第555話 クロスステッチの魔女、宿屋で一晩過ごす

 私が魔法をぱらぱらと見ているうちに、気づけば日が落ちていた。アルマンは自分の夕食のついでにと、簡素な夕食を振る舞ってくれた。干し肉が少し浮いているだけの、塩味の効いたスープと黒パン。聞けば、塩はこの近くに岩塩が沢山採れる場所があるのだそうだ。巡礼者がちょっとした謝礼を置いていくことはあるが、それらは食材そのものかパン代、あるいは宿の修繕などの力仕事らしい。


「……魔法は置いていってくれるなよ、使い方がわからん。それに、わしが何かを美しいと思うことはもうないからな」


 彼は淡々とそう言うから、何を謝礼にするべきかは考えてしまう。魔法のパンを置いて行ってもいいけれど、アルマンは白パンを受け取ってくれないだろうという気がした。きっと、間違いではないだろう。つぎの当たった服や、大きさの合わない靴。自分の身の回りのことに関心はないし、祈るだけの暮らしをする男だとわかる。


「じゃあ、干し肉とかはどう? 干し果物もあるけれど」


「それなら、肉の方で頼む。果物は贅沢だ」


 北方地域の出身なら、そうかもしれない。甘味は特に貴重なものになりがちで、魔女の砂糖菓子に慣れるまでは私も毎日贅沢をしている気分だった。カバンに入れていた干し果物は林檎だから、あまり高い物ではない。本当に高くて柔らかい果物は、私のお金で買うには勇気が出なかった。


「わかりました。では明日、お支払いしますね」


 パンは硬いから、スープに浸しながら食べる。簡単な夕食を終えて部屋に戻り、また魔法に取り掛かることにした。


「マスター、これは何の魔法を作っているんですか?」


「とりあえず今ちょっとやれそうなもの、で決めたから、この後に《精霊樹》の方へ使うかは正直わからないけれど……《豊穣の雫》の魔法ですって」


 多分、肥料のようなものを作るのだろう。この魔法を使うと、魔法の中心に金色の雫が発生するそうだ。それを土にかけると、作物がよく実るようになるんだとか。《精霊樹》には使えるかわからないけれど、元々持っていた方の《庭》には確実に使えるだろうと予想していた。それでよく植物が育ち、実ができるのであればいいことだ。


「きっと、ノーユークの土を一部もらったらこの魔法にもいいと思うの。だから、今から明日が楽しみだわ」


 魔法の図案そのものはあまり難しくないものの、込める魔力の必要量が多いようだった。その点で、三等級相当の魔法に認定されているらしい。だから明日、魔法を使ってみてどうなるのかが楽しみだった。

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