第5話 告げ口
――某所、スペランツァLtdにて。
「田中が言っていた、バイオフロンティア社の噂聞いたか?」
「ああ、例の話だろ?車椅子の人間が歩けるようになったとかいう……。田中の見間違いとか勘違いじゃないのか?」
会議室前の廊下で社員2人が話していた。ちょうど会議が終わったところで移動中だった。
「そうなんだがな。どうも本人は本当に見たと言い張っているようなんだ」
「写真とかあるのか?実物か、なにかビフォー、アフターの証明できるものがほしいな……」
偶然、エレベーター内でも2人が話している話題が聞こえてきたのだろう、田中はエレベーターから降りるや否や、早歩きでこちらに向かってくる。
「おい、またこそこそ話しやがって!俺は本当に見たんだ。バイオフロンティア社の地下で普段、車椅子を使っている博士の娘があの日は
「じゃあ、証拠をだしてみろよ、田中!言うのは簡単だぞ。そんな夢物語みたいなことが本当にあったら、世界が変わってしまう。あ、
田中の後方から廊下に現れたのは長身の男性、
田中は後ろから歩いてくる
「
だが、必死の田中の問いかけを片手で制止した。
「今はいい、田中。あとで私の執務室まできてくれ。そのことで少し話がある」
「わかりました……」
「失礼します、椚田さん」
ドアをノックし、入室する。
「そのままでいい。楽にしてくれ。さきほどの話だが、君には引き続きあのバイオフロンティア社にも勤務してほしい。もし可能なら、写真とか動画とか記録に残してくれ。君の真偽はそれで判断することにする。またこの話を他社に、特に宇宙開発をしているスターゲイザー社側に伝わるわけにはいかない。君には悪いが口止めしてもらうしかない。社内でもこれ以上は話を広げないでほしい」
「わかりました。あの、なにか――インセンティブはもらえますでしょうか」
「そうだな……。真偽がつき次第検討する。今はまだなんともいえない」
「そんな……!」
「以上だ。元の仕事に戻ってくれ」
くっ……。これ以上何も言うことはできず。田中は失礼します、と言うと一礼し、渋々と
「
執務室から出た田中はドアの前で顔をうつむかせ、うなだれていた。
「おいおい、それはないよ……」
どんな思いであそこに潜入していると思っているんだ。こっちだっていつバレるかハラハラしているんだ。絶対あの技術は我が社の利益になる。それをみすみす逃すわけにはいかない。
こうなったら、裏で勝手に動かさせてもらう。すぐに動いてくれるところに協力してもらおう。
「秘密回線ですみません。スペランツァの田中と申します。お世話になっております。スターゲイザー社の
「いまお繋ぎしますので少々お待ち下さい」
すぐに保留音がなり、受付の方が
「おまたせしました。スターゲイザーの
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「済まないね、こんなところまで呼び出してしまって」
「いいさ。だが、呼び出したからには重要なことなんだろうな。ただの雑談でしたではすませないぞ。悪いがこのあとの仕事の都合で彼も一人同席させてもらう」
「実は今働いている、スペランツァ以外でも週に2回ほど働いている会社があるんだが……ある日、夜遅くに忘れ物に気づいて、取りに行ったらそこで俺はとんでもないものを見てしまった」
「確か創薬会社のバイオフロンティア社……だっけ? というか大丈夫なのか? 俺ら他社の人間にそっちの会社の話をして」
「いや、今からする話はバイオフロンティア社の業績や信用とかがどうこうする関係の話ではない。あの
「過去に難病治療の薬を開発していて――謎多き天才科学者と呼ばれている、
はい、と
彼とは同年代で同期だが、彼のほうが出世が少し早かったため、役職上では上司にあたる。普段、仕事以外で日常会話をする分には対等に接しているが、頼まれごとをすると上下関係を感じてしまい、つい応じかねない。だが、いまこうして離れているときは気が楽になる。
前にいた先客――俺と同じ、OLだろうか、スーツを着た女性はコーヒーを入れ終わったのか、横の棚にあるシュガースティックとミルクカップをいくつか取ると、順番を俺に譲った。
「すみません、お待たせしました。どうぞ。お仕事大変ですね、お疲れさまです。お互いがんばりましょうね!」
疲れたような顔でもしていたのか、彼女は俺の顔を見るなりねぎらいの言葉をかけてきた。
「いえ、ありがとうございます。あのお名前伺ってもいいですか?」
「私はこの近くで会社員をしています、
黒髪の中にインナーカラーを入れている彼女――双木は横の髪を耳にかきあげながら自己紹介をする。その所作がどこか美しく思えてつい惹かれてしまう。
「俺は、杉井と言います。またどこかであったらよろしくおねがいします」
少し戸惑ったところを隠すかのように杉井は名前を伝えた。最後の方は社交辞令としていったが、少し期待もあった。
「ええ、そのときはこちらこそよろしくおねがいします」
そんな彼女は笑顔でそう答えるのだった。
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