追物射

武州人也

騎射

 川釣りをした帰り、魚でいっぱいの魚籠びくをかつぎ、左手にはウィレムの首から伸びる引綱を握って砂利道を歩いていた。ウィレムはここいらでは珍しい洋種の犬で、見栄っ張りな父ちゃんが大枚をはたいて購入したものだ。人懐っこくて好奇心が強いこいつがかわいくて仕方ないおれは、何かにつけてこいつを連れ出している。


 いつもと違う場所で釣りをしたから、帰り道の風景もいつもとは違う……かと思いきや、田畑ばかりが広がっていて、あまり変わり映えはしなかった。ところがウィレムときたら、いつもと違う道を歩いているせいか、どうにも落ち着かないようだ。ときおり立ち止まってその場を掘ろうとしたり、やたら左右にじぐざぐ歩きをしたりしている。


 ふと、ダダダダダダッ、と、小気味のよい蹄音が右側から聞こえた。音のした方を向くと、右手側に広い砂の馬場があることに気づいた。その直線の馬場を、人を乗せた鹿毛かげの馬が疾駆している。

 蹄の音に混じって、ヒュン、という弦の跳ねる音が聞こえてきた。馬背の人物は弓をもっていて、放った矢がらちの外に立てられた藁束に刺さったのだ。


「ありゃあ、流鏑馬やぶさめか?」


 見に行ったことはないが、流鏑馬という神事があることはおれも知っている。狩装束という古い服装を身に着けた射手が、馬に跨って直線の馬場を駆け、その脚を止めることなく矢を的に射かけるのだ。元々はお侍の家に伝わる武術の訓練であったらしいが、今は神様に奉納する神事として行われているそうだ。


からの国の、李広りこう将軍みてぇだなぁ」


 道から人馬を眺めながら、叔父から教わったばかりの名前をつぶやいた。すると人馬一対はくるりと旋回して、こちらに近づいてきた。のぞき見が気づかれたのだ。

 馬背の人物はきっとおれよりいくつか上で、十五か十六ぐらいだろう。少年とはいっても、おれやその友だちのような多摩の片田舎の芋助いもすけ少年とはまったく違う。角笠をかぶり、藍色の狩装束を身に着け、見事なまでに長い黒髪を総髪にして鞍に跨る姿は、息を吞むほど美しかった。なるほど美丈夫という言葉は、彼のような男子おのこのためにあるのかもしれない。

 おそらく、この少年はお侍の子弟だ。父ちゃんが生まれた頃、お侍はみかどに代わってこの国を治めていたらしい。お侍はとても怖いもので、お祖父ちゃんは昔お侍に喧嘩を売られて、危うく殺されかけたとか。不躾ぶしつけにのぞき見なんてしているのを見つかったら、何をされるかわからない。口で咎められるならまだよい方で、下手をすれば拳を振るわれる――


飛将軍ひしょうぐんみたいだなんて、過ぎた言葉だ。お褒めにあずかって光栄だよ」


 漢の飛将軍李広にたとえられたことを、馬背の少年は素直に喜んでいるようだった。少年のにこやかな顔を見て、おれは安心するどころか、かえって胸がどきりと跳ねるのを感じた。長いまつ毛の下の切れ長に、真っすぐ通った鼻筋、ほっそりとした白い首、その見目形の美しいことは、並び立つものなどないように思える。


「え、あ、あの……お、おれは平三っていうんだ」


 どう言葉を返したらいいのかわからなかったせいか、つい自分の名を名乗ってしまった。


「あはは、平三っていうのか。おれは雪次ゆきじっていうんだ」

「ゆきじ……」

「そう。雪の降っていた日に生まれた次男だから、雪次」


 馬背の少年、雪次は、陽気に笑いながら名乗り返してきた。雪次……血管の透けるような白い肌を見ると、お似合いな名前かもしれない。


「あ、あの、のぞき見なんかして、本当に悪かった。とても見事だったもんで、おれみたいな田舎もんには珍しかったから、つい」

「田舎もんって、それはおれもさ。それに見られて困るもんでもないし、頭を下げられても困るよ」


 何だか、許されているみたいでよかった。お侍はお侍でも、この少年はきっと気立てが優しいのだ。

 安心はしたが、やはり雪次の顔を直接見ることはできない。整いすぎていて、何だか見てると落ち着かない顔だ。


「平三、また見にくるのかな」

「え、ああ、そちらがよければ、また見てぇけども」

「そうか。平三が面白がってくれるなら、いくらでも見せてあげたいけど……今日はここまで。もう暗いから」


 そう言って、雪次は手綱を手繰たぐって馬を翻した。そんな雪次の後頭部に、おれは目を離せなくなっていた。結い上げた髪の下からのぞくうなじに、えもいわれぬ艶めかしさを感じたのである。本当に、この世のものと思えぬぐらいに艶やかだった。


 人馬一対が去り、道に残されたおれは、暗くなりかけた道を歩き出した。道中、肉の腐ったような悪臭がして、「すわ、魚を腐らしてしまったか」と慌てたが、その臭いは魚籠の中からではなく、すぐ傍の林から漂ってきていた。おそるおそる踏み込んでみると、一か所、蠅がぶんぶんと集っている場所がある。


「うわ……」


 狸が一匹、横たわっていた。蠅はこの狸の死臭に引き寄せられていたのだ。かろうじて狸だとわかったものの、死体はぐずぐずになっていて、死んでから大分経っていることがわかる。ウィレムも死臭を嫌がってか、道に戻ろうと引綱を引っ張っている。


 嫌なものを見てしまった……おれは足早に林を抜けて、ウィレムとともに元の砂利道に戻った。

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