11 リキュールのうしろめたさ

「ねえ、ンドペキ」


 チョットマは、スマートモードで声を掛けた。

 特定の人物と話すときに使うモード。

 かなり遠いところにいても通信可能だ。

 ハイスコープを装着していないと使用できないが、繋がるかもしれない。


「どうした」


 そっけない返事がきた。

 声が少しざらついている。

 チョットマの心の痣が、また少し大きくなった。




「人は、部屋の中で死んだら、再生される?」


 再生はされる。

 完ぺきに政府の監視網を逃れることができるなら話は別だが、どんなジャンクショップに行っても、それほど高性能な通信遮断素材は売られていない。

 どの部屋もどの店も、ハイスペックシェルタなどと銘打った製品を使用しているが、そんなものは本当は役には立っていない。

 遮断できるのは、可視光線とその周辺の波長の光、そして数デシベル以上の音、汎用周波数の電波だけ。

 現に、兵士が使う通常の通信は、どのモードであれ、部屋の中にいようが、レストランのプライベートルームにいようが、どこにいても繋がる。

 そんなことくらい、チョットマも知っていた。




 ただ、ンドペキ、あなたと話したかっただけ。




「おいおい、何を言い出すのかと思ったら、そんなことか」


 声が流れてくる。

 鼻にかかった少し高い声。

 小さな蜂の羽音のような。

 夕方になる前のけだるい午後を、もっとやるせない雰囲気に変えてしまう声。


 でも私は、戸棚の奥にしまいこまれたリキュールを盗み飲みしたときのような気分になる。

 甘くて、怖くて。

 少し後ろめたいような。



「当たり前じゃないか。俺達は、死ねないんだよ。たとえ、本人が死にたくなっても」


 ただ、チョットマはンドペキの生の声を聞いたことがない。

 聞くのは常に、マイクを通し、一度は電波に乗った声。

 本当の声は、どんなだろう。



「自殺したら、恐ろしい刑罰があるんだよね」


 雑談でもいいから、ンドペキの声を聞いていたかった。



「通称、悪魔の海と言われてるな」

 蜂の羽音で解説してくれる。


「気を失うほどの痛みが全身を間断なく襲ってくる。そして、人は我慢できず数秒後に死ぬ。しかし、一秒も待たずに再生され、たちまちまた痛みのために死ぬ」

「うん」

「それが永遠と繰り返される。そんなとんでもない液体が詰まったタンクに放り込まれる。それにその刑罰は、何十年も続くんだ。終わりのない永遠かもしれないけどね」




 なぜ、自殺という行為がそれほどの悪なのか、チョットマにはわからなかった。

 一昔前の宗教の影響らしいのだが、生死さえ自分で決められないようでは、自由なんて無いのも同然ではないか、と思うのだった。



「詳しくは知らない。その刑罰が実際に行われているのか、いないのか。だれも経験者がいないからね」


 そういってンドペキが、久しぶりに笑い声を聞かせてくれた。

 小さな笑いだった。




「だからね、チョットマ」

「うん」

「サリが自分の部屋の中で自殺して、再生されないまま死んでいる、なんて想像はしないほうがいいと思う」

 そんなことはありえないし、もしそうだとすれば、恐ろしくて悲しい想像をしなくてはいけなくなる、というのだった。



「うん」

 チョットマはンドペキに、何かを言いたかった。

 なにかを。

 でも、それが何なのかがわからなかった。



「チョットマ」

「はい」


 え、なに?

 何を話してくれるの?



 声を掛けてくれたものの、ンドペキもなかな次の言葉を発さない。

 もどかしい時間。


 今、どこにいるの? と、聞いてみたい。

 もちろん、会いたいから。



 でも、チョットマは、自分にそんな勇気がないことを知っている。

 心の痣がまた少し大きくなった。




 いつのまにか、サリの部屋の前に来ていた。

 他の部屋と同じように、窓はない。

 明かりが漏れ出るという構造ではない。

 白い壁に分厚いドアがついているだけ。

 外見からは、在宅の有無は全くわからない。

 誰が住んでいるのかさえ。


 チョットマは、ンドペキの次の言葉を待ちながら、サリの扉を見つめた。

 ゴーグルのモニタは、サリが在宅していないことを告げていた。

 ジーピーエスに反応なし、ということだ。

 スコープを使えば、部屋にサリがいるかどうか、分かるかもしれない。

 しかし、そんな破廉恥なこと、できるはずもない。




「サリのこと。おまえが気落ちしているのは、痛いほどわかる」

「……」

「わかってると思うけど、悲しみを共有しているよ。俺も、ハクシュウも。隊のみんなが」

「うん」


 熱いものが、胸に込み上げてきた。


「じゃ、切るよ。元気出せって言っても、出てこないけどね」

「うん、……あ、待って」

「ん?」


「ねえ、私を……、……、えっと、これからもよろしくお願いします」

「なんだ、それ。当たり前じゃないか」



 とそのとき、チョットマはサリの部屋を見つめている者の存在に気付いた。

 あっ、ハワード!



 あいつ、何を!



「ンドペキ! ちょっと待って!」

 今、サリの部屋の前に。

 が、既に通信は切れていた。


 もう何度呼びかけても、リキュールの後ろめたさは戻って来てはくれなかった。

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