第137話 クロスステッチの魔女、さよならをする

「チェリーの風が吹き、精霊の身体ができた時。それがあなたの旅立つべき日だと、お師匠様は占われたわ。風の元へ行き、森の中で千の毛皮の外套を纏ってしばらく過ごしたら、出会いがある、と」


 私が言ったことを、メルチは最初はよくわかっていないようだった。でも、ルイスとアワユキにはこっそり話してある。


「あなたは魔女になりたくて門戸を叩いたのではなく、結婚から逃げたかったのでしょう? であれば、旅立つべきよ。あなたの運を開いてくれる何かが、この先に待っている」


「でも姉様、こんなに突然だなんて……」


 確かに、突然のことで準備もろくにさせなかったと言えるのかもしれない。でも、こういう時にぐずぐずと別れを引き延ばすのがよくないことは今までの人生で人間の頃も何度か経験があった。


「別に、戻ってくるなとは言っていないわよ。行って、占い通りのいい出会いがあったら、ついていきなさい。それでもし、占いが外れていいことが起きなかったのなら……また、ここに戻ってくればいいわ。正式に魔女になる気なら、お師匠様の元で魔女になるかの適性を見てもらってもいいと思う。まったく向いてないわけでは、なさそうだし」


「姉様……」


 戻ってきてもいい、と言うと、彼女は目に見えて安心した顔になった。お師匠様の占いを私は信じているけれど、メルチはまだあまり知らないから無理もない。戻ってくる可能性の方が少ないだろうとはいえ、本当に戻ってくるのならそれはそれで彼女のために手を打つつもりでいた。


「……わかりました。私、行ってみます」


「それでよし。さ、荷物を準備して」


 メルチの持ってきたものは少なかったし、青空胡桃の魔法の効果を使えばここで増えた彼女の持ち物を持っていくのは容易かった。三着の輝かしいドレスを青空胡桃の殻に収めて、暖かくなってきたとはいえ日陰は寒そうだからと千の毛皮の外套を羽織らせる。


「メルチ、僕とアワユキからちょっとした餞別です」


 ルイスの手には、リボンのかかった小さな箱があった。いつの間にか、ルイスはそんなものをこっそりと用意していたらしい。律儀なルイスが「彼女が旅立つなら、僕達で何かあげたいのですが……少し資材を使ってもいいですか?」と言い、「なんでも好きにしていいわよ」と軽く答えたものの、私も中身は知らない。


「開けてもいい?」


 二人に頷かれて、メルチが箱を開ける。その中には、普通の綿に包まれた小さな石があった。彼女の髪に似た黄色い石で、多分、みんなで採取に行った時に採っていた物だろう。気に入ったものは自分の物にしていい、と言っていたから、何を採取してきたのか全部は把握していなかった。あれは……琥珀だ。磨いたりしていないそのままの形だから粗削りだけれど、中に小さな木の葉のようなものが入っている。


「わあ、綺麗……!」


「アワユキが見つけたの!」


「あなたが正式な魔女の弟子となるとしても、ならないとしても、いつかはここを去ると思っていたので……記念にしようと思って」


「ありがとう、大切にするわね!」


 ルイスとアワユキへ嬉しそうにしながら、大事そうに蓋を閉じ、リボンをかけ直したメルチは箱を懐に仕舞った。私はその間に、すぐ近くに隠していた本を彼女に差し出す。


「はい、私から。ここから出るなら、きっと役に立つものよ。あなたは読み書きには困らないでしょう?」


 言われて受け取った彼女が、掌に収まる大きさの本をぱらぱらとめくって喜びの声を上げる。


「ありがとうございます……ありがとうございます、姉様! その、この本はとても大切にします」


「本にかけていたリボンは、《保護》の魔法の刺繍を施してあるわ。ちゃんと読み終わったらそのリボンで閉じてやる限り、長持ちするはずよ」


 感極まった彼女の目から、涙の雫が落ちる。それは多分、喜びのものだ。しばらくゴシゴシと涙をぬぐった彼女は顔を上げて、大切そうに本も懐にしまった。


「ルイス、アワユキ、そして……我が庇護者、クロスステッチの四等級魔女様。お世話になりました」


 深々と一礼。今まで傅かれた立場だろうに、彼女はためらわなかった。そして、花の綻ぶような笑顔で一言。


「いってきます!」


 だから私達も「いってらっしゃい」と言って、旅立つ彼女を見送ったのだった。

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