第698話 クロスステッチの魔女、ちょっと失敗する
結局、私にできる範囲で『備え』になりそうな魔法というのは、簡単ではなかった。自分や《ドール》たちに作っている《身の護り》や《傷の請負》を量産しながら、時が満ちるのを待つ。家を守るためにかけていた魔法が取り替え時期だったので、いい機会だから新しい魔法の練習台にしようと考えていた。
「月の形が合わなくてすぐ取り掛かれなかったけど、今夜が満月! 満ちる月の丸い力を借り受けないと、この魔法を作るのは始まらないものね」
「まだお日様出てるよー?」
「出てるけど!」
夜な夜な月の満ちていく様子を見ながら、心待ちにしていたものだから、まだ昼なのに楽しみになってしまう。私は本をもう一度開き、布の栞をした箇所をもう一度確認することにした。
「この《堅牢なる守護》の魔法を作るために必要なのは……『満月の夜、水を張った銀の盆に一晩沈めた魔銀の針。満月の夜、塩の山に埋めた銀月の実染めの糸。布は満月の夜、川に晒す。すべてに強い月の力を満たし、この図案通りに刺繍を刺すこと』とあるから、昼の間に準備をしないとね」
前から針を磨いたり、糸を銀で染めたりはしていた。銀月の実はこの辺りでは育たない木の実だから、魔女組合伝で取り寄せもした。本当は自分で採りに行きたかったけれど、残念ながら遠すぎる。採りに行って帰るのに時間が足りなかったので、今回は買った実で搾ることにする。
銀色の月のように、ほんのり光る実を、何も染めたりしていない布で包んだ。それからその布にゆっくりと力をかけると、白い焼き物の器を出してきていたのでこれに搾り汁を受ける。木の器を使わなかったのは、器そのものが銀色になることを避けるためだった。搾るのに使った布も、あっという間に銀色に染まる。
「わあ、もう銀色になっちゃいました」
「ここからは時間をかけて汁を採るから、このまま置いておくわ。夕方まで糸をここに放り込んでおいて……っと。んー、やっぱり日が翳る前に引き上げて、乾かしておいた方がいいかなあ」
「あら、あるじさま。お手手をご覧になって」
「ん、どうしたの……ありゃあー」
うっかり、直接触れてしまっていたらしい。左手の人差し指が、銀色になっていた。……これ落ちるよね?
「染まっちゃったあ、気をつけてたつもりなのに」
「マスター、布はもう川に晒しますか?」
「もう少し後にしましょうか」
銀色に染まってしまった人差し指は、少し強めに洗ったくらいでは簡単には落ちなさそうだった。
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