第五話 護栄の実態(一)

 いよいよ美星の宮廷勤めが始まった。

 以前は宮廷へ入ったら襲われるのではないかという不安があったけれどそれは先代皇の話だ。

 ここは天藍と護栄が率いる場所なのだと思うと美星の心は希望に満ちていた。


(凄い人数だわ。この全員が宮廷勤務希望なのね)


 美星を始め、下働きを始める者が広間に集められていた。年齢と性別で業務が違うらしく、ここにいるのは若い女性だけだ。

 人数は数えられないくらい多いが、中には響玄が面倒を見ている羽無しも多い。この採用は再出発を決意するきっかけになったのだ。それだけでも大きな進歩だ。

 しばらくざわざわとしていると、二人の女性がやって来た。


「礼儀作法の指導を担当する莉雹です」

「採用の蘭玲(らんれい)です。適性試験の後配属場所を決めます」


(莉雹様! 莉雹様が直々に指導なさるのなら安心だわ!)


「今日は宮廷内の案内をします。まずは規定服に着替えて下さい。明日以降は出勤したらまずこ」

「え!? これ着ていいの!?」

「すごい! こんな綺麗な服着れるなて夢見たい!」


 若いが故に宮廷の上質な服は胸躍るのだろう。少女たちは蘭玲の言葉を遮って、あまつさえ背を向け規定服を弄り回し始めた。

 増税のしわ寄せで生活が苦しくなっていた者にしてみれば、給料が貰えるうえ綺麗な服まで与えられるなんて夢の国だ。これは仕方が無いだろう。

 しかし莉雹と蘭玲は眉をひそめた。礼儀も弁えずはしゃぐ姿は決して美しい所作とは言えない。

 特に蘭玲はそれが不愉快だったようで露骨なため息を吐いて睨みつけている。


(確か莉雹様は礼儀作法が最初の適性判断になるとおっしゃってたわね)


 まだ話途中だったのだから着替え始めて良いわけがない。美星は背を伸ばし手を組んだままじっと待機した。

 すると蘭玲もそれに気付き、にこりと嬉しそうに微笑んだ。


「あなたは礼儀作法を学んでいるようですね」

「宮廷へ出仕するのであれば当然でございます」

「良い心がけです。身なりも化粧もきちんとしているし。名は?」

「美星と申します」

「美星ね。とてもよろしいですよ」


 蘭玲はうんうんと頷くと、その場を諫めるようにぱんっと鋭く手を叩いた。


「戻りなさい! 相手が話している時は最後まで聞くこと! それと着替えるからといって適当な身なりで来てはいけません。皆美星のように整えていらっしゃい」


 注意されて大半はばたばたと元通り整列したが、何名かは未だに規定服に心を奪われている。それほど宮廷は日常からかけ離れた場所なのだ。

 蘭玲は諦めたようにため息を吐くと無視して整列した者だけに目を向けた。


「この中に肉食獣人はいますか」

「はい」

「私も」

「獣種は?」

「獅子です」

「私も」

「そう! それは良いわね! ではあなた達は女官にしましょう」

「え? あ、で、でも適性検査があるのでは」

「肉食獣人以外はね。さ、こっちへ。業務に希望はありますか?」

「えっと……」


 突如投下された贔屓はその場の全員が眉をしかめた。

 天藍の体現した全種族平等に惹かれて集まったというのに、これではまるで先代皇の時代そのままだ。

 全員が戸惑っていたが美星は冷静だった。


(莉雹様のおっしゃった通りだわ。吏部は獣人優位で有翼人迫害が残る。この規定服は顕著ね。羽が出せない服なんて有翼人は着れないわ)


 有翼人の背には羽がある。当然、羽を出す穴がなければ着れない。

 だが用意された規定服は人間の姿でしか着ることができない形状だ。着るのなら羽を無理やり押し込むしかない。

 美星は部屋の隅に集まっていた有翼人の女性達をちらりとみると、そっとそれを棚に戻し音もなく部屋から出て行くのが見えた。

 その姿は有翼人迫害そのもので苛立ちが沸き起こる。それでもここで落とされるわけにはいかない。

 美星は気が付かなかったふりをして規定服に着替えを始めたが、妙に縮こまって着替えている一人の少女に目がいった。


(あの子は……)


 美星は着替えにくそうにしている少女の傍に駆け寄って後ろから襟を引いた。


「あなた。羽の付け根が目立ってるわ」

「え!?」

「後襟、首の付け根を引っ張ると良いわ。背にゆとりが出来るけど見栄えは変わらないから」

「……あなたも羽無し?」

「ええ」


 羽は切り落としたけれど付け根だけは残った。ぎりぎりまで削ることもできるが、また精神に影響が出ないとも限らない。

 だから今以上に小さくする事はできず、ぴたりとした服を着ればぽこりと目立つ。ならば服にゆとりを持たせてうまく隠すしかない。


「……隠す必要は無いはずなのにね」


 美星がそうぽつりとこぼすと少女は俯き、身に纏った規定服をぎゅっと握りしめた。


「天藍様は羽無しも慈しんで下さるかしら」

「宮廷内で殿下の御名を口にしては駄目よ。必ず『殿下』と」

「そうなの? 詳しいね。褒められてたし」

「少し勉強しただけよ。すぐ習うわ。ねえ、名前聞いてもいい? 私は美星よ」

「私は小鈴(こすず)。『しゃおりん』って書いて『こすず』」


 ぴくりと美星の指先が揺れた。

 小鈴(しゃおりん)は珍しい名ではない。だがこれからは『こすず』が増えていくのだろう。それは平和になった証と言って良い。

 だが美星の友は読みを改めることはできなかった。


「……良い名だわ。よろしくね」


 美星はきゅっと唇を噛んだ。けれど握手をしようと手を差し伸べることは、どうしてもできなかった。


*


 着替えが終わると有翼人は全員いなくなっていた。それを引き留めに追ってくれたのだろうか、莉雹もいなくなっている。

 だがそれを気にする者はいない。いるとすれば美星と同じ羽無しだろう。


「今後の予定ですが、三か月間いくつかの仕事に携わってもらいます。その中で適性を判断し配属先を決めますが、必ずしも希望に沿えるとは限りません。辞退したい者はその時点で申し出るように。では」


 蘭玲が手元の書類をぺらりと捲ると、突如扉が開かれた。

 立ち去った有翼人が戻って来たのかと思ったが、そこにいたのは意外な人物だった。


(護栄様!)


 入って来たのは配給を宣言した少年だった。

 とても戦争を三日で終わらせた軍神には見えず半信半疑だったが、その名を呼ばれているということは本当に本物なのだ。

 美星の鼓動はどきどきと高鳴り始める。


「まあ、護栄様。どうなさいましたこんなところに。まだ説明が済んでおりませんで」

「いいですよ。先に連れて行きたい者がいるんです。虎獣人の翠花(ついふぁ)と雪花(しゅふぁ)の姉妹はいますか」

「はい!?」

「はい。私が翠花です。そっちが雪花」

「こちらへ来てください。それと獅子獣人の青蝶(ちんでぃえ)、文月(うぇんゆぇ)。熊獣人の花霞(ほぁしゃ)。以上の者は私直轄の特別部署へ配属です。付いて来なさい」


 ざわっと集まった全員がどよめいた。

 呼ばれた少女本人も訳が分かっていないような顔をしているがひどく気まずそうな顔をしている。

 蘭玲は獅子獣人だからという理由で適正も何も見ずに採用したが、今また同じことが起きているのだ。

 全員の顔に不満が現れ静まり返ったけれど護栄は気にもしていない。


(どういうこと!? 何で護栄様が獣人贔屓するの!?)


 不満の声が高まったが護栄は振り向きもしない。

 配給を提案し国民に膝を付いた、全種族平等を感じさせたあの少年とは思えず美星は思わず声を上げた。


「お待ち下さい!」

「何です?」

「特別部署とはどのような業務でしょうか」

「あなたは獣人ですか?」

「違いますが」

「では教えられません。肉食獣人以外は不要です」


 護栄はくるりと背を向け部屋を出ようとしたが、美星はぎりっと拳を握りしめ眉を吊り上げた。


「何故です! 獣人でなくとも才ある者はおりましょう! それを選考も無しに獣人のみとは、殿下の掲げる『全種族平等』に反するではありませんか!」

「獣人も国民ですよ。平等です」

「全員に機を与えないのは不平等です」

「目的に沿った人選です。今回は獣人である必要があります。人間でなければならない業務には人間を取り立てる。有翼人もまたしかり。ですが私情で上官に文句を言う礼儀知らずは不要です」


 礼儀と言われて美星は思わず震えた。

 莉雹から、どんな相手であっても礼儀を尽くすのは社会では当然のことで、例えそれが気に食わない相手だったとしても――と教えられた。

 そんな基本的な教えすら忘れてしまったことを悔み、美星は思わず一歩引いた。


「私に意見するのなら会議でなさい。最も、下働きが参加できる会議などありませんがね」


 そして護栄は振り向くこともせず、肉食獣人だけを連れて部屋を出て行った。

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