我が家のジェノサイド

そうざ

The Genocide at My Home

「アリ……ジェノサイド?」

 妻が怪訝そうにパッケージの商品名を読み上げる。表情が半信半疑だ。

 数日前から台所に蟻の行列を見掛けるようになった。それはごみ箱の中へと続き、お菓子のかすに行き着いていた。蟻という奴はどうやって食い物の在り処を嗅ぎ付けるのか、そして、どうやって進入路を見付けて巣まで運んで行くのか、全く感心する程、狡猾な生き物だ。

 直ぐにごみを処分し、殺虫剤を撒いて事なきを得た。と思ったら、翌日にはもうまた行列が出来ていて、今度は戸棚の隅に零れた砂糖に群がっていた。一旦は解決したように思わせ、忘れた頃にまた大行列が現れる。まるでうちの台所に執着しているかのようだ。

「見付ける度に殺虫剤をいても切りがないよ。何せ相手は団体様だからな」

 俺はホームセンターで買って来た〔アリ・ジェノサイド〕を台所の隅に置いた。

「この一見何でもない小箱の中に毒入りの餌が入ってるんだ」

「台所で死骸の山が出来たら、後始末が大変じゃない?」

「こいつの優れた点は、遅効性の毒だよ」

「チコウセイ?」

 説明書には、蟻はその場では毒餌を口にせず、巣まで運び込む、そこで仲間にも分け与えた結果、一網打尽になる、と書かれている。

「全滅させちゃうの? 愉しみ~」

 妻が胸元で小さな拍手をしながら目を輝かせた。


 その夜、俺は夢を見た。見知らぬ村の見知らぬ村民が藻掻き苦しみながら一人、また一人と息絶えて行く。赤子も妊婦さえも容赦しない大量殺戮の光景が止め処なく展開された。


 俺を悪夢から救ったのは、妻の歓声だった。

「見て見てっ、一匹も居ないわよっ」

 毎日、少なくとも数匹はうろちょろしていた台所の床に、蟻の影も形もなかった。

「ご免下さい」

 玄関から不意に声が聞こえた。

「昨日は誠に結構な物を頂戴致しまして、その御礼に参った次第で御座います」

 喪服を連想させる黒尽くめの婦人が、浮き世離れした威厳を湛えながら慇懃に挨拶を述べた。額の直ぐ上にぴんと立ち上がった二本の髪の毛が、放物線を描いて垂れている。

 俺達は互いに、面識のある人か、と目と目で探り合い、同時に、知らない、と首を振った。

「些少では御座いますが、どうぞお収め下さい」

 女が風呂敷包みを解くと、菓子折りが現れた。


 俺達は菓子折りを真ん中にして思案した。どうしても〔アリ・ジェノサイド〕の小箱を連想してしまう。

「変な事を言うようだけど……あの女、人間じゃないわよ」

「俺もそう思った。何て言うか……そんな気がする」

「まさか、私達が好意でご馳走を振る舞ったと勘違いしてる……?」

「だとすると、まだ餌の効果が表れてないって事か」

〔アリ・ジェノサイド〕の説明書には、効果が表れるのは24時間前後としか載っていない。もしかしたら今頃、正に昨夜の夢のような惨劇が繰り広げられているのかも知れない。

「貴方が残酷な物を買って来るから」

「お前だって殺虫剤を使ってただろ」

 内輪揉めをしていても仕方がない。取り敢えず、恐る恐るという感じで菓子折りを開けた。

「うわぁっ!」

 夫婦揃って悲鳴を上げた。

 ありとあらゆる虫の死骸が大量にお目見えした。

 ご馳走にはご馳走を、と礼を尽くしたのか、完全なる嫌がらせなのか、それとも――再び思案に暮れる羽目になった。

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