中便器

そうざ

The Middle Toilet

 初デートは職場近くのレストランだった。まだ付き合ってもいないのにデートと呼ぶなんて図々しいかも知れないが、女性が二人っ切りの夕食をオーケーしてくれた段階で脈ありと見ても良いだろう。願わくば今夜ここで告白をして晴れてカップルに、そして――。

「ちょっとごめん」

 僕は、前菜を口に運ぶFさんに声を掛けて席を立った。

 厨房の前できょろきょろしていると、店員が声を掛けて来た。

「お手洗いでしょうか? こちらの奥になります」

 気が利く店員に教えられた通りに進むと、奥の突き当たりに男女兼用のマークが付けられた扉があった。

「あの、ちょっとすみません」

 引き返した僕は、通り掛った別の店員を呼び止めた。

「トイレは一つだけですか? 他に便器は……」

「申し訳ございません。当店は便のみです」

 店員は申し訳なさそうに、それでいて事務的な調子で言った。きっとこれまで何度も同じ質問をされているのだろう。

 最近、中便器だけの店が多い。

 大小の便器両方よりも中便器を一つ設えた方が安く付くし、性別に捉われず限られたスペースを有効活用出来る。

 こうなったら店外に出るしかない。

 近くのコンビニに行こう。否、あそこも中便器しかない。以前トイレを借りようとした時に愕然とした事がある。

 私鉄の駅まで行くしかないか。確かあそこは昔ながらの和式だ。トイレは改札の内側にあるが、切羽詰った感じで駅員に事情を話せば貸してくれるだろう。往復に二十分は掛かるが、走れば十分ちょっとで帰って来られる。否、この状態で走るなんて無理だ。

「そうだっ」

 僕が急に声を上げたので、店員がこっちを見た。

 僕は小声で問い掛けた。

「すみません。一旦店を出たいんですが……」

 そして一旦、席に戻ってFさんにこう告げた。

「職場に忘れ物をしたんで、ちょっと取って来るね。直ぐ戻るから待ってて」

 僕は、慎重且つそそくさと駅へ急いだ。仕事場は往復で徒歩三十分くらいだから、丁度良い言い訳になる。

 駅に着くや否や、僕は改札の所で駅員に事情を説明した。駅員は、脂汗を浮かべた僕の顔を見て、そういう事ならばと予想通り改札を通してくれた。だが、駅員は僕の背中に言葉を付け足した。

 「当駅は中便器しかありませんが、宜しいですか?」

 訊くと、つい最近、改装したと言う。

 仕方ない。こうなったら、ちょっと遠いが職場に行くしかない。真面まともな便器を探して彼方此方あちこちを巡るよりは、小便器も大便器もある職場に直行した方が利口だ。俺は下半身に自重を言い聞かせながらそそくさと向かった。


 その後、レストランに取って返すのに何だんだで五十分近く掛かってしまった。

 職場のトイレに入った矢先に漏らしてしまった為、洗面で懸命に洗った後、幸いにして濃紺のズボンは濡れた感じが目立たなかったので、それを穿いて近隣の量販店で似たズボンを買って着替え、駆け付けたのだ。

「お待た、せ……」

 席にFさんは居なかった。やっぱり待ち草臥れて帰ってしまったのか。しかし、テーブルを見るとナプキンが椅子の上に、ナイフとフォークが皿の縁にハの字に置かれている。

 店員に訊ねようとした時、店の奥の方からFさんが姿を現した。トイレから出て来たのだ。

「Fさん、ごめん。遅くなっちゃって」

「ううん、大丈夫」

 その後、会話はそれなりに弾み、滞りなく食事は終わった。その間、中便器の話題は一切出なかった。食事の時間だから当然とも言えるが、僕の頭にはずっと中便器の事があった。実は、頼んだ料理の器に似たような形のものがあり、思わずそれを指摘しそうになったのだが、慌てて言葉を飲み込んだ。

 Fさんが何の躊躇ためらいもなくこの店の中便器を使ったかと思うと、僕はショックを禁じ得なかった。しかし、幻滅したとか、嫌悪したとか、そんな単純な心境ではない。それが証拠に、帰宅した僕は、Fさんの中便器の使用シーンを妄想し、三回連続で自慰行為をしてしまったのだ。

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中便器 そうざ @so-za

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