第695話 クロスステッチの魔女、紅茶屋に過去を掘り返される

 紅茶屋の扉を開けると、甘い香りがふわりと広がった。最近は来れていなかった気がする店内を見回すと、飴色の木の棚に沢山の茶葉を詰めた木箱が並んでいる。お客に見せる正面には、それぞれのお茶の名前と産地が気取った書体で並んでいた。最初はお師匠様のおつかいに苦戦したものだけれど、今となってはいい思い出だ。


「おや、チビ魔女か。茶葉を買いに来たので?」


 この店の店主は気難しい青年だった。改めて顔を見ると、瞳と同じ灰色のものが髪に混じっているのがわかる。チビだったのはもう随分と昔のことなのに、今でも彼は私をそう呼ぶ。


「あなた、老けたわね……」


「なんだい、人の顔を見て突然。そんな当たり前のことを、いきなり言い出して」


 初めてこの店に来た時のことを思い出したから、余計にそう感じたのだろう。あの頃は、彼は私には随分と大人の人のように思えたのだった。


「いつもの茶葉と……そうね、お勧めがあるならそれも、二袋ずつ」


「珍しいお買い物だ、明日はパンでも降るのかもしれない」


 そんな風に冗談めいて言いながらも、店主は私に茶葉を選んで詰めてくれた。ひとつは、一番近くで採れるから安い値段のついている茶葉。味もいいし、私は量を飲むから、いつもはこれを買っていた。けれど今回は懐が暖かいから、調子に乗ってもう一種類買ってみる。


「ほい、俺から勧めるのはこれだ。エレンベルク東部の『地上の星』遅摘み、多分好きな味だろうよ」


「マスターのことをチビと呼んでおられましたが、そういえばどれくらいのお付き合いなんです?」


 ルイスには何度かおつかいを頼んでいたから、ずっと気になっていたのだろう。他の子達も興味がある顔をしていたので、私は「弟子入りしてすぐの頃におつかいに出されたのが最初だから、二十年くらいかな?」と言った。


「もうそろそろ二十五年になるぞ、俺の年齢から言って」


「えー」


「えーじゃない。そろそろ、息子に店も譲って引退するつもりだ。お前が茶葉の名前が読めないって、半泣きで店に来た時からそれくらい経ってるぞ」


「え、そんなに……? あと恥ずかしいからその話はそれ以上やめてね?」


 私が今の見た目になるより昔、子供の頃の姿を知っている人は、今は減ってきた。買い物をしてきた肉屋や魚屋は、私が初めて来た頃からもう代替わりしている。目の前のこの男が、長く現役でいたのだ。それでも、少し寂しい。


「息子に譲るって話、このお茶を飲んだ後にしてもらってもいいかしら。感想はあなたに話したいもの」


「この店では、魔女との約束は叶わないものと思え、が歴代店主の申し送り事項だ」


 彼はそう言って、首をすくめてみせた。

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