第二十三話 光の架け橋(三)
「分かりました。それで、ご希望の品はなんでしょう」
「氷です」
「氷?」
「明恭は大規模な氷河に困っているのです。あれが欲しい」
「氷河って海に浮かんでる氷ですよね。そんなもの何に――……」
はたと美星は気が付いた。
響玄は氷を買っている。たくさんの氷を有翼人である美星のために。
「天然の水を国民に配布して頂けるという事ですね」
「はい。この先蛍宮は人口が増えるでしょう。その時に水不足が考えられます。先手を打ちたい」
先のことなど美星には分からない。それでも水が必要なことは分かる。
特に有翼人は今すぐにでも天然の水が必要だ。美星は思わず護栄の袖を引いた。
「それは……有翼人にも届けて頂けますか……」
「当然です。有翼人も蛍宮国民です」
じわりと美星の目に涙が浮かんだ。
護栄はくすっと笑った。それはとても優しい笑顔に見えた。
けれど護栄はすぐに響玄に視線を戻し、すると再び険しい顔に戻ってしまった。
「天藍様は孤児難民の保護もお考えです。だがそれには豊かな食料と水が必要。食料はどうとでもなりますが水は難しい」
「そうでしょう。大規模な水道を引くは人間の高度な技術が必要ですが、蛍宮にはそれがない」
「そうです。ですが明恭にはある。しかも湯を出す事もできるとか」
「お湯? お湯が蛇口から出るのですか?」
「ええ。どういう仕組かは分かりませんが、これも欲しいですね」
「水道が普及したばかりでそこまでお考えだったとは。しかし氷とはまた……」
「あちらにしてみれば廃棄物なのでちょうど良いでしょう。ただ問題は運搬です。蛍宮の船を使うことはできません」
「そうですね。こちらも内乱が無いとは言い切れませんし」
「なので納品まで明恭でやってもらい、かつ恩を売り着地したい。これの策を練って頂きたいのです」
「策とはまた簡単におっしゃる」
「五年かけて構いません。その間に私は輸出入の利益率交渉をします。麗亜殿と相対する時に打って出れるようにしておかなくては」
「護栄様が直接とは麗亜殿が不憫ですね」
「潰すのは容易い。ですが明恭の軍事力は味方に付けるのが得策です」
「……蛍宮の命運を賭けた交易になりますな」
「そうです。だからこそあなたに頼みたい。実質蛍宮の輸出入を握っているあなたに」
響玄が成功した理由はいくつかあるが、最大の理由が船の所有だった。
各国には港があるが、響玄は他国に契約を取り付け船を借りて輸出入をする。海を越え多くの国を股に掛ける行動力こそが響玄の武器なのだ。
(宮廷は簡単に船を出せないから輸出入には消極的で、だからこそ天一はここまで大きくなった)
つまり響玄には有翼人を救済した実績と、それ以上に輸出入成功の実績があるということだ。
しかし響玄は低く唸った。美星には何をしなければならなくて、それがどれだけ大変な事かすら分からない。だが響玄の顔はいつになく険しい事は分かる。
「交易はともかく恩を売るのは簡単じゃありませんね……」
「そこを何とかお願いします。私は商売に疎い」
「氷河は大自然の奇跡です。こちらもそれと同程度の物を出さねばならないが、差し出せる奇跡など私は持ち合わせておりません」
「無理を言っているのは分かっています。ですが麗亜殿に悟られずこちらから提案しなければ弱みを見せるだけになる」
「目先に左右されず国益を得よと。これは難しい話だ……」
規模の大きすぎる話に美星は黙るしかなかった。
ここに居る事すら場違いに感じ始めたその時、ぽんっと浩然が美星の肩を叩いた。
「じゃあ難しいことはお二人でやって頂いて。僕達は自分の仕事をするよ、美星」
「え?」
浩然はひょいと立ち上がり、護栄を押しのけ美星の隣に座った。
「氷が貰えるようになるまで国民の生活向上をするんだよ。目先に左右されることは僕らがやらなきゃ」
「あ、そ、そうよね。国民は今が大変なんだものね」
「そ。国民の生活を動かすのは宮廷職員だ。職員にはちゃっちゃか働いてもらわなきゃ困る。なら彼らが仕事しやすいように業務効率を改善をしよう。そのためにできる事が君にはあるだろう?」
「私が? 私がそんな大それたことを?」
「大それてないよ。文官は君を選任に指名した。備品と軽食って些細な事だけど彼らの心を掴んだ。これが何だか分かってる?」
「何って、普段の仕事です。侍女の仕事です」
言われている意味が分からず首を傾げた。
浩然は面白いと言いたげに小さく笑い、椅子の背にもたれてつんっと護栄の肩を突いた。
護栄もなぜか笑っていて、少し前のめりになりなって美星の顔を覗くようにして見てくる。
「福利厚生。働きやすい環境を整え業務を円滑にする制度を福利厚生と言います」
「ちなみに護栄様の福利厚生は評判最悪」
「余計な事を言わなくていいんですよ」
「必要な事ですよ。護栄様にできない事をやったって自信になるんだから」
「はは。護栄様でも失敗がありますか」
護栄はばつが悪そうな顔をした。
いつも自信満々で人々を導く護栄が、響玄を前に子供のような顔をしている。
「でもそれもお父様の力です。お父様が普段やってらした事を見てたから知っていただけ。今回だって頼んだだけで私は何もしていない。私はただの七光りです。お父様という光がなければ何もできない」
「七光りの何が悪いんです。いいじゃないですか。七光りだと認めてもらえない者の方が多いんですから」
「認める? 馬鹿にされるの間違いでしょう」
「何故です? あなたがいなければ響玄殿を知らない者もいた。あなたは響玄殿という光を国民へ届けたんです」
護栄はにやりと笑った。やけに自信に満ちた、下手すれば癇に障るような笑い方だ。
けれど。
「七光り大いに結構。使える全てを利用し結果を出しなさい。さすれば悪意も善意に変わる」
とても美しく思えた。護栄の言うことはとても美しい気がした。
「福利厚生なら僕が予算を割けるよ。今すぐにね」
「本当ですか!?」
「うん。ただし内容を見直すのは現場の侍女。で、侍女の意見をまとめて僕に伝えるのは君にしかできない仕事ね」
「私にしかできない……」
きらきらと、視界で何かが輝いていた。どくどくと美星の胸の中で何かが暴れている。
「やってくれますか」
「はい!」
何もできないように見えてもできる事があるのだと知った。
ようやく美星は土俵に立ち、一歩踏み出した。
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