第152話 クロスステッチの魔女、花見にお茶を淹れる

 空気そのものがほんのりと、甘い香りをさせている。それがあの山を降りて、あの魔女に聞いたチェリーの花を見てから変わらない印象だった。あの山奥の寒村ではジャムになっている姿しか見たことのなかったチェリーの、これが花の姿だった。


「どうして甘い匂いがすごいのかと思ったら、このピンク色が全部お花なんですね」


「雪みたいー!」


 布の上に座って、お茶にサンドイッチ、スコーンを広げる。ルイスとアワユキのために、もちろん小山になった砂糖菓子もだ。魔法の刺繍にこの場でささっと目をいくつか足して、今も降り注ぐ花びらと同じ色の砂糖菓子を出した。自分用にもひとつ出して、紅茶を甘くする。


「これがオハナミなんですね、楽しいです」


「あら、知ってるの?」


 お茶を飲みながらそう呟いたルイスに聞いてみるけれど、彼は自分の発言に不思議そうに首をかしげていた。


「あれ、どうして僕はそんな言葉を知ってたんでしょう?」


「前のマスターかしら」


「ルイスの大事なところが覚えてたのかもー?」


 私とアワユキの言葉を飲み込むように、ぐいとお茶を煽ったルイスが「もう一杯ください」と私にティーカップを差し出した。そこにお茶を注いでやると、ルイスは私が持ってる水筒に話を向けた。


「マスター、この水筒のお茶はどうしてあったかいんですか?」


「魔女組合で買った魔法の水筒よ。普通の人間が持ち歩く水袋は革か内臓で作るものだけど……これはよく鞣した魔兎の胃袋で、内側に魔兎の腱の糸で《保温》の魔法が刺繍されているわ。だから温かいものはずっと温かいし、冷たいものはずっと冷たいの。今日は温かいお茶を組合で入れてもらってるけど、夏に冷たいお茶を入れたらずっと冷たいわ」


 『そのままのものを、そのままに保つ』というのは魔法の得意分野でもある。そもそも魔女という存在自体が、魔力を完成させてしまえばそこから年を取らなくなる存在だ。自分達が老けない理屈の詳細な解明は禁忌だけれど、保つことに自分達が向いていることは知っている。

 ルイスが話を逸らしたがっていた様子だったので、私もそこには乗ってあげることにした。


「アワユキはどう? 楽しい?」


「楽しいー!」


 アワユキの手でカップを持つのは難しかったから、置いたカップに頭を入れて飲んでいる。それはよかった、と言いながら撫でてやると、ルイスが自分も撫でてほしそうに見上げてくる。お願い通りにしてやると、二人とも私にくっついてきてしまった。


「あらあら」


 アワユキはルイスの真似をしているのだろう。私はどうせ時間もあるのだしと、しばらくそのまま寝かせてやりながら糸を紡ぐべく準備を始めた。

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