第558話 アメジストの口あり精霊、珍しいものを見る

 わしにはかつて、名前があった。その頃のことを思い出すと、わしの中のアメジストがチリチリと音を立てる。名前の記憶が風化しつつある頃、わしが暮らしている沼地に魔女が来た。

 オニキスの髪にアクアマリンの瞳の魔女と、彼女が連れた小さな人形が二体。そして随分と珍しいことに、ぬいぐるみの体に入った精霊が一緒だった。春になれば溶けてしまうのが普通なのに、雪の精霊だ。わしも長く生きてきて、珍しいものを見た。わしの中のアメジストが芽生える頃から生きてきたが、初めてだ。


「縁あっていただいたのですが、これを育むための土を拝借したく」


 アクアマリンの魔女がそう言って見せてきたものを、転がりながら観察する。間違いなく、《もうひとつの森》の《精霊樹》だった。まだ随分と若い魔女からは、悪意の匂いはしない。そもそも悪意であちらに踏み込めば、人間でも魔女でも魔物でも《もうひとつの森》は木か肥料にして取り込んでしまう。だから、これな正統に彼女がもらったものなのも確かだった。


「わしらの土をもらうだけでは、そやつは芽吹かんぞ」


「この後は国中の《精霊溜まり》を巡り、様々な精霊のお力を借りたいと思っております。この子のために、新しいまっさらな世界もご用意いたしました」


 そう言って見せた箱のことも、わしは知っている。《魔女の箱庭》の魔法じゃった。幼い子らの泥に塗れても悲鳴ひとつ上げないあたり、魔女の中では少し変わっておる。


「ふむ。では、その世界に土を敷いてやろうかの。植えた後で泥をかけてやれば、渇きからもしばらくは守れよう。それから、――」


 わしは石と土の精霊にしかわからぬ声で、仲間の一人を呼んだ。転がってくる仲間に、われらの力のみが入った空の石を運ばせる。


「持ってきましたよー」


「うむ。魔女よ、これを持っていくが良い。他の口あり精霊も、これを見れば意図がわかろう。その木が新しく増えることは、我らにとっても喜ばしい。皆、協力してくれるからの」


 わかりました、とオニキスの魔女は頷く。彼女は箱にわしらの土を満たし、《精霊樹》にかけていた拙い封印を解いて、土から力を吸い上げるに任せ始めた。それから、精霊が入っておらず宝石でもない、見た目が綺麗なだけの石を数点拾い上げる。律儀に許可を求めてきたので、出してやった。


「おお、それから、そこの雪の子よ」


「アワユキのことー?」


「お主、今の暮らしは楽しいか?」


 うん!と明るく雪の子は頷く。将来有望な口あり精霊になりそうじゃった。

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