第七話 護栄直属、戸部の浩然(一)
美星はじっと現れた少年を観察した。慶真を捕まえに来たのなら知られるわけにはいかない。
規定服を着ているということは宮廷職員なのだろう。だが歳は美星よりずっと若く、護栄と同じか少し下に見える。
(……あら? この子どこかで見たような)
美星は何か引っかかったが、少年はふわりとした亜麻色の髪をかき上げ美星を睨んだ。
「この先は国葬墓地だよ。国事以外で一般の立ち入りは禁止されて――ん? それどうしたの。血が付いてるじゃない。怪我してるの?」
「え? あ、これは、その、怪我をした猫がいたので手当しようとしたのです。でも逃げられてしまって」
「猫?」
慌てて取り繕ったが、不審に思われたのか少年は目を細めて首を傾げた。
周囲をきょろきょろと見回すと何かに気付いてしゃがみ込んだ。
「猫って獣人? 服だけ落ちてるけど」
「え?」
そこには乾ききらない血に濡れた服が落ちていた。落ちていたのは規定服ではなく、成人男性の物と思われる服だ。
(しまった! 慶真様の服だわ!)
少年は服を拾うと周辺の茂みをがさがさと掻き回した。
けれど来ていた本人が見つかるはずもなく、ふうとため息を吐いている。
(慶真様だと特定できる服だったらまずいわ。処分しなきゃ)
美星は少年から奪おうと慌てて服に手を伸ばした。
「血で汚れてしまいます。私が処分しておきますので」
「いい。それよりおいで」
「わ、私ですか。何故でしょう」
「何故も何も、その格好で宮廷を歩くつもり?」
「え? あ」
少年に指差されて自分の服を見ると、下半身にべっとりと血が付いていた。
さっさと帰りたいが、血は広範囲で隠して歩ける物ではない。誰かに見られ追及されたら、慶真とは知られずとも獣人に接触したことは広まってしまうだろう。そう思うと下手に歩き回ることもできない。
「おいでよ。代えの服を用意するから」
「あ、え、ええと、でも宮廷を汚してしまってはいけませんし」
「大丈夫。僕の部署は裏口から入れるから。おいで」
「……はい」
ここまで好意で提案されては断り続けるのも余計不審に思われるだろう。
美星は諦めてとりあえず付いて行くことにした。
*
「待ってなよ。着替え貰って来るから」
「はい。有難う御座います」
少年の言う通り裏口から入ると宮廷の中を歩かずに済んだ。
部屋の中を汚さないように部屋の隅に寄ろうとしたが、美星は室内を見て愕然とした。
(きったない部屋!)
室内には大量の本と書類が散らばっていた。整理整頓とは程遠く、ちょっと揺れたら雪崩が起きそうなほどだ。
(何の部屋かしら。まさか個人の執務室ってわけじゃないわよね)
長机と長椅子が六つと、一人用の机と椅子がひとつずつ配置されている。明らかに上長とその他部下が集まる部屋だ。
余りの散らかりように思わず床の書類をいくつか拾い上げると、その書類に違和感を感じた。
(何この紙。毛羽立ってるじゃない。墨も変色が酷いわ。松煙墨かしら)
美星は響玄の扱う品で目が肥えている自覚はあるし、宮廷ならさぞ金をかけた備品が多いだろうという予想はしていた。
目的に沿った品選びがされていれば、品位や体面を保つことにもなるので金をかける意味はあるだろう。
(絵を描くわけじゃないんだから扱いやすいにすべきよ。安い洋煙墨でいいわ)
いくら品が良くても使いこなせないのなら意味などないだろう。
待ってる間に書き直してしまいたいと思うくらい読みにくく、数字の羅列は読みにくいどころか解読不能だ。
(まさか帳簿じゃないでしょうね。絶対計算間違いす――……計算?)
はっと気づき散乱する書類を見た。その全てに数字が記載されていて、日付や用途が書かれている。
文字は整列されていないので分かりにくいが、それは美星が天一で付けている帳簿によく似ていた。
「ここってまさか……」
「戸部だよ」
「え!?」
「はい、着替え。そっちの奥鍵かかるよ」
「あ、有難う御座います」
美星は気になる書類を机に置き、後ろ髪惹かれながら部屋を移動した。
(運が良いわ! ここで気を引ければ戸部に縁ができるわ!)
戸部に入れるかどうかは下働きの活動を経てその後の話だ。それも希望が通るかは分からない。
けれど、ここで自分を売り込んでおけば、採用する側が下働きから選ぶ時に有利になるだろう。
美星は大慌てで着替えると、少年の待つ部屋へ小走りで戻った。
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