第6話 曇るソラ
心臓の病気が明らかになってから、早いもので一ヶ月が経過している。MaTsurikaメンバーの契約期間更新の日が近付いているこの頃、私は着々と辞任の動きを進めていた。
――病名が分かったあの日、渋る緑さんを説得し、父の元へ向かった。そして、病名とともに、社長を辞任したい旨、今後どうMaTsurikaを展開していくかを伝えると、不思議なことにあっさり許可が降りたのである。
あまりにも説得が簡単に行き動揺する私に「あいつの二の舞にはなるなよ」と一言残した父は、きっと母を思い浮かべていたのだろう。父が、娘の私を想ったのか、後継者の私を想ったのかは分からない。だが、どちらにせよ会長である父の許可が得られればあとは簡単だった。水面下で次期社長を用意、引き継ぎをしつつ、MaTsurikaが移籍する事務所への根回しを行って、緑さんをMaTsurikaのマネージャーとしてそちらに共に移すことも決まった。他にも、突然いなくなることへの違和感を抱かれないようにMaTsurikaへの対応を少し素っ気なくしたりもしている。
心臓は今も時々痛むが、色んな病院で診断を受けても寿命は五年と言うばかりだったので、きっとすぐに死ぬことは無いはずだ。結局、IDGPが開催される時までは手術を受けないことに決めている。IDGPは夏に開催されるイベントで、今年分はもう終わってしまった。IDGPはマツショクでのラストイベントで、ゲームの大きな分岐点であるため、MaTsurikaの優勝を見届けてから手術を受けるのだ。
医師は皆口を揃えて早めに手術をしろと怒ったが、症状が悪化すれば手術するという約束で何とか納得してもらえた。入院しながら治療だけしておきたいところだが、大手芸能事務所のコネ若女社長は悪い意味で話題になりがちなのである。とても病院に留まることなんて出来ない。そのため、海外に飛ぶふりをして避暑地の別荘で管理栄養士の資格を持つ家政婦と共に療養する。私があと用意することといえば、別荘で過ごす間の暇つぶし道具くらいだ。
社長室の椅子にだらんと座りながら、一人で使うキャンプ用品なんかをとりあえずパソコンで検索してみる。遊びに行くのかよ、とどうしたって心の片隅で思ってしまうが、捉えようによっては父の呪縛から逃れる初めての一年間である。療養のためとはいえ、なんとか有意義なものにしたかった。きっと、ゲームのジャスティナも同じ気持ちだったはずだ。
ふいにコンコン、とノックの音が響く。音の方を見れば、宙くんがドアの向こうに立っている。相変わらず、金髪がキラキラとしていて王子様のようだった。
「どうぞ」
「失礼します」
社長に直々会いに来るとは何事だろう? と首を傾げている間に、宙くんは私の前に立つ。
「あの、突然申し訳ありません。相談がありまして……」
「なんでしょうか?」
「実は……、……」
「? どうされました?」
宙くんは、私の背の方を見て固まった。同じ場所を見るように振り返れば、そこには荷物の整理をした際に移動した鏡が置かれている。ばっちりと、私とパソコンの画面が映し出されていた。
「あ、あはは……」
「……ふふ、キャンプにでも行かれるのですか?」
「うーん、と、まぁ、そんな感じで……お恥ずかしい……」
勤務中にサボっていると思われてしまったことが恥ずかしくて、慌ててページを閉じる。気を取り直して宙くんに向き合えば、幸い特に深掘りされることもなく言葉を続けてもらえた。
「実は、仕事量を減らしたいんです」
「……そうなんですか?」
私がゲームで知っている宙くんは、MaTsurikaがデビューする前からずっとアイドル街道をひた走ってきた人だ。仕事を自らセーブするイメージはない。
「働き詰めで、体力がしんどいですか?」
「いえ! ただ、その、これからについて考える時間が欲しくて……」
マネージャーに相談したところ、社長に聞いてこいと言われてしまったらしい。おそらく、稼ぎ頭の宙くんがふわっとした理由で仕事を減らしたいと言うものだから、社長に拒否してもらおうと踏んだのだろう。まぁ実際、大きな仕事の変換は、私の承諾がいるのだから仕方ないのだけど。
「分かりました。いいですよ」
「えっ! い、いいんですか?」
「はい。あぁ、ただ、今決まっている仕事は全て続けてくださいね。えっと、レギュラー番組一本と来春のドラマは……」
「も、もちろんです……」
妙な空気が流れる。大した相談もなく許可を出したことで、戸惑われているのだろうか。確かに、私も父に辞任のことをあっさり許可されて困惑したものだ。きちんと私の思いを伝えるべきだろう。
「宙くんは、子役時代に所属した事務所からここに移って、七年近く頑張ってくれていましたよね」
「そう、なりますね」
「私自身、社長になるためにずっと育てられてきましたけど……長期的な目標のために努力を重ね続けるのがどれだけ大変かは分かってるつもりです。休みたい時があるのは当然ですよ」
「……それでも、すみません、急に休むなんて」
「いいえ。突然仕事を全部辞めるわけでもありませんし……。それに、宙くんが頑張ってきた七年間は、宙くんが働き続ける呪縛ではなく、休むための積み立てだと思うべきです。少しだけにはなりますけど、休んで、ゆっくり考えてください。その結果辞めたくなったとしても……私には責める気にはなれません」
私だって、勝手に社長を辞めるわけだし。とつい苦笑いをこぼす。詳しい事情は知らないが、FDで宙くんが活躍していた以上、彼は少し休んだ上しっかりとアイドルに戻るのだろう。そのまま居なくなる、私とは違って。
「……社長は、……」
何かを言いかけて、宙くんは口を噤む。まだ何かを相談したいのかと思って、黙って続きを待った。目が合い、心がけて優しく微笑めば、彼はようやく口を開いてくれる。
「社長は、社長を辞めたいと、思っていますか……?」
「えっ……」
想定外の質問に目を見開いた。一瞬、私が社長を辞めることがバレているのかと焦ったが、私が「責める気にはなれない」なんて言ったから疑問に思っただけだろう。ならば、私は自分の気持ちを正直に伝えるだけだ。
「そう、ですね〜……」
社長業、というものにはそれほどこだわりがない。かと言って他にやりたい職があるわけでもないが……。どちらかといえば、幼少期から父親に自社の駒として扱われていたせいで、社長業には少し嫌悪感がある方だ。
だけど、アイドル事務所という場所は自分にとても合っていると感じる。MaTsurikaに限らず、これまで売り出したアイドルたちを見守るのはとても好きだ。だから、辞めたいか辞めたくないかで言えば……。
「辞めたくはないですかね……」
「……そうなんですね」
「ふふ、意外ですか?」
「いいえ。納得しました、とっても」
よく分からないが、宙くんの表情がとてもスッキリしているようなのでいい回答だったのだろう。
「マネージャーには、社長から許可が降りたと伝えてください。異論があれば直接言いに来るように、と」
「はい。ありがとうございます!」
宙くんは、丁寧なお辞儀をして社長室を出ていった。私の記憶ではマツショクにはFDが一作しか無かったが、私の死後に二本目が出たのだとすれば、宙くんも攻略対象に追加されて今回の葛藤も知れたのかもしれない。
そういえば、どうして前世の私は死んだのだろうか。最後の記憶は……何だっただろう。ほとんどマツショクに関する記憶しか残っていないのがなんだか勿体ないが、家族や友人のことを思い出してしまえば、それこそ前世が恋しくなってしまいそうだ。現状が一番いいのかもしれない。
「っ……! はぁ、っうぅ……!」
ぽけっと前世について考えていれば、心臓が痛み出す。左胸を抑えて、机に倒れ込むように伏せた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫……まだ、大丈夫だから。
数日後に控えているMaTsurikaへの移籍報告を思い浮かべる。マツショクにおける必須イベント前に、死ぬことはないはずだ。そう考えながらも、MaTsurikaへの罪悪感も相まって、胸の痛みは増すばかりだった。
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