第340話 中古《ドール》、株分け前の準備をする
「僕は嬉しいんです、マスター」
マスターの言葉は、僕にとって心底嬉しいものだった。僕の中の、記憶が消される前の僕のこと。そのもう一人も助けたいと仰られて、でもそのためには危険のある株分けをする必要があるということ。それらを、すべて素直に話された。ああ、こういうお方だ。僕の大切な、お人好しのマスターはこういう魔女だ。僕でない僕が羨むのは、当然だ。体はもちろん、この作り物の心も傷つけないように気を配ってくれる優しすぎる魔女。
だから僕はマスターのことが大好きで、僕でない僕は違和感しかなくて、僕になれなかったのだろう。
「僕でない僕という、マスターには本当に縁のない存在のことまで気にしてくださったことが、僕は嬉しいんです。そもそも、僕に伺いなんて立てなくてもよかったのに」
「……え?」
マスターは本気でわからないのか、きょとんとした顔をされた。マスターはよく僕にかわいいと言うけれど、こういうマスターの方が女性だしかわいいと思う。
「マスター、たまにお忘れになっておられるような気がしていますが、僕はマスターの《ドール》です。マスターの好きな服を着せ、マスターの好きな髪と目の色へ組み換え、マスターのお好きな僕へとどうぞ組み換えていかれてください。そのひとつとして株分けをするのでしたら、それもされてよかったのに。僕は、あなたのモノですから」
僕であって僕でないもう一人がボロボロの姿にされたのもまた、痛ましいことだけれど《ドール》である以上、致し方ないことだ。己のマスターが望むようになんでも組み換えられるから、僕達は《ドール》なのだから。マスターが飛び抜けてお人好しで優しいけど、この一線を間違えてはいけない。
「私はルイスのこと、大事に思ってるわ。だから聞いたの。記憶に、欠けが起きる可能性もあるってお師匠様は仰ってたし」
「それでは……それでは、一晩だけいただけますか。それと、紙とペンとインクを」
好きにしてくれと言ったのは僕だけれど、記憶をなくすかもしれないのは少し困った。だから、書き留めることにした。僕が覚えてること、マスターのこと、アワユキのこと、剣や色んな《ドール》や、過ごしてきた時間のこと。夜通しかけて、僕はすべてを書き取った――と、思う。時折よぎるいつのものかわからない記憶も、思い出せるものは書いておいた。字が書けてよかったと思う。
「マスター! 僕はマスターの寛大でお優しい心に感謝しております。僕でない僕にも慈悲を向けてくださったあなたのために、僕、頑張りますから」
「そんなに大したことじゃないわよ」
僕は微笑んで目を閉じて、僕をマスターに委ねることができた。
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