第一章 砂漠に降る雨(2)

 ◇


 むかしむかし。というほどの昔ではなく、ほんの七、八十年ほど前の話。

 この場所にはかつて、目に見える限りの砂漠よりずっと広くて大きな、人と、家と、緑で溢れたいくつもの街があって、今よりずっとたくさんの人が住んでいて。

 月の暗いある夜、たくさんの隕石ほしが墜ちてきて、全部なくなった。

 空から見ればほんの小さな島国を襲った隕石災害は、人を、家を、緑を吹き飛ばし、砂粒ほどに細かく砕け散った隕石片と瓦礫とが降り積もって一夜のうちに砂漠ができた。

 生き残った人々は古い街の名前を捨て、砂漠と化した一帯を『砂の国』と名づけて生き抜く術を模索し始めた。そんな「国家」が、砂の国以外にもあらゆる地域で乱立した。

 数年後、とある国家で隕石片の中から未確認物質が発見される。

 それは「人の感情に反応してエネルギーを発する」性質を持った石。

 後に『共心石シンパシウム』と名付けられたその革命的な新資源によって、多くの技術革新が起こった。共心石技術を手にしたその国家は「隕石災害でバラバラになってしまったこの島国に今一度人々をつなぐ橋を架ける」という理念のもと『橋の国』を名乗り各地の復興を支援。数十年の歳月をかけ人々はようやく「生きること」を再開できた。

 隕石として地表に降り注いだ共心石は今もなお各地に山と眠っており、砂の国の九割を占める砂漠の砂にも微小な隕石片が含まれている。すなわち国中が共心石の採掘場だ。

 そうした採掘作業の拠点であり、また国民の生活の中心でもあるのが、

「……着いた」

 ここ、鉱区街である。

 隕石の爆風と日夜吹き荒ぶ砂嵐に耐えてきた廃墟を、砂除けには少々心許ない石造りの壁で囲んで街と名付けただけの場所。かつての街々の繁栄に比べれば実に慎ましく質素な共同体コミュニティではあるが、それでも住む人々にとってみれば都。加えてレインが訪れたこの十二番鉱区街は、他の街に比べて比較的規模が大きい方でもある。

「……どこから入れば……」

 うろつく不審な珍客に、壁の上から声がかかる。

「おーい、キミそこで何してんだ」

 見上げれば、物見櫓ものみやぐらと思しき場所に第一住人発見。

「って、え、まさか……?」

「あの、すみません。街に入れてもらえませんか。領収書は天地あまどころ事務所で」

「は、はいどうぞ! 向こうが正門です! ……領収書……?」

 住人の指差した方を確認し、お辞儀を返してから歩き出す。

 正門にたどり着くと既に門扉は開けられていて、大人に子供、十数人の住民が並んでざわついていた。恰幅の良いひげのおじさんがニコニコ笑顔で歩み出てきた。

「これはこれは、ようこそ我が十二番鉱区街へおいでくださいました! それでその……本日は、一体どういったご用向きでしょう……?」

「えっと、エアシャワー?とかいうのをお借りしに来ました。領収書は天地あまどころ事務所で」

「はっ……? さ、砂漠を通ってこられたので……? も、もちろん構いませんが」

「ありがとうございます。領収書は天地事務所で」

「いえいえそんな、貴女様からお代を頂くなんてとんでもない!」

「……でも」

 採掘用の機械設備や動力の共心石シンパシウムエネルギーは全て『橋の国』からの支給品で、必要外の時間に動かすにもエネルギー代がかかる。よそからやって来ていきなりタダで使わせろ、だなんて無作法者の振る舞いだという最低限の礼儀は彼女にも身についていた。

「我が街があるのも我々がこうして生活できるのもなのです。恩人からお金など受け取れません。ちょっとキミ、ご案内してさしあげて!」

 笑顔で頷いた女性に連れられ、レインは街中を歩く。廃屋の陰やガラスのない窓からいくつもの目が覗き、好奇の声がする。

「本物だ」「アイドルって実在するんだ……」「あのおようふくキレーだねー」「えー砂だらけでばっちくない?」「たしかにー」「何で駅じゃなくて砂漠の方から……?」「もしかして、この街の近くに住んでるのかしら」「だったらみんな知ってるって」

 遠巻きに囁くそれぞれの音は聞き取れるが、内容はまるで耳に入ってこなかった。

 彼等は全員、レインにとっては他人だ。しか知らないような他人。

 そんな他人に自分がどう見られているかなど、レインには興味がない。

「こちらです、どうぞ」

 連れられた採掘場出入口の詰所にある設備で砂を飛ばすと、まとっていた衣装はようやく本来の輝きを取り戻した。

「よかった、綺麗になったみたいですね」

 案内してくれた女性に「どうも」と一礼し、レインは正門の方へ戻ろうとする。

「あ……違った」

 目的を終えたのでまた砂漠に戻ろうと思っていたレインは、プロデューサーとの会話を思い出し、せっかく綺麗になった衣装がまた砂まみれになることにギリギリ気づいた。

「あの、お水をいただけますか。それと座って休める場所も。領収書は天地事務所で」

「それなら、街で一番大きな中央食堂へご案内しますね。……領収書……?」

 首を傾げる女性に引き続き案内を頼み、レインは食堂へと向かった。

 まだ昼前ということもあり、食堂内は閑散としていた。片足に包帯を巻いた男性と、ぼーっと虚空を見つめている男性が、壁に掛けられた『テレビ』と呼ばれる「別の場所の景色を映す機械」の前の席に向かい合って座り、会話しているだけ。

「今日、午後から『戦舞台ウォーステージ』だとよ。お前も観るだろ?」

「…………」

「俺も現場出れねえでヒマだから付き合ってやるよ。娘さんの出番、今日もあるのか?」

「…………」

「俺らの応援でが決まるわけでもねえけど、父親のお前は見守っててやれよ」

「…………」

 聞こえてきたのは一方の男性客の声だけだった。これは多分、会話とは呼ばない。

「お待たせしました」

 店員と思しき青年が、水の入ったコップを手にやってきた。

「ありがとうございます。領収書は天地あまどころ事務所で」

「はは、ただの水ですよ。お代は結構ですって」

 コップ一杯の冷たい水をまたしても無料で受け取ってしまったレインは、表情ひとつ変えないまま小さく呟いた。

「いいのかな。私、ただのアイドルなのに」

「お前がただのアイドルなら良い顔はされないだろうな」

 ややダウナーな声に振り返ると、スーツ姿の男性が肩で息をしていた。

「あ、おはようプロデューサー。早かったね」

「そうだな。橋車ブリッジを使ったからな。片道四時間以上もかけて走ってくる必要もない。世の中にはそういう便利なものがあるんだ」

 橋車とは、『橋の国』が各国に路線を張り巡らせ運行している、共心石シンパシウムエネルギーで走る列車のこと。鉱区街などの主要な生活区やアイドルの活動拠点にはほぼ全てこの橋車の駅があり、事務所にもライブ会場にも通っている。つまり、レインが今朝おとなしく事務所で待っていればこんな寄り道することもなく橋車に乗って二時間足らずで会場まで直行できたのである。その不満が彼の言葉の端々に浮き出ていた。

「……ともかく、合流できて何よりだ」

 息の上がった様子を見ると、橋車の発着駅からここまでは走ってきたのだろう。

「お疲れ様。水、いる?」

「私はいいからお前が飲め」

「ん。いただきます」

 言いつけの通りによく冷えた水を喉に流し込む。普段より強く感じた潤いに、レインはようやく自分の喉が渇いていたことに気がついた。

「本当なら一杯どころでは足りないだろうし、もっと休ませたくもあるんだが……」

 ちらり、とプロデューサーが目をやった店の外の広場では、予告もなく突然街に現れたレインを一目見ようと野次馬が何人も覗き込んでいた。

「本当にいる……変な感じ」「近くで見るとお人形みたい」「ね。さっきから表情もずっとあのまま」「生きてるように見えないよね……」「さっき話し声が聞こえたけど、まるで機械音声だったぜ」「マジで人形だったりして」「はいはい、そんなわけないだろ」

 また雑音ノイズが耳に入ってくる。自分には何の関係もない雑音が。気にも留めることなく水を飲み終えたレインが、プロデューサーに手を引かれ立ち上がる。

「ここでは少々落ち着かない。表にクローバーを待たせているし、さっさと出るぞ」

「……クローバー……」

 何の、名前だっけ。思い出そうとしつつも手を引かれるまま店を出る。

 道を開けた人々の向こうに練習着姿の少女がひとり立っていた。

「レインちゃん。無事に会えたんですね、良かったです」

 良かった、と言いつつ口の端すら笑わない少女を見て、レインは言葉に詰まった。

「待たせてすまない、クローバー」

 ああ、そうだ。彼女がクローバー。自分と同じく、天地あまどころ事務所に所属するアイドル。

「レインと一緒にいるの、誰だっけ?」

「さあ? 知らね。新人アイドルかなんかじゃないの」

 周囲の雑音で、クローバーの表情がだんだん暗くなっていく。

「ま、レイン以外のアイドルの名前なんて、いちいち覚えててもどうせ意味な……」

 それを払うように、ぱんっ、と手を打つ音。

「ボヤッとするな、レイン、クローバー。会場に移動するぞ」

「は……はいっ」

 速足で歩き出したプロデューサーにクローバーがついていく。レインも後に続いたが、背後から聞こえる雑音はいつまでも止まなかった。

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