女武士と妖怪小僧

@umibe

第1話 人間、街、神社、狐

 僕は一つ目の妖怪だ。身長は人間の成人野郎の半分くらい。目は大きな顔に一つ。耳や鼻は人間と大差ない。肌色は爬虫類のような緑。大抵は、安い紺の着物を纏っている。


 僕が他の一つ目のオスと違うところ。それは一つ目のメスを魅力的に思わないところだ。思えないのだ。これは、僕の幼少期の劇的な経験が原因だ。


 当時、妖怪小学校一年生であった幼い僕は学校帰り、一人田んぼのあぜ道を歩いていた。春の、天気の良い午後だった。僕はその時分から陰気な性格だったので、子供のくせに斜め下を向いて歩いていた。あぜ道の横の田んぼに、似合わぬ色がある。


 濃い桃色で長方形。気になって近づく。それは、人間のいわゆるエロ本だった。表紙の中心にはバストアップの、豊満な乳房の女が、裸で、両腕を上げ顔を横に写っている。


 僕はその本を素早く手に取り、濡れているのを構わずこそこそランドセルの中に入れた。そうしてこそこそ周囲に誰もいないことを確認して、こそこそ家へ帰った。


「お帰りなさい」と言う母にろくに返事せず部屋へ行ったのを覚えている。

 ランドセルを、宝の箱のように眺めた。そっと開けて、教科書たちの上に乗った宝物を、引きずりながら出す。


 心臓とともに、体全体がびくんとなった。手を震わせながら、指をゆっくり乳房に伸ばす。冷たい。これが本物だったら、もっとずっと柔らかいのだろう。そして温かく、先端の乳首は……。


 ページをめくる。そこには艶やかな世界が広がっていた。僕は目を輝かせた。瞳孔は、開き切っていたに違いない。


 とまあ、こんな具合のことがあったのだ。そんな僕も本日から、高校一年生となる。


 生身の人間を初めてみたのは、下宿先に越してきたその日であった。大人は皆、男も女も僕より背が高い。頭身も高い。僕は四頭身くらいだが、人間は六、七頭身、それ以上だと見積もられる者もある。


 散歩しながら、人々を眺める。もちろん妖怪もいるが、目を惹かれるのはやはりメスの人間だ。一人の人間のメスと目があった。今の僕の挙動は、田舎者そのものに相違ないと思って、ちょっと恥ずかしくなる。緑の頬も、ちょっと赤くなっただろう。きょろきょろするのは、これぐらいにしておこう。と思うが、やはり気になって方々を観察する。


 万能台を求めて街へやって来たはいいが。一体どこに売ってるだろう。身長が低いせいで、台所で料理するのが難しそうなのだ。背伸びしたって蛇口をひねるのも無理だった。とりあえず家具屋へ行ってみよう。


 家具屋は広かった。ソファや、布団、まくら、テーブル、まあ色々あるけれど、興味がないから紹介しない。店内を闊歩する者共は、妖怪、人間含めて皆、僕より随分リッチそうだ。彼らの服装と僕の紺の、いつもどおりの着物を比べて、窮屈な気分になる。


 万能台は高かった。木の、気に入ったものの値札がひっくり返っていたので返してみると、三千九百九十九円とある。他の万能台も幅のない値をうろうろしていた。がっかりだ。


 あ、とふと思い当たる。越してくる前に、泣きそうな顔の母が言っていたではないか。困ったら百均なる店に行けと。


 いそいそ家具屋を出て、振り返り店名看板を見やった。『リッチな家具屋』と大きく、平らな木に昔じみた書体で彫られている。なるほど、場違いなわけだ。


 百均という店は、一体どこに構えているのか。分からぬ。地図など持っていない。こ、ここは勇気を出して待ちゆく人に聞いてみよう。

「あ、あの、すいません」普段より上擦った、高い声が出てしまう。

「ん? なんだ?」

 僕はその彼の声色を聞いて、間違った人に訊ねてしまったと思った。声こそ透きとおっているが、針のように尖った彼の口調は、僕の脳天から向こうに突き刺さった。ちゃらちゃらした薄い茶髪で、耳には光るものがついている。あれはなんだろう。瘦身、長い睫毛、冷たい印象を持たせる釣り目。中性的で、どこに行ったって美男子で通るだろう。


「百均がどこにあるか、知りたいのですが」

「俺、妖怪嫌いなんだよ」どすっと、腹の真ん中を足裏で強く蹴られた。

 尻もちついて、腹を抑える。周囲の者共が何やら言い合っている。くすくす笑う声もある。恥ずかしい。


 僕はなんともない風を装って立ち上がるしかなかった。強ければここから何か言い返したり、あるいは殴ったりできるのだろうが、生憎どちらも無理だ。


 視界がぼやけてきた。目の両端から涙がぽろぽろ流れほほをつたい、首まで濡らした。懐からハンカチを取り出して拭く。でも、なかなか止まってくれなかった。


 他の人や、妖怪にさえも道を尋ねるのが怖くなった僕は、真っすぐ家に帰り、まだ早いのに布団を取り出し横になった。ハンガーに掛けられた、制服が映る。高校生活の漠然とした不安が過る。もしや、いじめられたりしないだろうか。人間はみな、妖怪が嫌いなのかもしれない。


 神社に行って、神に頼んで来ようかな。僕は自分で言うのもなんだが、信心深い性質である。故郷にある神社は、よくお参りに行ったし、落葉の季節にはひとりで掃除もした。


 異郷の地の神にも、新生活の前にご挨拶しておこう。わざわざ出した布団を畳み、押し入れにしまい、閉めて、下宿所をあとにした。


 近所には神社が二か所ある。こればかりは前もって調べていた。一つは無神社で、なかなか寂れている。もう一か所は大きく、人も住んでる神社だ。

 僕はできるだけ人に会いたくなかったので、ちょっと遠いけれど寂れたほうの神社へ足を伸ばした。


 長い石段を上り、まず四角の台に乗った、二匹の狐が目に入った。灰色の鳥居をくぐる。一本のみ植えられた桜は満開だが、それでも陰気さは拭えていない。今の僕にはぴったりだ。しかし、一つ意外な点があった。人がいるのだ。


 ちょうどお参りしているところらしい。ロング・ヘアー。桜色の着物に、花模様の帯をリボンに締めている。太ももは半分から下が露出しており、まるでミニ・スカートみたいだ。腰には刀が差されている。ただ、髪色のみが残念だ。あの僕を蹴った糞野郎に髪色がそっくりなのだ。


 二回の拍手が強かったので、妙に高く響いた。最後の一礼を終えるまで、僕は惚けたように彼女の背中のりぼんあたりをぼんやり眺めていた。ようにというか、実際惚けていた。すぐに振り返って歩き出した彼女は、僕を一瞥し前へ視線を戻した。そしてまた、動かない僕を訝るように見やって通り過ぎ、石段を軽快に下りて行った。


 顔も綺麗だった。ちょっと俺を蹴った男に似ていた。眉は薄くも太くもなく、長い睫毛に二重瞼。血色のよい、柔らかそうな唇。しかし最も目についたのは顔ではなく乳房だった。着物越しなので主張は控えめだが、あれは脱いだらさぞ立派に違いない。

 あれを、死ぬまでに一度でいいから揉んでみたい。そのために僕は、わざわざ人間の多いこの都会にまでやって来たのだ。でも、やはり女の目は冷たかった。妖怪が人間を恋愛対象として認めることはあっても、逆はあり得ないのかもしれない。


 頭の煩悩を振り払うために目を瞑り首をぶるぶる振り、頬をつよく叩いた。そうして僕も二礼二拍手一礼を終えた。


 帰る気分になれない。ぐるり見回す。神社の裏に足を伸ばす。古ぼけた木造倉庫がある。入り口のそばに、倉庫と同じく古ぼけた竹ぼうきが倒れている。花びら、あまり散ってなかったな。しかし暇だ。箒を拾い、桜の元へ移動する。


 掃除を終え、気分がよくなった僕は倉庫へ戻り、扉を開けようとした。鍵が掛かっているのか開いてくれない。仕方がないので壁に箒を立て掛けた。


 鳥居をくぐった瞬間、耳元に「ありがとう」と囁かれた。風のような、儚い声だ。びっくりして振り向くが、誰も居ない。僕は少しの間立ち尽くした。狐の像から視線を離せなかった。

 怖い怖い。さっさと帰ろう。


 視線を……感じる。なにかかついてきているような気がする。振り返る、誰も居ない。下駄のかつん、かつん、と音がした。振り返る、誰も居ない。

 夕方の、寂し気な色を帯び始めた道を走る。

「ふふ」と面白がる声が聞こえた。

 僕はもう、振り返らなかった。


 懐から鍵を取り出し、急いで鍵穴にはめようとするが、焦りのあまり合わない。「ああ」といらだち地団駄ふみながらようやくはまった。すぐに扉を開け占めた。

「何だったんだろう」あれは。

 胸を撫で下ろしながら、部屋の方向へ向く。

「ひいっ」腰が抜ける。

 部屋の真ん中に誰かが立って居る。それは僕の腰抜けた様を見て楽しそうに笑った。狐みたいな耳だ。少しばかり黄色味の混じった白の、腰まで長い髪。笑顔からは、悪戯好きそうな尖った歯が覗ける。背丈はすっと高い。はだけた白の着物は首から肩、乳房の上半分までを露出させている。

 はだけた着物の、ゆるやかな一辺に沿った、ふわふわそうに実った乳房。僕は唾を飲んだ。


「あ、あなたは」誰なんだ。

「おいらはあの神社の使者じゃ。しかしのう、それも飽きたから、お前をしもべにして暮らす」


 

 






 


 

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