第705話 クロスステッチの魔女、空を満喫する
箒には時折、油を塗りこんでいた。その方が長持ちすると聞いていたから。せっかくだからのこの間、少し香油を手に入れて塗ってみたのだけれど、大正解だった。
「花の香りがするわ、あれ高かったけど塗ってよかった!」
「よかったですねえ、マスター」
「いいにおーい!」
近くの街に来てた行商人には、普通の油の四倍は取られたけど。だから、二回塗り込む分しか買えなかったのだ。最初から魔女に売る気満々だったな、あの人間……。遠方から仕入れていると言うなら、仕方ないのかもしれないと思うことにしていた。実際、エレンベルクで油に香りをつけようなんて人はいない。南にある山脈の向こうから来ていると言っていたから、いつか機会があったら香油を見に行きたいと思っている。
ほんのりとよい匂いをさせて、私達は空を飛んでいる。もっとも、高いところが好きな私は雲まで高く上がっていたから、魔女が飛んでいると気づく人がいたとしても、香りには気づかないだろう。そう思うと、少し勿体無いような気もした。
「しまったな、お師匠様に香油の話をしそびれちゃった。今度見せよう」
「きっと、面白がってくださいますよ」
「そうだといいんだけれど……っと」
こちらに向けて突っ込んできた鳥を避けつつ、それなりの速度は維持する。箒を足で挟むことにも、この箒ひとつに身を委ねることにも慣れたし好きなのだけれど、時折私も《扉》を使いたいなと思わないわけではなかった。流石に少し寒くなってきたので、山に近づくまでは高度を落とすことにする。いつもならなんだかんだとそのまま飛ぶのだけれど、銀色になっている人差し指がやけに冷たかったのもある。手袋を出すにしても、一度降りなくてはならない。
「あー、先にあの五本指の手袋買っておけばよかった」
「庭仕事の時の革の手袋じゃダメなんですか?」
「あれは風が抜ける魔法が内側に入ってるから……見習いの時に冬手袋の代わりにしたら、ものすごーく寒かったの……」
そもそも、あれは寒さを凌ぐための手袋ではないから、そういう素材ではできていない。お師匠様にそう言われて、手袋のお代をもらったんだっけ。あの時はつい勿体無いのと慣れから、結局二又の手袋にしたのだけれど。
「この先に町や村があったら、キーラさまが買ってもいいんじゃないですか?」
「しばらくはないのよねえ。ま、確かいつものはカバンに入れてたはずだから、あれつければ大丈夫よ」
一度着陸してみても、周りに人の気配はない。あまり道も広くない寂れた街道で手袋をつけた私は、もう一度空に飛んだ。
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