第33話 嫌なんですっ


 紬に逃がされた紗季は気を失ったクラスメイトを影を用いた『魔法』で運び、やっとのことで結界の外へ出た。

 てっきり閉じ込める機能もあると思っていたが、そんなことはなく、すんなりと結界を通って外へ出ることに成功する。


 そして余計な思考を挟む間もなくクーに連絡すると、すぐさま通話が繋がって、


「クーさんっ! 紬が! 紬を助けてくださいっ!!」


 焦燥に追われて冷静さを欠いた声をスマホに叩きつける。


『わかっとるけどまずは落ち着きやッ!!』


 だが、それに返ってくるのは、これまた強い語調の言葉だった。

 クーの圧で僅かに冷静さを取り戻した紗季は胸に手を当て、意識的に深呼吸を一つ挟む。

 そうでもしないと、また叫んでしまいそうだったからだ。


「……すみません、取り乱しました」

『別に怒っとるわけやない。むしろよく戻って来てくれた。その口ぶりやと、紬の嬢ちゃんはまだ結界の中なんやな?』

「はい。竜のような特徴がある騎士の『異獣エネミー』……? です。しかも、人間と意思の疎通を図れるほどの知能もありました。一緒にいたクラスメイトは気を失っていますが、なんとか外へ運び出しました」

『そっちに救急車を呼んどく。お友達は任せたらええ。多分魔力酔いやから休めば治る。それはそれとして……拙いな。竜みたいな騎士っつったらアイツやないか。なんでそんなのがこっちに来たのに気づかなかったんや。いや、今考えるべきはそこやないな。そっちに紅奈の嬢ちゃんを送っとるけど、魔力干渉の影響で転移の場所がちとずれたらしい。でも、そろそろつくはずや』

「クーさん。あれの推定ランクは」


 静かな問い。

 紗季はどうしても聞いておかなければならなかった。


 状況的にどうしようもなかったとはいえ紬を残し、背を向けてしまった『異獣エネミー』のことを。


 数秒ほどの沈黙にはクーの迷いが滲んでいた。


『……恐らく、そいつは『四大魔皇』の配下。『腐海』のファテスやろうな。こっちの基準だと文句なしのSランク――『絶望級ディスペア』や」

「…………っ!」


 紗季は強く唇を噛んだ。


 自分がいたところでそんな強敵と呼ぶのもおこがましいほど実力差のある『異獣エネミー』に勝てるとは思わない。

 だったら猶更、紬が一人で勝てる相手ではないはずだ。


『魔法少女』が戦う『異獣エネミー』は基本的に安全を考慮して一つ下のランクまでとなっている。

 なのに、Bランク相当の力がある――自分よりも強くなってしまった紬が戦う相手がSランクと知れば、よからぬ想像をしてしまうのも当然と言えた。


『紗季の嬢ちゃん、早まるんやないよ? 結界から出てこれたのは運が良かったからや。大方、ファテスの目的は紬の嬢ちゃんが適合した『切断』の魔法因子。あの結界も紬の嬢ちゃんを逃がさないためだけのものやろ』

「……わかっています。私が行っても足手纏いにすらなれません」


 紗季の『魔法少女』としてのランクはC。

 中堅と呼べば聞こえはいいが、人によっては中途半端と感じる絶妙なライン。


「でも、嫌なんですっ!! 私は紬のために戦いたいっ!!」


 心からの叫びが空虚に広がっていく。


 無理を言っているのはわかっている。

 無茶なのは百も承知。

 無謀だと笑われる自覚もあった。


 それでも、この瞬間。

 たった一人の大切な人のために動けなくて後悔するよりは、よっぽどいい。


『あのなあ……念のため言っとくけど、死ぬで? 誇張抜きで、ファテスからすれば紗季の嬢ちゃんなんて虫けら同然なんや。軽く手で払われただけで死ぬ。そもそも紬の嬢ちゃんのために戦って死んだら元も子もない。そんな重いもん背負わすなや。わかっとるやろ?』


 クーのそれは正論だった。


 紗季はかつて紬の家族を守れず、後悔に押しつぶされて塞ぎ込んだ。

 紬にそれを強いるのは間違っているんじゃないかと言いたいのだろう。


 理屈はそうだ。

 でも、人間は感情で動くもの。


「私はここで何もせず紅奈さんに任せて、黙って紬の帰りを待てと?」

『そうや』

「その結果、手遅れになったとしても?」

『そうや』

「……それは私が弱いからですか?」

『そうや』


「――だったら私に考えがあるんだけど、ちょっといいかな?」


 そこに空から割り込んできたのは、紗季にとって聞き慣れた声。


 はっと上へ視線を向けると、金紅色の炎を散らしながらゆっくりと降り立つ緋色の魔女——紅奈。


「紅奈、さん?」

「ごめんね? 飛んできたからこんな登場になっちゃって。それで……紗季ちゃんは、紬ちゃんを助けたいんだよね? だったら私に考えがあるよ。当然、身の安全は保障できないし、一度きりのチャンスに賭けることになると思うけど――乗る?」

「はい」

「わお、即答。そっか……見つけられたんだね、大切な人」


 薄く微笑む紅奈の表情はどこか昔を懐かしむような気配があった。

 それから紅奈は紗季からスマホを借り、


「そういうわけだから、クーもいいよね?」

『……何する気や。せめてそれを聞かんと送り出せん』

「私の最高火力を紗季ちゃんの『影』を使って奇襲で叩きこむ。戦力比的に長期戦なんてやってられないから」

『…………まあ、せやな。他の『魔法少女』も呼ぼうとしたんやけど、他は他で大変なことになってて手が離せん。そういうわけやから――』


 空間が歪み、そこから現れたのは一匹の黒猫。


「ワイも今回は手ぇ貸すで。普通の『異獣エネミー』ならまだしも、今回の相手はワイも因縁のある『四大魔皇』直属の配下や。それに結界の中やったら……まあ、何とかなるやろ」


 にい、と獰猛に口を歪めたクーがそう口にした。


「……クーさん、戦えるんですか?」

「ワイを誰やと思っとるんや。これでも『四大魔皇』の一角だったんやで?」

「初耳なんですけど?」

「機密やからな。Sランク『魔法少女』とか国のお偉いさんは知っとるけどな」

「そうだね。戦ってるのは一度も見たことないけど」

「てわけで、このことは他言無用で頼むで」


 茶目っ気たっぷりなウィンクに複雑な思いを抱きながらも頷けば、よしと結界の方へ向き直る。


「ああ、そうや。ファテスの『魔法』やけど……あれはまともに受けたらアカンで」「どんな『魔法』なの?」

「『腐食』。侵し、腐らせ、死に至らしめる強力な『魔法』や。当然のように防御無視やから絶対に躱せ。なるべくワイが何とかしたるけど、期待はせんで頼む」

「わかったわ。紗季ちゃん、くれぐれも気を付けて」

「ええ。作戦は一撃離脱。一瞬のために私は『魔法』を使います」

「ほなら行くで。気張れよぉ、二人とも? ファテスを倒して、紬の嬢ちゃんと全員で帰るんや」


 三人は視線を交わし、結界の中へ足を踏み入れた。

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