第26話 海と水着とスイカ割り

 海開き直後の海岸は人で賑わっていた。平日とはいえ世間の学生は夏休みに入ったばかり。皆思い思いに浮かれ、波打ち際を走り、その様子を写真に収めていた。

「すっげー! 夏が来たーって感じする!」

 照り光る水面より目を輝かせる夢路。今にもサンダルを脱ぎ散らして海に向かって走って行きそうだった。

「さすがに着替えてからにしなさいよ夢路。海は逃げないから」

 彼女はアリスに首根っこを掴まれ、堤防沿いに設置された簡易更衣室に引き摺られていった。

 遠ざかっていく女性陣を、取り残された二人は眺めていた。

 総司郎は晴臣に振り向く。

「俺達も着替えて来るか」

「あ、俺はこのままで大丈夫です。総司郎さん、荷物見てますんでどうぞ」

「海に来といてノリが悪いぞ葉乃矢」

「男が肌を晒して何らかのメリットがあります?」

「まあ……無いな」

 晴臣の真っ直ぐな瞳に、総司郎は特に何も言い返せなかった。

 二人の間に蒸した海風が吹き抜けた。



「ゆめちゃん、下に水着着てきたの? 気合い入ってるう」

「楽しみだったんで! ……ってかアリス、お前完全防備だな……」

「うるさいわね、こういう努力の積み重ねが色白を保つのよ」

「日焼け止め借りるぞ」

「自分の使いなさいよ!」

「背中塗ってあげるねえゆめちゃん」

「琴子先輩あざーす」

「あんたたち私の話聞いてた!?」


 更衣室からいくらか姦しい声がして二十分後。ようやく彼女達は扉の内から出てきた。

「おまたせー」

「おー遅かっ――」

 声に振り向いた晴臣はその先の言葉を失った。そこには三人の水着美女達がきゃっきゃ言いながら手を振っている。

 まず目を引いたのはツバ広帽子にサングラス、白いストールにショートパンツと肌の露出を最大限に抑えたアリスの姿だ。余程日焼けをしたくないらしいが、ストールの隙間から覗く黒いビキニは彼女らしい挑戦的な装いに感じさせる。

 対する琴子はフリル多めの黄色い水着を身に纏い、惜しげもなく太陽の下に肌を晒している。童顔も相まって愛らしいデザインの水着が映えていた。金髪をまとめ上げ、元気な印象を与えているのもポイントが高い。

 夢路は水色のボーダーの水着にホットパンツと、三人の中で最も活動的だ。両耳のピアスも今日は海の輝きに負けないくらい光を放っている。そして特筆すべきはポニーテールにまとめ上げられた自慢の黒髪。すっきりしたうなじの裏で揺れ動く黒い流線を見るや――晴臣は耐えきれず目を逸らした。

「くっ……水着にポニテは破壊力エグいって……」

 絞り出す彼に、アリスはサングラスの下で眉をひそめる。

「え、何? ハル、そんな性癖あったの?」

「そーなんだよ」

「男の子には刺激が強いかなあ」

「そっとしといて下さい……」

 思わぬカミングアウトに、晴臣は両手で顔を覆い頭を振った。

「にしてもハルくん、着替えなくて良かったの?」

 琴子の言う通り、晴臣は来た時と同じいつもの黒シャツにチノパンと言う何の面白みもない格好だった。

「俺は別に泳がないので良いかなって……それより総司郎さんの気合いの入り方に恐れ慄いてるんですが」

「俺がどうかしたか」

 漆黒のウェットスーツに身を包み、額にシュノーケル付ゴーグルをセットした総司郎は首を捻る。もりでも持たせたら海士あまと名乗れそうだった。コンタクトレンズにしたのかトレードマークの眼鏡は外していた。ご丁寧に腰にはサンヅ縄が巻かれている。

「海には危険な生物も多い。遭遇時に頼れるのは自分だけだ。そんな自衛の意味がこのスーツには込められている」

「何と闘う気で来たんですか……」

 発想がジャングルで遭難したランボーと同じだった。平和そのものの白い砂浜では正直浮いていたが、本人が満足そうだったので誰も何も言わなかった。



「海でやりたい青春っぽいことその一! スイカ割り! 早速やろうぜー」

 気を取り直し、夢路が声を上げた。そもそも彼女が学祭実行委員会に入った動機が「青春っぽいことをしたい」だったので、今この瞬間がその公約を果たしているとも言える。

 ちなみにこの他の彼女がやりたい事としてはビーチボールと遠泳と花火が控えている。

「確か葉乃矢がスイカ担当だったな」

「ええもう、地味に重かったですよ……はい、こちら」

 スイカ運搬担当に命じられていた晴臣は、大きなスポーツバッグを開いて中身を五人の目の前に出した。両手に抱えたそれはビーチボール大の新鮮なスイカだった。

「なんだ、ただのスイカか」

「まあ普通の感性ね」

「すんごい大玉か小玉とかの方が面白かったなあ」

「ここはボケてメロンとか持ってこいよハル」

「なんでスイカひとつでこんなボロカスに言われんの俺……」

 非難轟々の一同に肩を落とす晴臣。スイカ持ってこいと言ったのは皆じゃないかと口を衝きかけ、飲み込む。多勢に無勢だ。口に出せば四倍かそれ以上になって返ってきそうだった。

「んじゃ早速――あれ、棒無いな」

「海岸に何かしら落ちてるだろと思って持ってこなかったな」

 きょろきょろと砂浜を見渡す夢路。確かに清掃の行き届いた海水浴場には流木のひとつも転がってはいなかった。

 浜辺の向こうにあるトレーラーハウスを指差し、琴子は提案する。

「あっちの海の家で貸してくれるかなあ。聞いてみるよー」

「何も借りれなかったらハルが責任取って頭突きで割るんで大丈夫ですよ琴子先輩」

「全然大丈夫じゃねえ!!」

 夢路の恐ろしい代案を即否定する晴臣。スイカが割れる頃には彼の頭も割れそうだ。

 琴子を待つ間、夢路は海岸線に目を遣る。今すぐにでも飛び込みたい青い水面、泡立つ波間、さらさらと白い砂浜、獲物を探し闊歩する猿――。

「ん?」

 猿。そう、真夏の風景に猿がいた。動物園の猿山にいそうなニホンザルだ。幾分か毛並みは荒いが、それは見紛うことなく日本全国の野山に出没するような猿だった。

「え、アリス、あれ――」

 見間違いかと思い隣のアリスを見ると、彼女も驚愕の表情で足元を見つめていた。夢路も慌ててそちらを見ると、一匹の猿が大玉スイカを肩に担ぎ、走り去ろうとしているところだった。突然の出来事にサングラスの瞳を丸くするアリス。

「さ、猿? なんで!?」

「この野郎! スイカ泥棒か!!」

 追い払おうとした夢路だったが猿は怯むことなく、何なら薄ら笑いを浮かべそのまま走り去っていった。

「待てこら! 大事なスイカを」

「ゆめ、それどころじゃない! あれ!」

 晴臣の声に夢路は慌てて振り向くと、砂浜に十数匹の猿が大挙して押し寄せていた。浅黒い毛並みの猿達は、海水浴客の食料やら酒やらを人間の手からもぎ取るなど略奪の限りを尽くしていた。

「何故だ、こんな山でもない場所に……」

 驚愕との表情を浮かべる総司郎。確かに近年のニュースでも人里に野生生物が下りて来て作物を荒らしたり、民家に侵入したりといったことは全国的に報じられている。

 しかし猿達の統率の取れた動きは、不自然さすら感じさせた。

「とにかく目を合わせないように逃げ――」

 総司郎が撤退を呼びかけようとしたその時。

「ふえ? ふええええええ!!?」

 響き渡った悲鳴の方へ向き直ると、そこには二匹の大猿に軽々と担がれ遠く連れ去られていく琴子の姿があった。

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