモテそうな男だ。


「僕と君は来世で出会って、僕の猛烈なアプローチによって結婚に至るんだ」


 もうこれだけで来世の自分に同情してしまう。よっぽど大変だったに違いない。


「『はぁ、もうあなたのしつこさには負けたわ。結婚してあげる』って言われた時はもう天にも昇る心地気持ちだったよ…アレクシアはね、とても儚く美しい人だったんだけど、裏表のないサッパリとした性格が最高だったんだよ!」


 はぁはぁと鼻息荒く話すヴィクトルがちょっぴり怖くて、少しでも距離を取るべく仰け反るグレイシア。マスターの淹れてくれた珈琲の香りが何とか気持ちを落ち着けてくれる。


「新婚生活はそれはそれはもう幸せな日々だったよ…アレクシアは身体が弱かったから、あまり屋敷から連れ出してあげられなかったけど、仕事で遠方に行った時はその場所の名産品や、ことあるごとに花束をプレゼントしていたなあ。毎度毎度無理はするなって怒られたけど、結局は嬉しそうに笑って受け取ってくれるんだ。はぁ、好き……」


 ヴィクトルは思い出し悶えをしているのか、両手で顔を覆って身じろぎをした。

 グレイシアはカップを傾けてひたすら珈琲を口に含む。突っ込むまい。話が進まないからとりあえず聞こう。グレイシアは強い意志を持って耳を傾ける。


 一通り悶え終わったヴィクトルは、突然がくりと肩を落として暗い雰囲気を醸し出した。


「だけど、アレクシアは病気になっちゃって…二十三歳の若さで亡くなってしまったんだ。一緒に過ごせたのは僅か三年……彼女がいない日々はそれはもう色を無くした世界に放り出されたようで、毎日無気力に時間だけが過ぎ去っていった」


 ずび、と鼻を啜るヴィクトルに、いつの間にか側に来ていたマスターがハンカチを渡す。ヴィクトルが「ありがとう。ちょび髭のマスター」と言うと、こくりと頷いてまたカウンターへと戻っていった。


 ちーんとハンカチで鼻を噛んだヴィクトルは、赤い目を潤ませながら話を続ける。


「魔力が強い僕はどうにか過去に戻って時間をやり直せないかと研究を重ねた。だけど時空を越える魔法なんて、そう簡単には開発できなかった。研究に没頭していた僕は、気が付いたら過労死してしまっていたんだ」

「ええと、それはご愁傷さまです…」

「僕は絶望したよ。もう二度とアレクシアには会えないんだとね…でも、僕の魂は時空を遡った!奇跡が起きたんだよ!ちょっぴり遡り過ぎて前世の僕に転移してしまったんだけどね」


 突拍子もない話すぎてついていけない。この男はよほど妄想癖が酷いのか?


「来世の記憶が戻ったのはつい最近のことなんだ。ヴィクトルに、来世の僕であるジョシュアの記憶が重なってしばらくは混乱していたんだ。でも、僕はすぐに思い立った。アレクシアを探さないと!ってね!」

「はあ…」

「きっと君もこの時代にいるっていうのは、何故か直感的に分かった。この店の前を通った時に、もしかして…って思ったんだ。やっぱり僕たちは再び出会う運命だったんだ!」


 何と傍迷惑な運命なのか。信じがたい話なのだが、ヴィクトルは冗談を言っている様子はなく真剣そのものだ。


 ええ…流石に簡単には信じられないんだけど…とグレイシアは頭が痛くなる。だが、この男の言うことが本当であれ嘘であれ、グレイシアには特に関係のない話に思える。


「はぁ…とにかくあなたの話は分かりました」


 痛む頭を抑えつつ、どうにか言葉を絞り出したグレイシアだが、何を勘違いしたのかヴィクトルの目は爛々と輝いている。


「分かってくれたんだね!!というわけで、僕と結婚してください!」

「丁重にお断りします」

「なんでえっ!?」


 前のめりに求婚するヴィクトルに対し、片手を上げて即答するグレイシア。ヴィクトルの目には再びじわりと涙が浮かぶ。


 グレイシアは何度目か分からない深いため息をつくと、カップを口に運びかけ、既に中身が空っぽだと気付いてカップをソーサーに戻した。


「よく分かりましたよ。あなたがアレクシアを深く愛していることは」

「じゃあ…っ」

「あなたが愛しているのはアレクシアであって、私…グレイシアではありませんから。私にはあなたと過ごした記憶もないし、今日初めて顔を合わしたのよ?そんな相手と急に結婚だなんて考えられる訳ないでしょう」

「ううう」

「私は、私自身を愛してくれる人と共に人生を歩んでいきたい。ですから…口説くにしても、アレクシアよりグレイシアを好きになってからにしてください」

「!!!」


 ピシャリとグレイシアが述べた言葉に固まるヴィクトル。だが、すぐにパァッと顔を輝かせてグレイシアの両手を掴んだ。


「分かったよ!!僕は焦りすぎていたようだ。君に巡り会えた喜びで生き急いでしまった…僕たちはまずお互いを知るところから始めなきゃね」

「んええ?そういうつもりじゃなかったんだけど……はぁ、あなた、すごくポジティブね」

「ふふふ、アレクシアにもよく褒められたよ。『何事もポジティブなのはあなたの良いところよね』って」


 それは褒めているのかしら?と甚だ疑問であるが、グレイシアの嫌味をものともしないヴィクトルの目は決意に満ちていた。


「話を聞いてくれてありがとう!今日はこの辺にしてまた来るよ!ちょび髭のマスターの珈琲も気に入ったしね」

「……他のお客様の迷惑にだけはならないようにしてくださいね」

「うん、気を付けるよ!じゃあこれ、珈琲二杯分のお勘定。ちょび髭のマスター!美味しかったよ!ご馳走様でした!」

「え、ちょ、自分の分は自分で払います!」

「あ、そっか、君は割り勘派だったね。でも今日は再会記念ということで僕に払わせて欲しい」

「え、あ、待って…!」

「じゃあ、またね!」

「ええええ」


 ヴィクトルはテーブルの上に珈琲二杯分ちょうどのお代を置いて、止める間もなく店を出て行ってしまった。


 残されたのは空になったカップが二つと、行き場をなくしたグレイシアの伸ばした手。

 グレイシアは力無く手を下ろすと、今日一深いため息をついた。


「ん」

「マスター…ありがとうございます。騒がしくしてすみませんでした」


 どっと疲れが押し寄せて来て背もたれに体重をかけたグレイシアに、マスターがおかわりの珈琲を差し出した。グレイシアは小さく微笑むとカップを受け取り、すうっと立ち込める湯気を吸い込んでから一口飲み込んだ。


「……苦い」


 グレイシアは角砂糖が入った容器に手を伸ばし、二つ取り出してカップに落とした。


『角砂糖は二つ、だろう?君は意外と甘党だったからね』


 まるで嵐のようだった。ヴィクトルの話はめちゃくちゃなのに、何故か拒絶しきれない自分に一番驚いた。もう来るなと突っぱねることもできたのに、そうしなかったのは何故なのだろう。


 来世は夫婦という彼の主張もあながち間違っていないのかも、という考えが頭をよぎり、ブルブルと頭を振ってその考えを払う。


 ともかく、彼はきっとまた来るだろうから、少しずつ人柄を知っていこうと思い、グレイシアは天井を仰いだ。

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