第605話 クロスステッチの魔女、靴に迷う

「この機会を逃したら、靴作りの魔法使いユーノ様の靴を買う機会なんてそうそうありませんよ?」


「う……」


 私がここで迷うことにしたのを察してか、店員の魔女は畳み掛けに来た。


「私が履いている靴もユーノ様のものですが、履き心地もいいですし、何よりずっと立ち働いていてもあまり疲れないんですよ」


 そう言って彼女は「はしたないですが」と少しスカートをたくし上げ、長いスカートの下に見え隠れしていた靴をよく見せてくれた。艶が出るまで磨かれた黒い革に、背伸びをしているように作られた高めの踵。紐で編み上げる形の長靴で、ふくらはぎの真ん中まであった。長靴を洒落た物にする発想はなかったので、素直に感心する。私の目を惹いたのはくるぶしまでの長さの短いものだったけれど、確かにそういう靴はいくつか並んでいた。


「名のある魔女が作った靴で、泥道や雪の中を行くつもりはなかったから、長い方はまったく考えてなかった……」


「ユーノ様から、『長靴って、別に雨の日にのみ履いていいと決まっているわけではないのでしょう?』と言われ、確かにそうだなと思いまして。いいですよ、この時期だと魔法をかけなくても寒さが和らぎますし」


 長靴は雨や雪の日に履くもの、というのは思い込みだったらしい。考えてみたら決まってもないし、そもそも魔女なら気温もあまり気にしないでよくて、好きな服装ができるのだ――建前上は。実際はさすがに、冬至の時期に袖のない服なんて着てたら「見てる方が寒い」と苦言は呈されるけれど。それでも好きな時に好きなように装えるのも、魔女の特権のひとつだ。

 ちなみに売り物の方の長靴の値段を見てみたら、私の財布の中身をすべて吐き出しても足りなかった。なので、そっと戻して見なかったことにする。


「あるじさま、あるじさま」


「どうしたの? キャロル」


 くいくいと袖を引っ張って来たキャロルに声をかけると、彼女は私が迷っている靴と服のひとつをそれぞれ指差した。


「両方合わせたらきっと似合うから、両方着たらいいんじゃないかしら」


「それしたらすぐ帰らないといけなくなるから、どっちかかなあ!」


「おや、審美眼の優れた《ドール》で! きっと、お似合いですよ」


 さらっととんでもないことを言われたし、店員の魔女に追撃されてしまった。せめてどっちかにさせて欲しい、と言い募り、持っていた服を思い浮かべて考える。

 普通の旅より、ちょっと特別な時なんかに身につけるなら――ええい!


「この靴、ください。銅貨とか多いんですけどいいですか?」


「はあい、ありがとうございまーす」


 結局、靴を買ってしまった。

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