第108話 クロスステッチの魔女、事情を聞く

「あの、私は……」


「待って、名乗らないで」


 私は名乗ろうとした彼女を手で制する。彼女がどこの誰か、興味がないわけではなかったものの、彼女は『メルチ』だ。


「メルチを求めて魔女のところに来たのでしょう。元の身分も、家族も、友達も、しがらみを振り捨ててきたのでしょう。だったらあなたのことは『メルチ』と呼ぶわ。元々そういう決まりだもの」


 ただの弟子入り志願なら、メルチなんて叫ばない。魔女になるためには人間だった頃の色んなものを捨て去らないといけないけれど、メルチは手段と目的が逆転した存在だ。色んなものから逃げたくて、魔女になりたいという者なのだ。たまにそういう理由で魔女を志願する者がいる。メルチは、その時の符号だとお師匠様が言っていた。今では知らない人も多い、古いしきたりだけど。


「わかりました。私は、メルチです。えぇと……ある国で、それなりに身分の上の方の暮らしをしていました」


「続けて頂戴」


 彼女は金の髪を指先で弄びながら話し始めた。


 メルチは幼い頃に母親を亡くしていて、その母が父にとある遺言をしていたこと。それが、「自分のように美しい、金髪の女性とでなければ再婚しないでほしい」というものだったこと。周囲が再婚を勧めるも、父のお眼鏡にかなう人が現れないまま何年も過ぎたこと。


「それで……それで父は、私の髪を見て、私こそが亡き妻の遺言通りの再婚相手だと言い出したのです」


「うっわあ……」


 実の父娘で結婚が許される国なんて、聞いたことがない。当然周囲も猛反対したものの、法律もねじ伏せると言って完全にその気になってしまったらしい。メルチ自身も嫌だと言ったのに、だ。身分ある家の娘でありながら、許婚がいなかったこともこの場合災いした。メルチは自分の結婚相手だ、と言ってくれる殿方がいなかったから。


「それで私は、せめて父に四つの衣装を用意してくれと難題を出しました。なんとか諦めて欲しかったからです。太陽のように輝く金のドレス、月のように輝く銀のドレス、星のように輝く夜色のドレス、千種類の動物の毛皮で作った外套を用意して欲しい、と」


「で、用意されてしまったわけですね……お父上に……」


 ルイスが心底同情した顔をしていた。アワユキはよくわかってなさそうだったけれど、どうかこのままわからないでいてほしい。


「はい。どうやら国にいる魔女様のどなたかに頼んだようなのです。その結果、四種類の衣装が届いてしまいました。父が結婚の準備をしている中、私は逃げ出しました。私への贈り物として前にもらっていた、財産になりそうなものと……四種類の服を、庭に生えてた青空胡桃に詰め込んで」


「この森にはどうやって?」


 そう聞くと、彼女はポケットから四つの胡桃の実を取り出した。その一つを開くと、羊皮紙の紙片と布が出てくる。ちょうど探していた、青空胡桃の実だった。


「この結婚がもし、花嫁の意に染まぬものなら。逃げたくてこんな難題を出したのなら、この布に触れて逃げたいと思え。そうすれば魔女が住むような森のどこかには飛ばしてやれるから、出会った魔女にメルチを求めなさい、と……衣装を仕立ててくださった魔女様が、こっそり仕込んでくれていました」


 それで逃げてきて、最初に見つけたのが私の家だと言って、メルチは話を終えた。

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