詩う彼女のエピローグ
お焦げ
初恋エンドロール
次の一年に向けて人々が慌ただしく動く季節、私は数少ない休みを用いて惰眠を貪りながら夢うつつのままこの一年に別れを告げるという完璧な年越しを決めるはずであった。
「ねぇ~詩羽、このよくわからない書類捨てちゃっていいの?」
「英梨々、それは今やってるプロジェクトの原案なのだけれど...」
この危なげしかない発言からわかるように彼女は澤村・スペンサー・英梨々。
さかのぼること一時間前、連絡もなしにいきなり家におしかけてきては、
「あんたの部屋、物が多すぎるから片付けるわよ!」
と私の安眠を邪魔した憎き悪魔の名前でもある。
「英梨々、さっきから聞こうと思っていたのだけどなぜあなたがこんなことを?あなただって忙しいはずじゃないのかしら?」
「近い締め切りのものはもう終わらせたわ。それで家でボーっとしてたら詩羽の家の凄惨な部屋を思い出して、こうしてボランティアしてるって訳」
凄惨とは失礼な話である。私は自分の生活に必要なものの位置はすべて把握しているので整理整頓ができているといっても過言ではないのに。
とはいえ、息苦しさも感じ始めたのでいい加減いらないものを捨てなければいけないのは自明の理だ。余計なものを背負っていては足を踏み出すことが難しくなってしまうし。
「ともあれ、整理を手伝ってくれるのは助かるわ。私はどこをやればいいのかしら?」
「そうね、じゃあ本棚のほうをやってくれる?そっちの方が判断しづらいし」
「わかったわ、本はあまり捨てるものはなさそうだし終わったらそっちを手伝うわ」
「りょーかい、早く終わらせてくれると助かる」
やり取りを終えて私は書斎に行った。書斎は6畳ほどで壁には本棚がびっしりと設置しているが収納が間に合わず、床に置かれた本たちはいつの間にか塔のようになっていた。
その存在を見過ごせるはずもなく、自らの杜撰さに呆れつつ、片付けることを決意する。
このまま本を床において無碍にし続けるのは恩師に足を向けて寝るようで気分も悪くなってしまう。
資料として使う本はデスクの周りに置くようにしているので、処分するならば壁沿いのものになる。かなり昔に買ったものはドアの近くの本棚に入れているはずだ。
昔のものはすでに何回か読み返していて擦り切れている部分も多い。気は進まないが、とっておきたいものだけを残してここら一帯の本は処分してしまおう。
昔の自分に言葉を与えてくれた物語たちに感謝の意味も込めて背表紙をなぞる。寒さでかじかんでいた指に、消えかける灯火のような温かさを感じた。
なぞっていく途中に白い背表紙が並んでいるのに気が付いた。一列に純文学が並ぶなか、これだけはライトノベルであったのでふと気になってタイトルを見る。
そこにあったのは最初に綴った物語だった。昔は今よりも整理ができなかったらしい。こんなところに入れっぱなしにしたままなんて。久しぶりに見たが、もう何十回も読んでいる。他のところに移して続きをしよう。
なのに、なんで。どうして。
目を離すことができないのだろう。手はもう本をしっかり掴んで、逃げることを許さない。
表紙をみた途端私の心臓はどんどん速く旋律を刻みはじめ、なくなったはずの言葉たちが胸からあふれ出しそうになる。
今すぐ本棚に戻せと理性は叫ぶがココロがそれを許さない。激しく揺れる感情とは裏腹に私の手は赤子に触るように遂にそっとページをめくった。
一巻。主人公の直人と沙由佳が書店で出会い、沙由佳は経験したことのない同年代との交流に慣れないながらも出会うきっかけとなった好きな本のジャンルなどで直人と交流を深めていき、学校でも関わるようになる。
二巻。新たなヒロインである真唯が登場し、三人で学校だけではなく映画など外に出かけることが増えていく。
真唯は今まで機会がなくて関われなかった沙由佳と友達になろうと交流を積極的に行い、沙由佳は戸惑いつつも初めての女友達として真唯のことを知ろうと不器用ながらも努力する。
三巻。夏休みになったこともあり三人で様々な場所にでかける。真唯は水族館で見た魚を見つつも普段とは違う直人の憂うような表情をみて心がざわつく。
沙由佳は夏祭りにいった際に人混みによって二人とはぐれてしまいその上鼻緒が切れてしまい途方に暮れてたところを主人公が助けに来てくれ、おぶってもらっているときにまだ無意識な恋心を感じる。
四巻。真唯が勇気をだして水族館での翳りの表情のことを聞き、直人が母親を幼いときになくしたこと、その後から父親との関係が嚙み合わくなったこと、最後に家族で出かけたのが水族館であったことを告げる。
沙由佳と真唯は協力して直人と父親の不仲の原因をすれ違いであることを突き止め、誤解を解く場を設ける。そこでお互いに心境をはなし、仲直りをする。
直人は自分のために奔走してくれた二人に友情とは別の感情を持つようになる。
五巻。真唯と沙由佳は自分たちの持つ感情が恋心であることを自覚し、そして同じ感情を友人も持ってることに気づく。
互いに友人として隠し事をしたくなかった二人は自分の恋愛感情を伝える。そのあとに二人で直人の下駄箱に気持ちを綴った便箋をいれる。
一方の直人は二人から向けられる感情に向き合い、ずっと考えたが結論がでなかったため父親に助言を求める。父親は単純にどちらと恋人として歩んでいきたいかで判断すればいいとアドバイスを与えた。
その考えにならって一晩考え、決断する。放課後に真唯を屋上、沙由佳を図書室に呼び出す。先に沙由佳のもとに行き、自分を特別に思ってくれたこと、そしてその気持ちにこたえられないことを伝える。
その返事を聞いた沙由佳は微笑んで、「初恋をさせてくれてありがとう」と感謝を伝え、直人を真唯のもとに送り出す。そのあとに本棚を背にして泣き崩れる。
直人はひたすら走って屋上に向かう。屋上には夕日を見ながら真唯が待っていた。直人は息を整え、自分の気持ちを伝えて真唯は夕日をバックに泣きながら告白の返事をする。
二週間後、最初に出会った書店で二人は沙由佳と再会し物語は幕を閉じる。
読み始めてからどのくらいの時間が経った頃か、私は最後のページを閉じた。初めて世に送り出した霞詩子の物語は目もあてられないほどかっこつけていて、文章もめちゃくちゃで、ひどく自己中心的だ。それでも、どうしようもなく、かけがえのない処女作であり眩しい私の大切な宝物だ。
久しぶりに読めたことに満足しつつも当初の目的を忘れていたことに気づいた。彼女は待たせるとめんどくさいことになるのもいままでの経験から察せられる。早く要件を片づけなくては。
「さてと、英梨々も待たせてるし早く続きを.....」
そう言いかけたとき、ふいになにか熱いものが頬を伝う。
「あ...え.....?」
予想外のことに頭が真っ白になる。そうしてる間にも一つ、また一つと雫が頬を流れていき、とどまることを知らない。
数分後やっと秩序を取り戻した頭で原因を必死に考えた結果、一つの馬鹿げた仮説が脳を支配した。ありえない、ありえないと否定の言葉はどうしても発することは出来ず、かわりに命令の聞かない唇からは認めたくない言葉が漏れる。
「私の、初恋は、まだ終わってなかったのねぇ...っ」
だがこの胸にある痛さ、そして温かさを間違えるはずがない。学生時代に決別したはずの初恋はただ栞を挟んだだけに過ぎず、まだエピローグまで読み終わってなどいなかったのだ。
あの頃の私にはこれこそが小説を書く原動力であり、全てだった。だから終わらせることが出来ず、ずるずると今日まで引きずってしまっているのだろう。
だけど、今だからこそ綺麗に終わらせることができる。人生を変えてくれたこの激情をいつまでも持っていたいが、エンドマークを打たなければきちんと終わらせてきたパートナーのに示しがつかない。
それに、この宝物は持ったまま進むのにはあまりにも重い。今は進めているがいづれ進めなくなる日がきっと来てしまう。今まで手に入れてきたものを手放すような真似は他の誰が許したとしても私が許さないだろう。
だからこそこの想いは過去の私に預けて進み続けよう。だって、進むことだけが私が過去の私にできる唯一のかっこつけだから。きっと大丈夫、過去の私なら文句はたくさん言うけど大切にしてくれるはず。
私は別れを言うためにようやくこの想いに向き合えた。初めて出会ったときから長い時が経ったはずなのに、その輝きは色あせることなく鮮烈なままだった。私にいろんな感情、いろんな景色、そして出会いをくれたかつての相棒に文庫一冊じゃ足りないほどの想いをこめてこの言葉を綴る。
「さようなら...今までたくさんのものをくれてありがとう。もう大丈夫。自分の足だけで進めるわ」
いつのまにか震えのおさまった手で確かに本棚に戻した。いつのまにか涙は止まっていて、ようやく終わらせられたのだと深いため息が唇から漏れた。
ふと扉を見てみると少し空いた隙間から見慣れた金色の髪がぴょこぴょこと動いているのが見えた。
きっとずっと見守ってくれていたのだろう。そんないじらしい彼女に対して申し訳なさと恥ずかしさもあって、私は努めて冷たい声音で話かける。
「相変わらず詰めが甘いわね英梨々。あなたに盗聴の趣味があるなんて知らなかったわ」
「なっ...!いつから気づいてたのよ!」
「最初から怪しいと思ってたわ、あなたのようなめんどくさがりが理由もなしにわざわざひとの部屋を掃除しになんて来るわけがないわ」
「ひどいわね、ひとがせっかくパートナーの不調を取り除くのを手伝ったっていうのに!」
「.....本音は?」
「クール系ヒロインが素直になるところなんて誰でも好きなシーンでしょ!」
「はぁ.....まぁいいわ。やっと気持ちにけりをつけることができたし」
「詩羽のことも終わったし作業にはいりたいんだけど、詩羽も私も今日なにも食べてないでしょ?先に食べにいきましょうよ」
「そうね、いきましょうか。今日は私の奢りでいいわ」
「やった、詩羽の財布を空っぽにしてやるわ!」
「あなたはまだ遠慮という言葉を学ばないのね...」
この先、いろんなことがあって何度も挫折をするだろう。でももう私は一人じゃない。隣を一緒に歩いてくれる危なっかしいけど、いざというときには頼りになるパートナーがいる。大変なときは支えあうことができる。
私は進み続ける。彼に憧れ続けてもらうため、英梨々の隣で歩むため、そして過去の私に誇れるように。
ドアノブに手をかける。痛いほどの冷たさが熱を奪おうとするが体はもう止まることなく動く。最後にようやく宝箱に入った思い出を振り返り、そして星の軌跡をなぞるように、そっと扉を閉じた。
詩う彼女のエピローグ お焦げ @sanakoko
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