3.迷いと決断
第15話 葛藤
旭川博士はパソコンで作業をしていると、エレベーターの昇降音が聞こえてきた。ここは地下3階の研究室。ここのフロアには特定の限られた人しか入れない場所だ。アーカロイドの試用を終え、娘が――旭川ヒナが外出から帰ってきたのだろう。博士は椅子から立ち上がると、入り口に顔を向けた。昇降口から歩いて向かってくるヒナに、
「おかえり」
そう声をかけると、彼女は少し照れくさそうな表情を浮かべた。
「ただいま……」
疲れているのだろうか。ヒナの声は少しどこか、か細かった。
「もうすぐ母さんが夕飯を作り始めるって。今日は肉じゃがだよ」
「そうなんだ!やった!」
夕飯のメニューを聞いて、明るくなるヒナ。顔に元気が戻ったように感じた。
「お風呂も沸いているけど、どうする?」
「……先に入るわ」
「わかった。じゃあご飯ができたら呼ぶね」
「うん」
ヒナは小さく返事をすると、博士の部屋にあるアーカロイドの格納庫のケースに入る。ケースに入るとケースが青色に光り出し、先ほどまでヒナの体だった、アーカロイドは元のマネキンのような姿に戻った。ヒナが地下2階の自室で接続を解除したのだろう。
これらのことはケース内で行われるのでケースに戻らず、外などで一時的に接続を解除するだけなら元のマネキン姿に戻ることはない。その使用者の体型は維持され続ける。
つまりはUDP(アーカムディスプレイ)でアーカロイドに 接続をするとUDPが体のスキャンをし、ケース内でアーカロイドに反映させ、寸分違わずその対象の体に変化するのだ。 逆に言えば、完全にマネキンの姿に戻っている状態なら、ヒナ以外の人がUDPを使うとその使用者の身体が反映される。
博士はアーカロイドをみて微笑んだ。アーカロイドはヒナに希望を持たせることができた。ヒナは9年前に大けがをしてから歩くことができなくなった。医者からも回復の見込みは無いと言われ、ヒナはきっと絶望していただろう。宇宙飛行士を目指したいという将来の夢もあきらめたように感じた。
そんな娘の悲しむ顔はもう見たくない。怪我をする前のように笑顔で前を向いてほしい。宇宙飛行士になれなかったとしてもまた歩き回って好きな星空を見て目を輝かせてほしい。
だからこそ――娘のために私は8年間を研究に費やした。寝る間も惜しんで研究室に閉じこもった。その結果、このフルダイブ型ブレインマシン――アーカム技術を使ったアンドロイド、アーカロイドが完成した。だが、これで正解だったのだろうか。かわりに私自身、何かを犠牲にしてしまった気もする。
そういえば、あの子……いつの間にか大きくなったなぁ。車いすでも分かる。ついこの間までランドセルを背負っていたような気がするが、気付けば身長も随分伸びた。
いかんいかん。これじゃあ親バカじゃないか。だが、研究に忙しくて娘の成長をしっかりと見届けられなかったな――。博士の中にはそれだけが心残りとしてあったのだった。
博士は自分の頬を叩くと、母親を手伝うため、夕食の準備に向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ふぅ。UDP(アーカムディスプレイ)を頭から外す。ずいぶんと長いこと使っていたのかもしれない。私が普段就寝するときにも使っている、このマットレスは体圧分散性に優れているマットレスなのだが、それでも長時間体を動かしていないと、体全体に若干の痛みがある。長時間――といっても4時間ほどだが、それでも適時に寝返りをうつ――寝るのとは違い、アーカロイドに接続中は使用者の身体は一切動かない。そのため体にも影響が出てしまうのだろう。
少し3D酔いのような違和感を覚え、おぼつかない体を何とか支え、車いすに座る。部屋をでると、弟――竜太郎が待ち構えていた。
「竜太郎っ!びっくりしたじゃない」
「ヒナお姉ちゃんが疲れて寝ているって聞いたから先、お風呂入っちゃった!でもお姉ちゃん少し顔色悪いけど大丈夫?」
「……大丈夫だよ。ただの寝疲れだから」
寝る前より疲れた顔で私はお風呂場に向かう。アーカロイドでは味わえない、湯船につかって疲れを吹き飛ばそうじゃないの!
「ふぅーっ!食った食った!」
腹をさすりながら、竜太郎は満足げな笑みを浮かべている。
今日のメニューは肉じゃがにアジフライ。それに味噌汁という和洋折衷ぶりだったのだが、彼はそれをぺろりと平らげたのだ。
「もう、竜太郎、口にご飯ついてるよ。もっと落ち着いてご飯食べればいいのに」
私は急ぎ足で食べる竜太郎に小言を言う。
「そうよ。お姉ちゃんの言う通り。おかわりはいっぱいあるんだから、ゆっくりでいいのよ」
「だって、お母さんのご飯美味しいんだもん!――じゃあ、おかわり!」
はいはい、と竜太郎からお椀を受け取ると、お母さんは炊飯器からご飯をよそう。
肉じゃがはどうする?というお母さんの問いかけに、肉じゃがも~という竜太郎。それを見ていたお父さんは、
「本当によく食べるよなぁ……。竜太郎は」
「このくらい普通だよ!学校の給食だっておかわりしてるし!」
「私も若い頃はよく食べたものです」
そう言いながら、お母さんも竜太郎に負けずともりもりと食べている。
「お母さん!?」
ふふふっ、と笑うお母さんは若いころの記憶を遡っているのかなんだか楽しそう。
こんな生活がこれからも続くといいな。私は心の底から思ったのだった。
食事が終わると、全員でお皿を片づけ始めた。私もお皿を持ってキッチンの流しに向かおうとすると、
「あ、お姉ちゃんのは今日は俺がやるよ」
竜太郎は私の食器を持つとキッチンへ向かった。
「あら、いいの?ありがとう。じゃあお願いするわね」
「だって、お姉ちゃん。体調悪そうだし」
そう言いながら竜太郎は食器を流しに運び、洗う。その横で、食後のお茶を入れているお母さんは、
「そうなの?ヒナ?」
と心配そうに言うが、別に体調が悪いわけじゃない。まだ体が痛いのとアーカロイドの後遺症のようなものだ。お母さんからの私への心配の声に当の本人は少しぎょっとしているが――お父さんからもまだ家族にも言わないよう口止めされているので、だからこそそのことについて言うわけにはいかず――。
「大丈夫だよ!仮眠のつもりが少し寝すぎたかも」
「あら、そう。とりあえず、今日はゆっくり休みなさい。はいお茶、どうぞ」
「ありがとう、じゃあもう部屋に戻るね。ごちそうさま!」
――――夜中。
明け方から大雨が降っていた。雨粒が激しく窓を叩きつけている音で目が覚めた私はベッドの中で寝返りを打つ。
……眠れない。目を瞑っても一向に眠気がやってこないので、仕方なく起き上がって部屋を出た。リビングに行くと明かりがついていることに気が付く。消し忘れたかな?と思いながらドアを開けると、そこにはお父さんがいた。
今日は地下3階の研究室にはいないのか。
「ヒナ、こんな時間にどうしたんだい?眠れなかったのかい?」
今、私はひどい顔をしているのだろう。そんな私にお父さんは優しく微笑みかけてくる。私は少し迷ってからソファーに腰かけた。
「うん。ちょっとね……」
私が言葉を濁すと、お父さんは何も言わずに隣に座ってくれる。そして頭を撫でてくれた。
「嫌なことでも思い出してしまったのかい?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど……」
お父さんの手は大きくて温かい。頭に触れる感触がとても心地よかった。そのまましばらく黙っているとようやく落ち着いてきたので、ゆっくりと口を開く。
「あのさ……お父さんはどうして研究者になったの?」
唐突な質問にもお父さんは特に戸惑うことも無く答えてくれる。
「そうだねぇ……。困っている人を助けるため、かな?」
「じゃあさ、困っている人がいなかったら研究者にならなかったの?」
そう私が聞くとお父さんは少し考え込むような仕草をした後で口を開く。その顔には苦笑いが浮かんでいた。
「いや――そんなことないよ。困っている人がいなかったとしても、今後困る人が出ても大丈夫なように研究はしていると思うよ」
「……そうなんだ」
お父さんの回答に私は少し考えた。でも、私が本当に聞きたいのはそんな事じゃない。もっと別の事だ。お父さんはその事に気付いているのか、分からない。聞きたい気持ちはあるのに聞いてしまったら後悔してしまうのではないか。私の中で揺れ動く葛藤が長い沈黙を生み出してしまう。それでもお父さんは私が話し始めるまで黙って待っていた。
だが、私が言いたくないことを無理にしようとしていると感じたのか――話したくなったらまた言って。いつでも聞いてあげるから、と立ち上がり、お父さんはどこかに行こうとする。
「待って」
気づいたら私はお父さんを呼び止めていた。
そして、ずっと聞きたかった事を尋ねた。聞かずに後悔するより、聞いて後悔する方がずっといい。私はお父さんがどう思っているか聞きたかった。
「お父さんはこのロボット、アーカロイドを作ったことを後悔していない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます