第388話 クロスステッチの魔女、宿を決める

 宿屋探しは大変だった。魔女といえど、様々な横紙破りができるわけではない。というか、できてはいけない。だから首飾りを服の下に少し隠して、普通の人間の女のようにして宿を取ろうとしていた。


「ここも満室でしたね」


「常連になると、先んじて手紙で部屋を押さえておくらしいからね……そうでなくても人気の温泉街だもの。私たちが入る時に空いてた方が、多分珍しいのよ」


「あるじさま、お疲れではありませんか?」


「アワユキ撫でる?」


「大丈夫よ、二人とも」


 無理に部屋を作られては逗留しづらいし、何よりここには宿が沢山ある。いつもなら満室だと野宿も検討するけれど、こんなに沢山の宿があるのであれば、別の宿を探せばいいだけだった。


「さーて……どこにしようかしらね」


「教えてもらった宿も、やっぱり大半が埋まってましたしね」


「あといくつー?」


「あと、おひとつですよね」


 気づけばそんなに回っていた。ここもダメなら空いてそうなところを探そう、と思いながら、私は教えてもらった宿屋の中の最後の一軒を探していた。


「地図で言うと、このあたりのはずなんだけれど……あ、あれかしら」


 旅人の多い場所であれば、異国人。そうでなくても、字の読めない人向けに。宿屋の看板は絵で書いてある事が多くて、正しい名前は宿の人しか知らないというのは珍しい話ではなかった。今回の宿は、『大きな翼の鳥が踊っている絵』が目印だと聞いていたけれど、その通りの絵を掲げた宿屋は中級宿屋街の寂れたところにあった。

 小綺麗にはしてあるけれど、中心街の派手で立派な高級宿屋のような装飾品には乏しい外観。それでも緑の煉瓦造りの建物が誇らしく掲げた看板は、よく手入れされていた。


「すみませーん、街の入り口の人からここを紹介されたのだけれど」


 そう言いながら、細く開いていた木戸から中に入る。すると、カウンターで何か書き物をしていたらしい女が「お客様!?」と慌てた。


「ここは『踊るアホウドリ亭』です。どれくらい泊まられる予定で?」


「春まで。空いてますか?」


 明るい栗色の髪と目をした小太りの女は、心底嬉しそうに笑って「ええ、空いておりますよ」と言った。提示された料金も、春まで泊まるお代としては安かった。だから、ここに泊まろうとして宿帳に名前を書いた。もちろん、クロスステッチの魔女、と、服の下に入れていた首飾りを出しながら。


「おんや! 魔女様でしたか。ここに魔女様が泊まられるのは、先代の頃以来です」


 女はにこにこと笑って、マルヤと名乗った。

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