第二十四話 仕事地獄(一)

 護栄という嵐が去ったその夜、美星は気分良く響玄と夕飯を食べていた。

 いつもと変わらない一日の終わりだが、とても気分が良くてついつい笑顔が零れる。


「福利厚生って具体的に何なのかしら」

「幅は広いな。法定福利厚生か法定外かにもよるし」

「何それ」

「国の法で定められたものを『法定福利厚生』。法には定められていないが、各企業独自に導入するものを『法定外福利厚生』というな」

「ええ? 法律なんて変えられないわ」

「そうだな。お前にできるのは現状の改善か法定外福利厚生の新設だろう」

「でも予算削減するなら新設はできないわよね……」

「巨額の削減ができれば見込みのある新設に予算を貰えるだろう。削減できそうな品はないのか」

「備品は削減できるけど巨額ってほどじゃないわ」

「ならもっと大きな物を探さねばいけないな。高価でかつ固定費や販管費のかかるものを削減した方が良い」

「ん~……」

「はは。あまり背伸びせず普段の仕事で気付く事からやればいい」

「そうね。うん。侍女のみんなにも聞いてみるわ」


 護栄は侍女と二足の草鞋を履けと言っていた。

 ならば今まで通り侍女をやりつつ、必要に応じて護栄に話を持って行くことになる。


(報告会で提案すればいいのよね。開催日までに提案準備しなきゃいけないから日程気を付けてよう)


 桜綾も最近は活発になり意見をくれたりもする。

 日々考えながらやっていこうと思った美星だったが、嵐というのは気まぐれに突如やって来るもので。


「異動です」

「は?」


 またも侍女の申し送りに現れたのは護栄だった。

 全員がきょとんとする中、がしっと美星の腕を掴む。


「え!? 何ですか!?」

「だから異動です。今日から私のところに来なさい」

「へ?」


 きゃあと悲鳴が上がった。侍女は皆驚いて、何故か身を寄せ合っている。


「ど、どうしてですか」

「どうって、何寝ぼけてるんです。昨日の話をまとめるんですよ」

「え? もう?」

「当然です。次の予算委員会までに資料を揃えなければいけないですから」

「委員会? 資料?」

「行きますよ。やることは山積みです」

「けど侍女の仕事が」


 美星が同僚を振り向くと全員がきょとんとしている。

 けれどその中で一人だけ、蘭玲は微笑んでぽんっと美星の肩を叩いた。


「よかったですね。念願の護栄様付きですよ」

「……え?」


 美星は蘭玲に良い印象を持っていなかった。

 獣人ばかりを優先し、人間と有翼人を差別する人なのだと思っていた。


(でも小鈴のことも気にかけてくれてた。下働きの一歩先にある刺繍の仕事をくれたのも蘭玲様だわ。有翼人の私に)


 蘭玲はにこりと微笑み美星の頬を撫でた。


「基本的には護栄様付きで、手が空いた時はこちらへいらっしゃい。護栄様。どうぞよろしくお願い致します」

「ええ。さあ行きますよ」

「は、はい!」


 美星は同僚にぺこりと頭を下げ、ばたばたと高速歩行の護栄を追った。

 そして戸部の執務室に入ると、こちらを見て浩然が、あ、と声を上げた。


「僕が迎えに行くって言ったじゃないですか」

「通りがかりだったので」

「どうせまた周りの迷惑顧みずかっさらってきたんでしょう。あれこっちが非難浴びるんですからね」

「結果を出して黙らせなさい。美星。あなたの事は浩然が面倒を見ます」

「はい! よろしくお願い致します浩然様!」

「様いらないよ。敬語も。いやー、これで護栄様の無茶ぶり残業が減るよ。このひと月で十人は逃げちゃったからさ」

「……十人?」

「余計な事を言うんじゃありません」

「必要な事ですよ」


 護栄が忙しいというのは誰でも知っている話だ。

 激務をこなし、それには誰も付いていけないと。


(嫌になって退職してるってことよね……)


 浩然は楽しそうに笑っているが、よく見れば他の職員はげんなりしている。

 一抹の不安を覚えたが、そんな事は気にしないとばかりに護栄はばんっと幾つもの書類を並べた。


「まずは備品類の購入費用削減です。どう変更し前年度比でどの程度削減できるかを算出しなさい」

「最初は僕が一緒にやってあげるよ。要は削減したい物を書き出すだけだから」

「はい。よろしくお願いします」

「では明日の昼までにお願いします。会議に出せるようにしておいて下さい」

「承知致しました」

「ちょいちょいちょい。承知しないで」

「え?」


 浩然はずいっと前に出て護栄をぎろりと睨みつけた。


「明日の夜までで!」

「昼です」

「夜!」

「昼」

「夜!」

「昼」


 浩然は締め切りの延長を何度も繰り返した。しかし護栄はつんっとそっぽを向いて取り合おうとしない。


(商談してるお父様みたい)


「夜! 美星は初心者なんですよ!」

「仕方ありませんね。では間を取って夕方」

「間取るなら後ろに寄せて下さい」

「駄目です。夕方」


 大勢の前で見る護栄は若者とは思えないほどしっかりしているが、本性は意外とそうでもないことをこの数日で知った。

 特に浩然といる時は無邪気にも見える。

 しかし決着はつきそうになく、美星はすいっと手を挙げた。


「一覧にするだけですよね。なら夕方までにできると思いますが」

「馬鹿言わないでよ。どれだけあると思ってんの? 備品だけじゃなくて宮廷の内装とか調度、全部含めるんだよ」

「でも全商品一覧を作る必要ないわ。削減する物だけ書き出せば」

「何を削減するか決めるために一覧が必要なんだよ」


 ふと響玄の言葉を思い出す。削減は高価でかつ販管費のかかる物でするのが良いと言っていた。


(販管費とは販売管理費用。商品単価だけじゃなくて倉庫管理費用や人件費のかかる物ってことだわ。ならこれしかない)


「いいえ。一覧は必要ありません。削減するのは食材です!」

「食材?」

「はい。そもそも使っている食材が高価すぎるんです。たとえばこの茶葉」


 美星は棚に放置されていた茶葉の袋を手に取った。

 封を開けるとふわりと良い香が漂う。


「これの価格はご存知ですか?」

「さあ。知らないけど」

「なんと適正価格で一杯銀一」

「「え」」

「一袋では金一にもなるでしょう。もっと一般家庭で使う茶葉で十分のはず。手焼きの麺麭も麺も高価な小麦を使っていますが、あれなら出来合いの物を買う方が安い。残飯も多いので納品数を見直しても良いでしょう。そうすれば倉庫管理費の削減もできるはず」

「へえ! 誰も目利きできないから後回しにしてたんだ。護栄様!」

「いいですね。具体的な内容をまとめて下さい。明日の夕方までに」

「夜」

「夕方です。だってできると言ったじゃないですか」

「内情を知らない新人の言葉を真に受けないで下さい」

「そんな事前調査不足は聞きません。できると言った以上はやってもらいます。美星」

「は、はい」

「明日の夕方までにお願いします」


 護栄はにこりと微笑んだ。その空気は妙に重かった。

 そして、護栄は幾つかの書類を抱えるとどこかへ行ってしまった。

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