第六章 結刀『愛紗』

第24話

 突然だが、男女のいさかい現場に遭遇したことがあるだろうか。

 僕はある。


 現在進行形で一組の男女が脇目も振らずに痴話喧嘩をしていた。

 こぢんまりとした料理屋でよくやるなぁ、と傍観しながらテーブルの上に置かれた料理を食べているとクシマは大興奮して野次馬を始めた。


「女の方が男に愛想を尽かしたみたいだねー。クシマ的には浮気の匂いかするかもー」


「いいから。こっちにいらっしゃい」


 周囲をうろちょろして怒りの矛先が僕たちの方に向いては敵わない。

 状況を伝えてはまた男女の方へと走って行くクシマを呆れたように見つめるお姉さん組と軽蔑の眼差しを向けるヴィオラ。

 ライハは我関せずといった様子だ。


「この状況に慣れてるの?」


「はい。昔からクシマちゃんはあんな感じです。後宮でも上手にお仕事をサボっていました」


「何が気に入らないって、サボりが発覚しても怒られないのじゃ。監督不行き届きとして叱られるのは、いつもわしかヒワタじゃったな」


 昔を懐かしむように店の天井を見上げるシムカは絵になっていた。

 もしもここがバーのような大人の雰囲気のある場だったなら、シムカは引く手あまただっただろう。


「クシマなんてただの子供よ。放っておいて構わないわ」


 ぷいっと顔を背けて食事を再開するヴィオラ。過去に何かされたのだろうか。


「ヴィオラちゃんとクシマちゃんは昔から犬猿の仲ですから。きっちりしたいヴィオラちゃんと適当でも見栄えがよければいいクシマちゃんではどうしても、ね」


 ヒワタの困ったような表情もよく映える。

 いつも笑顔でいるからか、こういった困り顔が男心をくすぐるような気がした。


「食べたのなら早く行きましょう。ライハのお行儀が悪くなってしまうわ」


「え、あたし!? 黙ってみんなが食べ終わるの見てたじゃん」


「今すぐにでも立ち上がりたそうにソワソワしているじゃない」


 図星だったようでライハは罰が悪そうに顔を伏せて狸寝入りを決め込む。

 もう全員が食事を終えたので、お会計をしようと立ち上がったとき、痴話喧嘩をしていた男女の声がより一層大きくなった。


「もう、あなたとは終わりよ! 私たち別れましょう!」


「馬鹿っ!? それは禁句だろ!」


 カップル同士での決めごとでもあるのだろう。

 そんな風に呑気な構えていた僕の目の前で男女が弾けた。


「……は?」


 呆然と立ち尽くすのは僕だけではなく、店の中にいた客とウェイトレスも同じ反応だった。


 まるで体の中にある何かが弾けて穴という穴から外に飛び出したような。

 自分の頬に飛び立ったそれを指先で拭って見ると正体はすぐに分かった。

 まだ生温い液体。それは血だった。


 店内の壁や天井、客の顔や服を汚した二人の血液。

 それに気づいた客たちは絶叫し、店内は大パニックになった。


 一番近くで見ていたクシマは全身に返り血を浴びながらも平然と顔を拭い、何事もなかったように戻ってくる。


「あーあ。爆発しちゃった」


 バシャっと音を立てて倒れる一組の男女だったモノを物ともせず、僕の方へ向かって歩いてくる。


「恋は盲目だねー。サヤちんも気をつけないと爆発しちゃうかもよー?」


「なにを笑顔で言ってるんだよ。早くシャワーを浴びに行こう」


 クシマの背中を押しながら店の出口へと向かう。

 すでに他の客も店員も逃げ出してしまっているのだから、うかうかしていると僕たちに疑いの目が向けられてしまう。


 平然としている彼女たちを連れて外に出たが、全身血まみれのクシマは相当目立っていた。


「ライハ、雨を降らせてもらってもいい?」


 仕方ないな、と渋々能力を発動し、空を覆った分厚い雲から雨が降り始める。

 僕たちは屋根のある場所に一時避難したが、クシマは踊るように水浴びを続け、他人の血液を洗い流す。


「さっきのは十刀姫じゅっとうきの能力?」


 驚いていないと言えば嘘になるが、先日クシマに殺されかけている僕には多少の耐性ができているようだ。


「そうね。アイシャの仕業だと思うわ」


 やはり、ヴィオラたちには心当たりがあったらしい。

 特に考える素振りもなく、答えが返ってきた。


「どんな能力か知ってる?」


「永遠を誓わせる能力じゃな。以前は恋愛成就の神として人間にまつられておったが、最近の動向は知らん」


 抽象的すぎて分からない。

 会ってみたい気もするが、体を爆発させられるのは御免だ。


「愛神様の祟りだ! 俺はあの二人が痴話喧嘩している所を見たんだ。間違いない!」


 店内から逃げ出した客の一人が叫び、野次馬たちがざわめき出す。

 聞き慣れない言葉に戸惑っていると、老婆が雨宿りのために屋根の下に入ってきた。


「愛神様が人の手に渡ってしまった末路じゃわい」


「愛神様とはなんですか?」


「恋愛成就の神様じゃわい。数ヶ月前に巫女どもが争い始め、その中でも特に強く愛に取り憑かれた巫女が神の力を得た。それからおかしくなってしまったのじゃわい」


 老婆の話ではこの先に愛神様のまつられていた御神木があるらしい。


 血で血を洗う酷い惨劇の果てに愛の神が人の手に渡った。

 それはつまり、爛刀らんとう珀亜はくあ』のように隠されていた危険刀きけんとうを巫女が所有しているということだろう。


 それがシムカの言った永遠を誓う刀なのであれば会って話を聞きたいし、ヒワタのような使われ方をされて困っているなら解放してあげたい。

 その過程で争いを止められるなら一石二鳥だと考えた。


 老婆と別れた僕たちはずぶ濡れのクシマを連れて、掛け流しの温泉で疲れと血を洗い流してから愛神様のまつられていた御神木を目指した。

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