激怒
「言っておくけど、あんたの文化祭を絶対に成功させたいって気持ちを知って、皆は気持ちが高ぶったみたいだけど……あたしはそうじゃないから。あたし、怒っているよ」
冷たい声で、紗枝が言った。
「まったく。いつも突拍子もなく行動して、そうして自爆するんだから」
耳が痛かった。
紗枝からしたら今回の文化祭実行委員に際してのことを引き合いに言っているのだろうが、僕からしたらいつか紗枝と絶縁することになった事件の話が脳裏を過った。
今回の件など、僕からしたら大した話ではなかった。
「あんたっていつもそう。ちっちゃい頃も、あたしのお気に入りだったマグカップが羨ましいとか言ってあたしから強引に奪おうとして、結局割ってさ。それで泣き出すの。怒るに怒れなくて、あたしの気持ちはどこに持って行けばいいのよっていつも思ってた」
「……そ、それは、ごめん」
そんなことあっただろうか?
予想だにしない方向から刺されて、僕は困惑した。
「後々になっていつも後悔するの。あんなことしなきゃよかったって。本当、進歩がない」
「……いや、違う」
珍しく、僕は紗枝に食って掛かった。
熱に浮かされたせいもあったが、今回ばかりは自分の行いが間違っていなかったと、今でもはっきりとそう言えた。
「今回は違う。少なくとも今回は……僕は、自分のしたことを間違ったとは思っていない」
「じゃあ、さっきどうして自分で自分が嫌になる、とかうわ言のように呟いたのよ」
「……それは」
それは、今回の件ではなく……いつかの思い出話と、自傷行為を望んだ自分に対して思ったことだった。
しかし、それは到底、今の紗枝に言えるはずがなかった。
「言いたくないなら、別に言わなければいい」
「……ごめん」
「でも、これだけ覚えておいてよ。あんたの身勝手な行動で、悲しむ人がいる。あんたは、その人に向けてキチンと目を見て話すべきよ」
思い出したのは、いつかの怒った紗枝の顔だった。
本当に、紗枝の言う通りだった。
「……こっち、見てくれないんだ」
思わず、僕は落としていた視線を上げた。
眼前に、紗枝の顔があった。近くて、でも遠くて……途方もない距離が、僕達の間にはあった。でもそれは、ただの僕の、錯覚だった。
「最近のあんた、少し変わった」
「そう?」
「自覚ないの?」
「うん」
平坦に僕は言う。ただそれは嘘だった。自覚はある。大ありだ。タイムリープを果たす前と後で、恐らく僕の性格はまるで変わった。
前はこんなに、紗枝に謝ることはなかった。
「……あんたはもっと、利己的な性格をしていた」
「今だって利己的さ。皆は守衛のおじさんのおかげで好印象を持ったみたいだけど、結局、僕が文化祭に躍起になったのだって、利己的な理由だ」
「でも、前はもっと……不器用だった」
「……今だって、不器用さ」
その証拠に僕は、未だ紗枝と板野君を引き合わせていられていない。本来であれば、二人は結ばれるべきで、僕は蚊帳の外にいるべきなんだ。
「でも……あんな大立ち振る舞い、出来なかった」
紗枝が言っているのは、文化祭実行委員の定例会の話だろう。
「……本で読んだことを実践しただけさ」
「あんた、本なんて読まないでしょ」
「読むようになった」
「嘘っ!」
突然叫んだ紗枝に、僕は驚いた。目を丸くして、ゆっくりと再び下がり始めていた視線をまた上げた。
僕は、ハッとした。
紗枝の両目の目尻に涙が蓄えられていることに気付いたからだ。
「……ごめん」
それは、紗枝の謝罪だった。
「あの時……助けてくれたんでしょ。打ち合わせで、あたしが空気を悪くしたから、泥を被ってくれたんでしょ」
「違う。そんなことはない。あれはただ、僕が文化祭を成功させたいからそうしただけだ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘だよ……」
紗枝が、鼻を啜った。
「じゃあ、どうして文化祭を成功させたいの……?」
「……それは」
考えていなかった言い訳に、僕は口ごもった。
素直に言えるはずがなかった。紗枝に失敗体験を植え付けたくないから、成功させたかっただなんて……言えるはず、なかった。
「……ほら、理由なんてないんでしょ? 嘘なんでしょ?」
紗枝が、目尻の涙を拭っていた。
「それとも、あたしに言えないような理由なの……?」
落ち込むその声色に、さっきまで発症していた熱の事など、既に頭の中から消えていた。
考えていた。
突き放すべきか。
はたまた、フォローすべきか。
……突き放すべきなんだろう。
ここで突き放して、板野君をあてがって……そうして、二人の関係を発展させていくべきなんだろう。
そう思って口を開いて、僕は口をつぐんだ。
……いいや。
いいや、違う。
僕は……紗枝に幸せになって欲しくてタイムリープしてから今まで色々な行動に出ている。
僕のことなんて忘れて欲しいのもそう。
板野君をあてがおうとしているのもそう。
……紗枝の言う通り、あの打ち合わせの場で泥を被ったのだって、彼女の悲しそうな顔を見たくないからした行動だった。
ここで突き放すことは、果たして正しい選択なのだろうか。
僕は……紗枝の悲しい顔を見たいと、そう望んでいるのだろうか?
違う。
違ったはずじゃないか……。
「……今は、言えない」
「……え?」
「今は、まだ……言えないんだ」
「どうして?」
「……それも言えない。ごめん」
そんな高尚なことを考えている内に、言い訳の句は浮かんでこなかった。結局、それは突き放すともフォローするとも取れぬ曖昧な物言いになった。
「……じゃあ、いつ話してくれる?」
でも、そう言って不敵に微笑むを紗枝を見て、僕は安堵した。
「わかんない」
「わかんないの?」
「うん」
「自分のことなのに」
「……うん」
「……まったく。しょうがないな、修也は」
微笑んだ紗枝を見て、僕は目を瞑った。
何とか、一難は去ってくれたらしかった。
彼女が詰問してこない……優しい人で、本当に良かった。
「あんたって本当……いつもそうだよね。悪口じゃないよ? そんなあんたに振り回されるのも、嫌ではないって言うか……ふふっ、なんだかこれも、悪口っぽいね」
本当に紗枝は……他人のことを慮れて、思慮深くて、利己的な僕とは真逆な人だ。
今更ながら……きっと、僕があの打ち合わせの場でしゃしゃり出なくたって、紗枝は持ち前の明るさで何とかしていたのではないだろうか。
いやそんなことはなかったか。前の時間軸での文化祭実行委員の打ち合わせの時、紗枝はいつも辛そうな顔をしていた。
……ん?
前の時間軸での、文化祭実行委員?
パンドラの箱と化していて思い出したくなかった記憶の断片が、蘇った気がした。
そうだ。
そうだった。
……前の時間軸での一年時の文化祭実行委員は、板野君と紗枝ではなかった。
僕と、紗枝だった。
今回と同様、クラスメイトのやる気のなさに見兼ねた紗枝と……そんな紗枝に他薦された僕だった。
朧気な記憶が、形になっていく……。
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