世紀末ジャーナリスト取材碌

上佐 響也

21世紀を前に

 1999年も11月に入りはや2週間、世間せけんは新世紀を前に期待と不安で浮足うきあし立っている。


 バブルは崩壊して久しいとすら言う者が現れた。大企業では1人1人へのパーソナルコンピュータの支給が当たり前に成り、中小企業ですら事務職には行き渡り始めている。

 新宿の街では学生たちが口々に折り畳み式の携帯電話が手に入った、うらやましいと騒ぎ立てる。ナンパにすら必須アイテムで持っていない男は相手にもされないのが駅前の日常風景と成った。


 大型家電量販店の前に設置されたカラーテレビは様々なニュースを垂れ流し、金融系営業マンはポータブルテレビを持つ者すら居る。


 そんな夜の新宿を窓から見下ろしながらフリージャーナリストの晴太は煙草を吹かした。

 最初は煙草も吸えない男の記事を買う新聞社が無い為にポーズで吸い始めたが今は無いと落ち着かない。同じ銘柄めいがら伝手つてで記事を買って貰う事も有るので必需品ひつじゅひんだ。


「くぅおらっ晴太! サボってねえで包帯洗え! 給料泥棒に払う金なんざウチにはえぞ!」


 ほほを走る傷がいかつい闇医者、元蔵げんぞうが衛生的とは言えない手術台で縫合手術を進めている。

 麻酔もしていないのか元蔵に手術されているヤクザは悲鳴を上げながら傷口から血を撒き散らしているが、元蔵が気にする様子は無い。


「きゃっ! 女の尻が触りてぇならキャバにでも行けゴミ!」

いてえっ! わ、悪かった! 止めてくれ! 先生、先生! 怪我より先に沙織に殺されちまう!」

「うっせえぞ! 死んだら金は拾ってやる!」


 手術室から薄い壁を挟んだ病室には2台のベッドが並びヤクザとホームレスの患者が入院している。

 そんな病室でピンク色のミニスカナース衣装の看護婦、沙織の尻を触ったらしいヤクザがマウントで殴られていた。


「沙織さん、包帯洗いたいんだけど教えて貰える?」

「晴太さんっ。ええ、今行きますね」

「酷えよう、病人相手に酷えよう」


 晴太が沙織に声を掛けなければ間一髪だったのだろう、メソメソと泣くヤクザが枕を濡らし始めた。助け船を出したのだから感謝して欲しい晴太だが今のヤクザにそんな余裕は無さそうだ。


 沙織は妙に晴太を気に入っており包帯を洗うだけなのだが胸を擦り付けて来る。ボタンも谷間が見える程に開かれておりヤクザやホームレスばかりのこの診療所でレイプされていないのが晴太は不思議だった。

 そもそも診療所で沙織が厚着をしている姿を見た事が無い。どれだけ寒さに強いのだろうか。


「ねえ晴太さん。もうジャーナリストなんて辞めてウチで働かなぁい? 私ぃ、晴太さんなら住み込みでも大歓迎!」


 大変に有難い申し出だが即決できる話でもない。

 しかも元蔵の子だ、孫だと噂の有る沙織の家に転がり込めば命の保証が無い。元蔵の過去を探ろうとして行方ゆくえくらませたジャーナリストは1人2人では済まないのだ。同じてつは踏みたくない。


 晴太が沙織から手解てほどきを受けて包帯洗いを終えれば再び暇に成る。

 給料泥棒などと言われたがこの診療所は仕事が少ない。病室のホームレスも寒さに耐えかねた仮病なのを承知で受け入れている。他のホームレスたちも軽犯罪を犯して警察をホテル代わりにしているらしい。


 晴太はホームレスの実態をネタにしようと思った事も有る。しかしどうにも民衆の喰い付きが悪そうなネタだったのでぼつにしていた。


「ノストラダムスの大予言は7月ではない! 来たる2000年、その始まりにこそ恐怖の大王はやってくるのだ!」


 換気の為に開けられた窓から聞こえてくる声に興味を惹かれて晴太はテナントビルの眼下を見る。開発中のテナントビルが乱立するエリアで通行人相手にメガホンで声を張る一団が居た。

 冬らしくコートを羽織り興奮した様子で叫んでいる。


「あ~、またやってるわね」

「また?」

「ここ数日なんだけどね、ああやって騒いでる連中が居るのよ。ノストラダムスなんて7月の話でしょ? もう12月に入るってのに元気な連中だわ」


 沙織の話を聞き晴太も思い至る。

 最近は新世紀、21世紀、ミレニアムなどの単語ばかり追ってた。そんな中でノストラダムスの予言した時期と現代ではこよみが違う為に7月ではないと言う者も居た。

 主張する時期はバラバラだったが2000年1月1日だと言う者たちも居たはずだ。


 ふと晴太はくわえ煙草を揺らして考えた。

 新年と同時に新世紀に成る。その期待と不安を書いた記事は多い。しかし、今更に成ってノストラダムスの大予言を掘り返す記事は少ない。

 つまり、センセーショナルな記事が書ける可能性が有るのだ。


「悪い沙織さん、住み込みの話はまた今度」

「え、あれ?」

「おい晴太、仕事放棄か!」

「ごめん元蔵さん!」


 入口のポールハンガーから自分のコートを引っ掴んで晴太は診療所を出た。

 取材用の手帳、ペン、ハンディカメラはポケットに入っている。大手出版社、大手新聞事務所の連中が持つ様な大型カメラなど買う余裕は無い。

 代わりに小回りが利くと自分に言い聞かせる。


 目指すのは新宿駅西口の新宿都庁周辺だ。

 バブル崩壊によって半端に建設作業が中断されたテナントビルは多い。活動家や新興宗教が根城にするには交通面からも便利だ。

 池袋を中心にした若者たちのカラーギャング、各地のヤクザ、新世紀を前に浮足立った民衆が起こす問題に対処する為に警察の対応能力は飽和ほうわしている。


 晴太は徴兵制ちょうへいせいや共産主義を否定はしない。

 フリージャーナリストとしてエリートジャーナリストにわらわれながらもホームレスやえない中小企業経営者に話を聞けば分かる。コメンテーターが正義と語る資本主義というシステムにも穴は有り、その穴には必ず誰か生贄いけにえが入らなければならない。例え日本が共産主義に成っても別の穴と生贄いけにえが生まれるだけだ。


 そんな生贄いけにえたちの一部が先程の様に騒いでいる。もしくは騒がせる事で利益を得る者が居るのだろう。


 診療所を出て街行く他のサラリーマンと同じ様に歩き煙草を始めた。

 排水溝の付近には投げ捨てられた煙草が目立ち、これを掃除する重労働で生計を立てる貧乏人たちを取材した事を思い出す。

 技能が無くとも掃除が出来れば生きていけると言っていた教師の言葉を目の当たりにして驚いたものだ。


 新宿駅の南口方面である診療所から西口に歩き都庁の周辺に辿り着く。ビジネス街なのでサラリーマンでもなければ郵便局や大型電気店にしか用が無いエリアだ。大学や専門学校も有るので学生は居るが大半は娯楽の充実した東口方面に移動してしまう。

 建築関係者の話ではここに丸味の有るガラス張りのビルを建てるらしいが晴太には想像も出来ない。ビルとはコンクリ壁で窓は等間隔ではないのだろうか。


 そんな西口には駅前や少し離れたエリアに工事中のビルが建っている。バブル崩壊によってオーナーが破産し工事が止まったビルが有る為だ。別オーナーが付くか取り壊すかで扱いが割れているらしい。


 晴太は7月に取材した『資本主義被害者の会』通称『資被会しひかい』の根城に成っているビルを目指した。新宿都庁から少し離れた5階建てで建設途中のテナントビルだ。

 定期的に新宿を歩き回っている晴太は2カ月ぶりに資被会のビルの前で見知った顔を見た。


「お、売れない記者さんじゃないか。ナウなネタはやっぱりミレニアムかい?」

「売れないは余計だ葛木くずき。今日は恐怖の大王が21世紀に来るって話を追ってる」

「ははは、悪い悪い。晴太は資被会に勧誘したいが、まあ無理に誘うものでもないからな。さて、恐怖の大王の話だったな」


 昨今さっこんの活動家や新興宗教は勢力を伸ばす為に強引な勧誘が目立つ。そう報道される事が多く、強引な勧誘が行われる事実は有るがそれが全てではない。

 葛木のように勧誘対象である晴太を前にして軽口を叩く者も多い。ただ悪質な勧誘が目立ち過ぎる事と報道関係者の過激な報道が重なり悪印象が出来上がっているのだ。


 晴太だって悪質な勧誘を受けた経験は有るので活動家と新興宗教に良い印象は無い。ただ一部を切り取って過剰なまでに攻撃的な報道を行う者たちを同業者と呼びたくないだけだ。

 同時に晴太自身も大手新聞社に勤めていれば同じような記事を書いていたと思うとゾッとしてしまう。


「会の上層部から教えて貰ったんだ。ノストラダムスの大予言は予言された当日とこよみが違うってな。本当は2000年1月1日、つまり新世紀だってよ」

「それで南口方面で騒いでいる連中が居たのか」

「お、もう聞いてたか。どうだよ、お前さんも参加するか?」

「俺は飯の種が欲しいだけさ。で、恐怖の大王が落ちて来たらどうするんだ?」

「どうもしないさ。このクソッたれの資本主義に満ちた世界が終われば万々歳ってな」


 破滅主義的な事をのたまう葛木に呆れるしかない晴太だが情報収集のキッカケとしては悪くない。ジャーナリストの取材は大半の場合、何の関係も無さそうな所から始まるのだ。


 葛木の話では今夜、資被会を始めとした複数の活動家たちが集まる連盟会が開かれるという。

 タイムリー過ぎて困惑する晴太ではあるがジャーナリストとして、そして金の匂いをするのに動かないなど有り得ない。

 このままでは本当に元蔵の闇診療所で住み込みに成ってしまう。沙織が気に入った男は行方不明に成るという噂も多いので距離を取りたいのだ。

 実は沙織に絞られて果て死んだ死体を元蔵がミンチにしているという噂も有る。そしてその噂を否定し切れない程に怪しいのが闇診療所なのだ。


 多少の危険は覚悟で資被会上層部の連中の尾行を開始する。

 資本主義を否定する活動家たちという事も有り彼らは車を使わない。その割に革靴や腕時計などの小物はよく見ると高級品なので晴太は資被会上層部を信用していない。


 馬鹿正直に背後を歩くと人間というのは意外と気付く。駆け出しの頃に晴太は真後ろからの尾行で相手に逃げられた事も多い。

 その為、実際に探偵へ取材して書かれた小説やインタビュー記事で尾行の方法を調べた事がある。


 基本的に背後は歩かず状況が許すなら逆の通りを歩いたり、対象の歩く先を予想して隣区画を移動するのが定石じょうせきという。隣区画を行く場合は横道や人混みによって見失う事を避ける為に複数人での尾行が最適らしい。

 それだけの組織力が有れば苦労しないというのが晴太の本音だ。


 人混みを体を逸らして高価な小物を身に着けた一団の後を追う。

 視界から外れても上層部連中を見つけるのは容易い。一見して質素に見えても小物が高価な者達を探せば良いだけだ。


 新宿郵便局から都庁方面に向けて歩く。完成して数年、やっと見慣れた2棟に分かれる奇抜な見た目の都庁を横に抜けて新宿駅から離れて行った。


 新宿駅から徒歩15分。

 人気の少ない路地に建つ赤レンガらしい外装のテナントビルに到着した。

 資被会の上層部連中がぞろぞろとビルの中に消えて行くのを見て、晴太は足を止めた。


 電柱の影で腕時計に目を落としながら煙草を吹かして人を待つフリをする。

 そんな姿勢でビルの様子を見ていれば、やはり一見すると質素だが高価な小物を身に着けた者たちがビルに入って行く。晴太の予想では資被会と同様に現状の政府に不満を抱えた活動家たちのまとめ役だろう。


 あまり長い時間、人気の無い路地で人を待つのは怪しまれる。

 晴太は肩をすくめてすっぽかされた演技をして隣のテナントビルに入った。2階の喫茶チェーン店に入り、窓際の空席に腰掛けてコーヒーを注文する。

 SF映画で見るようなガラス張りの建築物など想像の産物だ。隣ビルから赤レンガビルの様子を窺う事はできない。


 賭けに負けた晴太はコーヒーをゆっくりと堪能たんのうしてから店を出た。

 階段を登りビル内のゴミ捨て場から発する生臭い悪臭に鼻を抑えながら屋上に出る。11月の冷える夜にも関わらず室外機から発せられる生臭さに嫌な熱量を感じて顔をしかめてしまう。


 話しが出来る程に近い隣ビル、くだんの赤レンガビルを見れば屋上で数人の男女が煙草を吹かしていた。

 女性の社会進出、育児休業の充実など晴太は最近騒がれ始めた概念を完全には理解していないが数人の活動家を知っている。屋上で煙草を吹かしている女は取材で見た事の有る顔だ。


 擦れ違った程度の相手なので互いに会釈えしゃくだけし、晴太は同じ銘柄めいがらの煙草を吹かす男に声を掛けた。


「どうも。そっちのビルは随分と洋風ですね」

「お? おお。オーナーがヨーロッパに留学してたらしい」

「へぇ、そいつぁ景気の良い話だ」

「良かったのは昔の話さ。バブルで破産、ビルは完成した、でも首が回らなくて、ついには首吊ったらしい」

「聞きなれちまった。嫌な時代ですな」

「全くだ。年寄りみたいで嫌だが、あの頃に戻りてえってヤツだ」


 晴太は手摺りに寄り掛かる男が煙草を8割吸った当たりで箱から1本出してみせた。お陰で男は初対面の晴太に礼をしつつ軽口混じりに警戒を解いてくれる。


「でも今は持主どうなってんです?」

「複数の団体で共同所有してんだ。俺たち『日本強盛会』や『資本主義被害者の会』、最近じゃ『女性共進会』なんて女だらけの団体も入ってるか」

「ああ、女性の社会進出や育児休業をもっと使い易くって言ってる方々でしたか」

「よく知ってるな。まあ今の日本をうれいてる仲間さ。学のえ俺にはどれくらい大事な事か分からねえが、話をしてみると女だからって馬鹿にできねえ連中だぜ」

「へぇ。普段からこちらに?」

「いやいや。定例会議や打ち合わせでしか使ってねえよ。都庁に直訴じきそするにも近くて便利だしな」

「なら今日も会議で?」

「おうとも。ここだけの話、都庁に強硬手段取ろうって集まってんだ。会議次第じゃ、今日はこの後に直行かもな」

「マジか。警察とかどうすんです?」

「だから速攻だよ速攻。ヤクザやカラーギャングが毎日暴れてる。警察だって直ぐには対応できないさ。なら、今はチャンスだろ」


 何がチャンスなのか分からない晴太だったが状況は分かった。

 まさかのスクープ最前線だ。これを最速で記事にすれば一気に有名フリージャーナリストの仲間入りが果たせる。


 そう思っていると赤レンガビルの屋上に繋がる扉から別の男が現れ煙草を吸っていた者たちをビル内に呼び始めた。

 晴太に話をしてくれた男は煙草の礼を言って去って行く。

 誰も居なくなった屋上で晴太はふところから手帳を取り出して今の話をメモした。


 手帳を閉じ、煙草を吐き捨て踏みじって火を消した。

 ふと、人気の少ない路地を見て気付く。

 まるでヤクザの事務所にガサ入れする前の様に少人数で赤レンガビルが囲まれている。数人が手振りで路地の影から誰かを呼ぼうとしていた。


 晴太は思わずハンディカメラを取り出した。

 夜にも関わらずフラッシュは切ってシャッターを下ろす。連続でシャッターの切れない安物に苛立ってしまう。しかしシャッター音が小さい事には感謝して街灯に照らされる路地で警官たちが赤レンガビルに殺到するのを撮影した。


「警察だ! 都庁ビルへのテロ疑惑だ、全員大人しくしろ!」

「何だと! ふざけるな! 俺たちは何もしちゃいねえ!」


 赤レンガビルの前で刑事たちが警官を呼び、ビル内の活動家たちと揉め始める。

 その様子をなるべく綺麗に撮影しようと晴太は手摺りから身を乗り出して撮影し、フィルムの数が少なく成って手を止めた。


 舌打ちしてハンディカメラを仕舞い、手帳を取り出して聞こえてくる言葉を可能な限りメモする。

 視線だけで路地を見れば騒ぎを聞きつけて近場のビルの窓から人が顔を出している。ただ記者はまだ到着していないらしく、突入直前の写真撮影に成功したのは晴太だけの様だ。


 暴れる活動家たちに警官が手錠を掛けていく。

 既に数人の刑事、警官がビル内に突入を終えておりビル内部からも騒ぎが聞こえてくる。


 ふと、晴太は屋上に設置される貯水槽の陰に駆け込んだ。

 昔、似た様な状況でヤクザの逮捕劇の取材をしている時に屋上を伝って逃げるヤクザにはち合わせた事が有る。テナントビルと赤レンガビルは小学生でも飛び移れそうな程に近い。ここで煙草を吸った事が有る人間なら逃走経路に使えると思うだろう。

 晴太の予想通り慌ただしい足音と共に赤レンガビルの屋上扉が乱暴に開かれた。


「まさかお前たち、俺たちを売ったのか!?」

「アンタたちが警察に嗅ぎ付けられたんでしょ!」


 各活動団体のトップたちが互いを罵り合いながら手摺りを乗り越えてテナントビルに飛び移る。

 後ろめたい事が無ければ警察相手に逃げる理由も無いだろうと晴太は思うが、先程の男の話を聞く限り後ろ暗い事が有るのだろう。


「貴様らの中には殺人容疑が掛かっている者も居る! 大人しくしろ!」


 ビルのオーナーは経済的な理由から首を吊ったと言われているが、警察の見解は違うらしい。それも含めて晴太は貯水槽の影で手帳にペンを走らせて屋上の扉が閉まる音を聞いた。

 彼らはこのテナントビル内で騒ぎが収まるのを待つつもりなのだろう。


 少しして赤レンガビルの屋上扉が開いた。

 現れたのが刑事だと見て晴太は貯水槽から顔を出して刑事に声を掛ける。


「刑事さん、今、そっちのビルから人がこっちに!」

「何!? こちら突入班、屋上を伝って隣ビルへ逃げた者たちが居る! 絶対に逃がすな!」


 トランシーバーに怒鳴る刑事を置いて数人の刑事がテナントビルへ飛び移って来る。


「協力、感謝します!」

「いえいえ。市民の義務ですので」


 晴太は調子の良い事を言ってテナントビルへ走っていく刑事の後に続く。できるだけ壁の影に成る位置を進み、やがて2階で刑事と逃走者が揉め始める声を聞いた。

 階段の影から少しだけ身を乗り出してハンディカメラのシャッターを切る。現像するまで写真の出来栄えは分からない。それでも体に染み着いたカメラの扱いには自信が有る。


 上階から足音がして慌ててカメラを隠す。

 トランシーバーに怒鳴る刑事に道を開け、記憶に残らない様に顔を逸らす。


 この様子では警察の手から逃れる者は居ないだろう。

 ヤクザやカラーギャングに手一杯と思っていた警察だが、もしかしたら赤レンガビルに集まった団体は警察にマークされていた可能性が有る。


 現場の空気を忘れない内に晴太は思い付くまま手帳にペンを走らせた。


~~~~~


 都庁付近の過激活動団体逮捕劇は翌日にはニュースに成った。

 大手出版社や報道関係者が21世紀に向けて騒ぎ立てる中、都庁に踏み込もうとしていた過激思想団体が存在したというニュースの話題性は低かった。

 テレビでは朝のニュースで1分程度、各新聞社は社会面に100文字から200文字程度の記事を載せただけだ。


 ただ1社だけは300文字に逮捕時の写真2枚付きで、テレビニュースもその記事をそのままアップにしている番組が多かった。


「へぇ、これが晴太さんの記事なの……地味ね」

「今時都庁爆破計画くらいじゃ1面なんて飾れないんだよ。これで都庁が爆破でもされてれば1面飾れたんだろうけどさ」


 ほぼ徹夜だった晴太は翌日の晩、元蔵の闇診療所でクマの浮いた目で沙織に水を貰っていた。


 逮捕劇の終わり際、大急ぎで取材に現れた顔見知りの新聞社勤務ジャーナリストを捕まえて記事を載せる交渉をしたのだ。深夜2時までに現像と執筆を終え、彼の上司にGOサインを貰って報酬も受け取った。

 1面の記事ではないので報酬も高くはないがフリージャーナリストには悪くない報酬だ。特に警察が団体のトップたちを捕まえる写真が高く評価された。


「たく、こんなアホ共を相手にしてると近い内に刺されるぞ」

「仕方ないじゃないですか。フリージャーナリストは多少無茶しないと良いネタ拾えないんですよ」


 呆れる元蔵に口答えしつつ晴太は診療所の窓から眼下を見た。

 都庁付近で数十人単位の逮捕者が出ても新宿を行く誰の日常にも影響は無い。晴太が心臓を高鳴らせて書いた記事は世間を騒がせる力も無い。


 その中に、葛木を見つけた。

 逮捕された者の中には勿論、資被会の上層部連中が居る。捕まった連中が資被会の中でどの程度の地位で、どれだけ替えの効く者たちだったのかは分からない。

 それでも晴太には葛木は大して気にしている様には見えなかった。


「結局、ノストラダムスの大予言なんて人災なのかなぁ」

「あ~、そう言えばそんな事で昨日はサボったんだものね」


 溜息を吐く晴太の顎を撫でて沙織が笑う。

 嫌な予感がして晴太が顔を上げれば、正面に立った元蔵が仁王立ちで獰猛な笑みを浮かべていた。


「えっとぉ、そのぉ、申し訳ございませんでしたっ」


 普段は仕事の少ない闇診療所。

 それでもバイト1人ではキツイ仕事量を吹っ掛けられて晴太は溜息を吐いた。

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